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Commentary

中国の特許訴訟に関する実証分析のためのデータ
中国学へのミクロデータ活用法:企業関係データ編④

張星源
京都女子大学データサイエンス学部教授
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中国・北京の最高人民法院(日本の最高裁に相当)。知的財産に関する事件の判決も掲載する無料のウェブサイトを管理している(写真:共同通信IMAGE LINK)
中国・北京の最高人民法院(日本の最高裁に相当)。知的財産に関する事件の判決も掲載する無料のウェブサイトを管理している(写真:共同通信IMAGE LINK)

近年、中国特許法など知的財産関連の法改正に伴い、中国の企業が知的財産権に対する保護意識を高め、特許訴訟が増え、外国企業を訴える例が目立ち始めました。国家知識産権局の「2022年中国知識産権保護状況白書」によれば、全国にある地方各級人民法院の民事第一審知財権案件の新規受理件数は前年比では減少しましたが、43万8480 件に達しており、中国は特許訴訟の大国になりつつあることがわかります。同時に、イノベーションに関連する法整備を主な評価の対象とする世界知的所有権機関(WIPO)発表の2022年グローバルイノベーション指数では、中国がフランスを抜いて世界11位にランクされ、10年連続で順位が上昇しました。

特許訴訟では企業が裁判所に訴える権利を有すると同時に、訴えられる立場になる可能性も高いために、経済学・経営学の視点からイノベーション戦略の重要な一環として企業の知的財産紛争戦略の分析が注目されてきています。一方で、特許制度については、工業所有権の保護に関するパリ条約において各国での特許独立の原則が規定されています。各国での特許に関する紛争の及ぶ範囲が当該国内に限られるという点と、特許訴訟における各種要件が国ごとに異なるという点は、特許紛争に関する経済分析の特徴であるともいえます。

1985年に施行された「中華人民共和国専利法」

中国では大陸法(civil law)を採用しており、特許訴訟に関連する法律は「民法」、「専利法」、「合同法」、「独占禁止法」等に加え、最高人民法院の特許権侵害案件に関する追加的な解釈も挙げられます。日本および欧米に比べ、現代中国特許制度の歴史は短く、現行の中国特許法である「中華人民共和国専利法」は1985年に施行されました。その後、同法は4回にわたって改正されました。とくに2021年6月に実施された4回目の改正では、“懲罰賠償” 、すなわち、確定した損害賠償額の1倍以上5倍以下の懲罰賠償額を裁判官が定められる制度を導入しました。この改正により、特許訴訟をつうじて高額な賠償金を獲得することが可能となり、企業の知的財産紛争戦略に間違いなく大きな影響が及ぶものと予想されます。

中国の裁判所にあたる人民法院は基層、中級、高級および最高人民法院の4層構造からなり、二審終審制を実施しています。特許権侵害事件に対しては、最高人民法院が指定した224カ所の中級人民法院が一審裁判所となります。これに加え、特許訴訟事件管轄権制度の改革を目的として、2014年に北京市、上海市、広州市、2020年に海南省のそれぞれに1つの知識産権法院、加えて2017年1月から 2022年4月にかけて計28都市の中級人民法院に知識産権法廷が設置されました。

日本では、特許権等に関する訴訟一審案件は専門的処理体制の整った東京地方裁判所と大阪地方裁判所でしか扱っていません。対照的に、中国では、特許訴訟に関わる裁判所が多様に存在するのみならず、知的財産権保護を取り巻く環境も日々変化しています。これに応じて企業の知的財産紛争戦略も進化が求められています。

中国における特許訴訟判例の調べ方として、いくつかの商用データベースが利用されていますが、中国政府が裁判書類の公開を推進した結果、2014年以降、最高人民法院のウェブサイト「中国裁判文書網」(https://wenshu.court.gov.cn)が公開され、誰でも無料でアクセスすることが可能になりました。特許権侵害事件にあたって、検索項目としてキーワード、案件理由、裁判所レベル、裁判年度、民事、刑事、行政といった帰属等の検索条件を設定し、関連する裁判書・裁定書(判例)の全文を調べることができます。

しかし、そのウェブサイトにすべての判決等が掲載されているわけではありません。年により、または地域や裁判所ごとに、判例の掲載率に大きなばらつきがあるといわれています。とくに、2023年12月22日の人民日報の最高人民法院幹部への取材からは、中国の裁判所で行われた裁判の判例掲載件数は2020年の1920万件から2022年の1040万件へと3年間で大幅に減少していることが明らかにされました。その理由の1つは、近年、中国の国家安全や個人情報に関わる情報管理が強化されるとともに、各地の法院のデータ提供内容に関する判断基準が異なるためと推測されます。例えば、特許訴訟における和解に関する判例がほとんど公表されていません。中国裁判文書網を利用する際、こうしたことに留意することが必要です。

中国裁判文書網に公開されている特許権侵害に関する新規一審案件の民事判決書(判例)には原告と被告の社名と住所、依頼された弁護士(弁理士)の氏名と法律事務所名が含まれています。ほかに、当事者の請求と主張、侵害された本件特許番号(裁判所によって匿名の場合もあります)、当裁判所の判断、判決の結果(棄却、差し止め請求の認容および損害賠償額)に関する情報も示されています。判決書の最後に裁判官の氏名や判決日等も記載されています。

同時に、中国特許訴訟によく見られる管轄権に関する係争と、それに対する裁判所の判断は民事裁定書にまとめられ、同サイトにも公表されています。

他方、被告側の重要な抗弁手段である本件特許の無効請求を人民法院は原則として受理せず、別途、国家知識産権局復審委員会に訴えを起こして、その有効性の審判を委ねることになります。これはいわゆる分離審理制度であり、ドイツ等の国も採用しております。英米のような同一の裁判所の同一の裁判官による無効判決という単一審理制度や、日本のような無効抗弁は裁判所、無効審判は特許庁と別々で行われるというダブルトラック審理制度とは異なっています。早期の一審民事裁判書には国家知識産権局復審委員会の決定を根拠として無効請求を認めるかどうかとの裁判官の決定を記すこともありますが、近年では民事裁定書という形で公表することが多くなりました。

特許訴訟の判例文書を正確に解析することが大事

中国では,“発明”,“実用新型”および“外観設計”に該当するものを“専利”という1つの文言でまとめていますが、筆者が2022年7月から8月にかけて、“発明専利”に絞って、“中級人民法院”と“民事判決書”といったキーワードを用いて中国裁判文書網を検索した結果、キーワードに関わる2020年までの判例は計2201件に上ることがわかりました。

同サイトに掲載された各地の中級法院の判例文書の件数は一部地域の裁判所に集中しています。裁判所の所在地情報に基づき整理したところ、掲載された件数が多い地域は浙江省(501件)、北京市(411件)、広東省(216件)、上海市(176件)、山東省(164件)、江蘇省(146件)、河南省(79件)、四川省(68件)、福建省(56件)、湖南省(49件)という順になりました。

中国における特許訴訟判例文書の長さはまちまちであり、全文が20~30ページ以上に及ぶ判例が相当見受けられます。加えて、裁判官による争点整理の方法や当裁判所判断の記載方法が統一されていないために、判例のテキストデータをいかに正確に解析できるかが現在の大きな課題です。筆者はPythonなどのソフトを利用してデータ解析を試みました。上記の判例データ整理の一部の結果を表にまとめました。次のページをご覧ください。

注:平均損害賠償金額は最大値を除いて計算したものです。

中国裁判文書網に公開されている発明専利侵害に関する新規一審民事判決案件の数は2014年の200件台から2020年の300件台まで増加しています。これは、同時期の日本の最高裁判所の裁判例検索サイトに掲載され、“ワ”という符号の振られた特許訴訟判例の数が2014年の83件から2020年の50件まで、年々減少しているのとは対照的です。ただ、中国の場合は、1つの特許権侵害案件に複数の本件特許が絡む際、本件特許ごとに判例番号を割り振ることになるので、判例の数だけで簡単に比較することができないという指摘もあります。

特許訴訟に勝訴した場合には、損害賠償、差し止め請求、または両方が認められることとなります。上の表を見る限り、中国の一審裁判での発明専利訴訟に関しては勝訴する比率が年々上昇し、70パーセント台に達していることがわかりました。ちなみに、アメリカの94の連邦地方裁判所における特許関係訴訟の平均勝訴率は60パーセント前後で推移しているという報道もある一方で、日本の特許訴訟をめぐっては “特許権者側が2割前後しか勝てない”ことがしばしば議論されています。無効審理制度をはじめ、どの要因が訴訟率に影響を及ぼすかは検証すべき課題と思われます。また、中国の裁判所に認容された損害賠償額は上昇する傾向があり、2017年のファーウェイがサムスン電子を訴えた裁判では8000万元(当時の為替レートで換算すると約12億円に上ります)という高額の損害賠償認容額を決定したケースが目を引きます。

判例文書にある本件特許については中国特許出願・登録番号しか書かれておらず、係争中の本件特許の内容については他のデータベースを利用し、名寄せ作業を行う必要があります。中国の特許の検索では中国国家知識産権局(CNIPA)の中国専利公布公告サイト以外に、独立行政法人・工業所有権情報・研修館が運営している特許情報プラットフォーム(J-PiatPat)でその中国特許に関わる各種公報を照会することも可能です。そこでは、その特許の出願日または登録日、出願人、発明者、クレーム、国際特許分類(IPC)等の情報を調べられます。また、中国を含めた100以上の国の特許庁にそれぞれ出願・登録された特許報が欧州特許局(EPO)によってPatstatという1つのデータベースにまとめられており、学術研究のための貴重な情報源としてさかんに利用されています。筆者はこのデータベースを用いて上記の判例にある本件特許番号と名寄せ作業を行いました。IPCに基づいた結果から、中国で訴訟を起こされた特許(発明専利)の44~58パーセントは金属製品・機械分類に属しており、近年に大きな話題になったICT関連技術の特許訴訟全体に占める割合は10パーセント前後で推移していることがわかります(表参照)。

中国の特許訴訟に関する実証研究の動向

経済学・経営学の視点からの中国の特許訴訟に関する実証研究は欧米の同種の研究に比べ、極めて少ないのが実情ですが、Love et al. (2020)の外国企業の中国における特許訴訟での勝訴率や損害賠償金に関する実証分析、Bian (2018)の中国裁判文書網のデータによる研究および筆者(2018)の同種の研究では、中国における特許の権利行使が世間の一般認識に反して積極的であることが明らかにされました。これらに加え、Kajitani (2023)は中国特許訴訟に関する商用データベースIncoPatを利用し、中国知識産権法院と知識産権法廷の導入の効果を実証的に検討しました。

その一方で、中国特許訴訟判例データに基づき、自らは事業活動を行わず、第三者から買い集めた特許権を行使し、巨額の賠償金目当てに特許権侵害訴訟を仕掛ける個人や企業というパテント・トロールを特定する試み、およびそれに関連する分析や、国際技術標準形成に絡む必須特許(SEPs)の特許権利者と実施者との間の多額のライセンス料訴訟に関する分析が注目されてきています。さらに、中国における特許訴訟では株価変動等の企業経営パフォーマンスへの影響や、特許出願や特許間引用の変化等の企業イノベーション戦略行動に与える影響を分析することが、より大きな関心を集めていると思われます。

参考文献:

Bian, Renjun (2018). “Patent litigation in China: Challenging conventional wisdom,” Berkeley Technology Law Journal, Vol. 33, 413-486.

Bian, Renjun (2021). “Patent trolls in China: Some empirical data,” Computer Law & Security Review, Vol. 40, 1-20.

Deng, Hui, Lingyun Xiong and Lijuan Xiao (2023). “Does patent infringement litigation affect stock price crash risk? Evidence from China,” Accounting & Finance, forthcoming.

Deng, Fei, Shan Jiao and Guanbin Xie (2021). “The current state of SEP litigation in China,” Antitrust, Vol. 35, 95-102.

独立行政法人日本貿易振興機構北京事務所 (2021)、「中華人民共和国専利法(改正)- 2021年6月1 日施行」。

独立行政法人日本貿易振興機構北京事務所 (2023)、「知的財産権侵害関連裁判マニュアル」。

Kajitani, Kai (2023). “The intellectual property strategy and establishment of specialized courts in China,” mimeo, Graduate School of Economics, Kobe University.

Love, J. Brian, Christian Helmers and Markus Eberhardt (2020). “Patent litigation in China: Protecting rights or the local economy?” Vanderbilt Journal of Entertainment and Technology Law, Vol. 18, 713-741.

張星源・姜佳明(2018).「特許権侵害訴訟の実証分析:日本と中国の比較分析を中心に」、『岡山大学経済学会雑誌』、49巻 3号。

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