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Commentary

家庭の変化が追える「中国家庭追跡調査」
ミクロデータを用いた中国経済研究の新視点

小松翔
アジア成長研究所上級研究員
連載
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CFPSデータは約30,000人の個人にインタビューを行っており、質問項目は幅広いトピックをカバーしているため、経済面だけでなく中国国民の幸福度にも焦点を当てる。写真は北京市内の公園を散歩する親子連れ。2023年4月(共同通信社)
CFPSデータは約30,000人の個人にインタビューを行っており、質問項目は幅広いトピックをカバーしているため、経済面だけでなく中国国民の幸福度にも焦点を当てる。写真は北京市内の公園を散歩する親子連れ。2023年4月(共同通信社)

 筆者が中国家庭追跡調査(China Family Panel Studies, CFPS)を初めて用いたのは、2019年に博士課程に進学してからだ。最初に執筆した論文で、所得格差が主観的幸福度に与える影響を分析する内容だった。また、博士課程在学中から現在にかけてもCFPSのデータを用いて個人研究と研究所内外の研究者と共同研究を進めている。本稿ではCFPSの概要を述べるとともに、研究の実例もいくつか紹介する。

CFPSとは何か

 CFPSは北京大学の社会科学調査中心(ISSS)が2010年に開始したコミュニティ、家族、個人を対象とした全国を代表する隔年実施の調査だ。現代中国における個人、家族、コミュニティレベルの縦断的データを収集することを目的としている。調査では、経済活動、教育成果、家族力学と家族関係、移住、健康など、幅広いトピックをカバーし、経済面だけでなく非経済面の中国国民の幸福度にも焦点を当てる。2010年のベースライン調査では、CFPSは約79%の回答率で、ほぼ15,000世帯と、その世帯内の約30,000人の個人にインタビューを行った。CFPSの回答者は、年次フォローアップ調査を通じて追跡されており、現在までに、CFPSのミクロデータは2010年、2012年、2014年、2016年、2018年、2020年の6波分が入手可能となっている。

 CFPSに興味を持ち、実際に学術研究で利用したい場合は、CFPSウェブサイト(isss.pku.edu.cn/cfps/en/index.htm?CSRFT=ML2V-V8C1-N8LB-NIA7-V7ZU-G9GB-6OTV-BZEP)にアクセスし、利用申請(英語または中国語)すれば、審査を経てデータセットをダウンロードすることが可能だ。また、ユーザーマニュアルやFAQなど資料も充実している。

どんなメリットと魅力があるのか

 公開されている中国の大規模ミクロデータで代表的なものとしてCFPSのほかに、所得分配に重点を置く中国家計所得調査(China Household Income Project:CHIP)、家計金融資産を主に調査する中国家庭金融調査(China Household Finance Survey:CHFS)、名前が示すように総合的な中国総合社会調査(Chinese General Social Survey:CGSS)などがある(編集部注:実例として本サイト掲載の「中国の所得格差の実態を明らかにする家計調査」「共産党員になるのはどんな人か、党員になるメリットはあるのか」「「剰男」「剰女」になるのはどんな人か、少子化とどんな関連があるのか」を参照)。これらに比べ、CFPSを活用する最大のメリットは、幅広い調査項目に加え、重要な質問項目は毎回の調査でほぼ同じように設計されているため、様々なトピックでパネルデータ分析を行えることだ。パネルデータとは複数の同一の対象(個人、家計や企業など)を継続的に観察し記録したデータのことだ。パネルデータは複数の同一の個人や家計を時間の経過とともに繰り返し観測するため、変化を追跡できる。個人や家計の行動を分析する際に直面することが多い内生性問題についても、パネルデータを用い、時間とともに変化しない個人の異質性の影響を除外することで一部は対処できる。実際、CFPSデータを用いた学術論文では次に紹介するようにパネルデータ分析が多く見られる。

どのように活用されているのか

 CFPSの一般的な紹介(Xie & Hu, 2014)や、調査のサンプリングやウェイトに関するもの(Xie & Ping, 2015)、その他中国経済研究のトップジャーナルであるChina Economic Reviewに掲載されている論文をはじめ、CFPSを用いた実証研究は多数ある。

 例えば、China Economic Review に掲載されている近年の論文を概観すると、Wei et al.(2024)は、「電子商務進農村総合示範県」政策という準自然実験を利用する。CFPSの2014~2020年のデータを用いて分析した結果、農村部の電子商取引の発展により、0~10の11段階で測る幸福度のスコアが平均2.40%増加することが示された。

 また、Zhang and Churchill(2020)は、CFPSの2012~2016年のデータを用いて所得格差が主観的幸福度に与える影響を検証した。所得格差は農民工と都市住民の間の所得格差として定義される、グループ間の格差に加え、省レベルのジニ係数を用いて計測している。その結果、生活満足度で測定した主観的幸福度に対して、省レベルの所得格差とグループ間の所得格差の両方が負の影響を与えることを明らかにした。所得格差と主観的幸福度の関係の背景にある仮説として相対的剥奪仮説とトンネル効果仮説という2つの異なる仮説が挙げられる。相対的剥奪仮説は、他者がより裕福である場合に感じる剥奪感が、格差が幸福度に及ぼす負の影響を説明する、というものだ。トンネル効果仮説は、渋滞するトンネルで隣の車線が動きだすのを見て自分の車線でも渋滞が解消しトンネルを抜け出られるのではないかという期待をいだくように、社会の中で他者の不均衡な高収入を目にすることで楽観的な見方が生まれ、収入の少ない人々にとってはより明るい将来の見通しを示すものとなる結果、幸福度に及ぼす正の影響を説明する、というものだ。

 そして、Nie et al.(2023)は、CFPSの2014~2018年のデータを用いて、再生産年齢女性のインターネット利用が出生率に与える影響を分析した結果、インターネット利用は出生児数を減少させることが示された。そのメカニズムとして、インターネット利用は、婚姻満足度の低下、伝統的な性別役割に対する態度の変化、先祖との繋がりに対する重要度の低下、健康状態の悪化などを通じて、出生児数に影響を与えることが示された。

 また、中国学術情報データベースである中国知網(CNKI)で「中国家庭追跡調査」と入力すると2024年9月時点で654件の検索結果が得られる。最も引用されている論文は引用数555、ダウンロード回数31,971だ。引用数の上位のテーマには所得格差、健康、創業、借入行動、貯蓄、消費などが並ぶ。

 対照的に、日本語の論文データベースCiNiiで「中国家庭追跡調査」と入力すると、1件の検索結果(プロジェクト)が表示されるのみだった。検索ワードを少し変えて、「中国」「CFPS」と2つを同時に入れると、検索結果は12件(うち論文10、プロジェクト2)となった。しかしながら、CFPSを用いた日本語の論文が少ないのは明らかだ。

限界や利用上の注意点

 これまで見たようにCFPSは非常に有益なミクロデータだが、限界があることも事実だ。例えば、複数期間のパネルデータを構築する際に、同様の質問項目の設定が必要だが、ある調査年度から当該質問項目がなくなっていたり、詳細な質問項目が統合されたりするなど、様々な制約から自身の関心のあるトピックについてパネルデータを構築することができないこともありえる。そうするとCFPSの持つ強みを十分に活かすことが難しくなる。筆者が経験した例では、インターネット利用時間の効果を計測するため、長期間のパネルデータを構築したかったが、同質問項目はCFPSの全6波中2014~2018の3波分しか設定されていなかったということがあった。

活かせるかどうかは研究者次第

 CFPSは2010年に開始された調査で、CFPSのデータを用いた研究論文は国際学術誌で多数掲載されている。そのため、近年はこうした先行研究との差別化が課題となっている。簡単なことではないが、新規性と独創性のある研究アイデアをいかに見つけるかということが重要だ。日々の研究活動に加え、国内外の学会に参加することで、様々なバックグラウンドの研究者との研究交流を通じて研究の種を育てていくことが大切だと感じる。そして、筆者のような日本人研究者は中国現地での滞在を通して現場感覚を養うことも大切だ。中国滞在時にはそのことを意識して過ごしている。結局のところ、どんなに新しいデータが出てきても、それを活かすためには、先達や同輩との議論を重ねながら、現場感覚を養っていける研究者になる必要がある。今後、CFPSを用いた日本語の研究論文の蓄積が増えることが望まれる。

参考文献

Nie, P., Peng, X., & Luo, T. (2023). Internet use and fertility behavior among reproductive-age women in China. China Economic Review, 77, 101903.

Wei, B., Zhao, C., & Luo, M. (2024). Online markets, offline happiness: E-commerce development and subjective well-being in rural China. China Economic Review87, 102247.

Xie, Y., & Hu, J. (2014). An Introduction to the China Family Panel Studies (CFPS). Chinese Sociological Review47(1), 3–29.

Xie, Y., & Lu, P. (2015). The sampling design of the China Family Panel Studies (CFPS). Chinese Journal of Sociology, 1(4), 471-484.

Zhang, Q., & Churchill, S. A. (2020). Income inequality and subjective wellbeing: Panel data evidence from China. China Economic Review60, 101392.

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