Commentary
夢は諦めて「職場を粛清」している中国のZ世代
「00后」のネットスラングで知る現代中国①
日本と似たように中国にもZ世代(一般的に1995〜2009年生まれの若者を指す)が存在しているが、呼び方はやや異なっている。中国のネット空間では「80(八零)后」(すなわち1980年代生まれ)、「90(九零)后」(1990年代生まれ)、「00(零零)后」(2000年代生まれ)などと異なる世代を呼ぶことが多い。
中国は改革開放後、急速に社会経済が発展してきたため、年齢とともに生活習慣や価値観に大きな「代溝」(ジェネレーションギャップ)が生まれた。現在、00后がしだいに成人し、社会に足を踏み入れる中で、彼らに対する評価の中で最も注目されてネットスラングにまでなっているのは「整頓職場」(職場を粛清すること)という言葉である。
本稿では、現在の中国における最新の社会人である00后が、職場のベテランである90后、80后、70后を驚嘆させる革命的な力を発揮して、従来の職場文化の粛清を実行していることについて紹介する。
「躺平」と「世上無難事,只要肯放棄」――若者に広がる諦めムード
00后はおおよそ2018年以降に成人しているが、その頃の中国の社会経済は一般の人々に対して実に厳しかった。中国のGDP(国内総生産)は世界第2位であると同時に、住宅価格の高騰、物価の急上昇、巨大な格差のために多くの若者が都市に押し寄せ、加えて専門的な職業教育の不足と、大学数の増加による大学卒業生の過剰のために、就業競争が激化し、若者の就職はますます難しくなった。いわゆる「畢業即失業」(卒業すなわち失業)というネットスラングに示されるような状況になった。
2020年以降、新型コロナウイルスの流行に伴い、中国の経済成長はさらに減速し、まさに弱り目にたたり目の状況になった。多くの00后が家庭を離れ、学校を卒業して社会人になったら、彼らを待っていたのはこの残酷な社会環境であった。そのため、名門大学の卒業生の多くも安定した仕事を見つけられず、アルバイトで生活していかざるをえなくなった。
激しい競争と巨大なプレッシャーに直面して、多くの若者は放棄を選択した。努力して夢を追いかけることを諦めて、自分は平凡な人間であると受け入れ、家を買うとか結婚したり子どもを持ったりしようとも考えない……どうしてもかなえたい目標を諦めれば、それほどのプレッシャーはなくなるというのが、今の中国の若者の生活様式である。こうした状態を表現するのが「躺平」(寝そべる)というネットスラングである。
「世上無難事,只要肯登攀」(この世に何も困難なことなどない。自ら決意を固めて登りさえすれば)という言葉は、毛沢東が書いた革命の決心を表す名句である。しかし、今の若者はそれを少々書き換えて新しいネットスラングをつくり出した。すなわち「世上無難事,只要肯放棄」(この世に何も困難なことなどない。自ら決意を固めて諦めさえすれば)である。若者の思想の変化は明らかであろう。
みんなが躺平を選んでいるのなら、なぜ00后だけが職場を粛清できたのか? これについては、「内卷」(内向きで、無意味な競争)という別のキーワードが関係している。
数年前から中国のネット上で内卷が非常に流行している。一般に、同じ業界内で絶え間なく競争が続くことを指している。産業における競争の存在は効率と品質の向上に寄与するが、過度な競争は企業や従業員にとっては必ずしもよいことではない。とくに個人にとっては、過度な努力は仕事以外の生活を犠牲にすることを意味し、これは過労などの生理的な健康問題を引き起こすだけでなく、巨大な心理的なプレッシャーをもたらす。「寧願累死自己,也要卷死同行」(自分が疲れて死んでも、同業者を道連れにしたい)というネット上の発言もあった。
中国製品が安く、品質もまあまあといえるほどになったのも、労働者たちの死ぬまで頑張る向上心と関係があるかもしれないが、このような努力は長く続けられないことも想像にかたくない。努力すれば報酬が得られるのであればよいが、それが限界にきて、努力が十分なリターンをもたらさなくなると、無意味な内卷になってしまう。この場合、「卷王」(絶え間ない競争の唯一の勝者)になった企業もしくは個人は市場や資源を独占できるようになる一方、もっと数多く生まれたのは報酬も希望も失った敗者たちである。
00后が就職した時期には、中国の企業間の内卷がすでに限界に達していた。どの業界においても激しい競争で勝つために、コストを抑え、雇用者の数を減らし、労働時間を増やしていたが、賃金は上がらなかった。「努力は報われる」時代を経験した90后や80后はそれでもまだ希望を持っていたが、社会人になったばかりでこの残酷な状況に直面した00后たちは、ただちに幻想から目覚め、断固として抵抗することを選んだ。
「独生子女」――中国史上空前絶後のひとりっ子世代
中国は1979年から計画生育政策を実施した。都市部では夫婦につき1人の子どもしか持てなくなった。そのため、80后、90后、00后の世代の場合、とくに都市戸籍の者はその多数が「独生子女」、すなわち「ひとりっ子」である。しかし中国政府は2011年以降、徐々に2人目や3人目の子どもを持てるように政策を緩和した。つまり、ひとりっ子政策が実施されていた1980年代~2010年の間に生まれた80后、90后、00后は、空前絶後のひとりっ子世代である。
中国では、ひとりっ子はしばしば「小皇帝」(小さな皇帝)、「小公主」(小さな姫)と呼ばれている。これは父親、母親、祖父母および他の親族全員がこの唯一の子どもを非常にかわいがるためである。ひとりっ子は「衣来伸手、飯来張口」(服を着るときは手を伸ばすだけ、ごはんを食べるときも口を開けるだけ)だといわれることもある。
中でも、00后は経済が発展した中で生まれてきた、恵まれた世代である。彼らは洗濯、料理、掃除などの家事を自分でやることもなく、何か望みがあれば満たされ、家族は彼らの意思に従う。学校に行っても先生から厳しく叱られることも少ない。教師は叱ったら子を溺愛する親から抗議されるとわかっているからである。そのため00后は自己中心的であるといわれている。こうした世代が社会に入ると、上級者に服従することを求める伝統的な社会文化との軋轢(あつれき)が生じる。
00后はいかにして職場を粛清するのか? 要するに、00后は上司や先輩に対する態度が従来の世代とは異なる。仕事がプライベートに影響することがあってはならないと考え、残業命令には抵抗し、仕事以外の時間に上司から連絡が来ても応じない。先輩や上司は全員平等な同僚だと意識しており、彼らに対しては必要以上に服従せず、互いの尊重を求めている。
さらに、会社の宴会などには参加せず、酒の誘いも断り、上司からの叱責に対してはハラスメントだとして抵抗するなど、自分の自由と権益を確保する傾向が強い。
こうした傾向は、ひとりっ子たちが甘やかされて育てられたことに加えて、教育をつうじて西洋の自由平等の価値観が広がり、伝統的な東アジアの家父長制に対する反発が起きているとも指摘されている。中国の伝統的な「孝」の道は、生んでくれた両親に対して無条件に従順であることを求めている。家父長制とは、家庭や氏族のみならず、あらゆる組織において同じく無条件にリーダーに従うことを意味する。これは00后にとっては平等の理念に反しており、さらに彼らの独立かつ自由な人格を否定するものとみなされる。ゆえに00后は家庭の中でも、職場の中でも、伝統的な価値観に対して日々挑戦している。
毛沢東の言葉――「世界はきみたちのものである」
競争に勝つことを諦めた00后は、夢は持たず、自由な生活を確保することを生き方のポリシーにしている。そうした生き方を職場で貫こうとすると、職場の粛清になる。
毛沢東はかつてこう言った。
「世界はきみたちのものであり、また、われわれのものでもある。しかし、結局はきみたちのものである。きみたち青年は、午前八時、九時の太陽のように、生気はつらつとしており、まさに、旺盛な時期にある」
今の中国の若者はかつての世代とは大きく異なる。そうした世代の特徴はまだ政治的、経済的、社会的な変化に反映されていないかもしれない。なぜなら、若者はまだ社会に出たばかりで、羽が伸びきっていないからである。しかし、いずれ彼らが各業界の担い手になる日が来る。その時は、巨大な変革を起こすだろう。