Commentary
現代中国の都市をつくったのは、誰だろうか
改革と開放後の都市の成長を考える
改革と開放後の現代中国では、都市空間が急激に広がった。それには当然ながらさまざまな主体がかかわっていたが、とりわけ本稿が注目するのは、農村である。農村が一主体となって都市をつくったことは、中国ならではの現象であり、また政治学の観点からすれば、実に面白い現象である。
世界の都市開発の歴史をたどれば、都市をつくっていくインセンティブを持つのは一般的に都市の側である。例えば、アメリカの場合、都市の自治体が企業や資本そして人材誘致を目指して、他の都市と競合していく過程で都市が成長した。その過程では、都市政府と企業が手を組んで大きな影響力を発揮した 。
現代中国にも都市政府の主導で都市化が進んできた側面が確かにある。都市に所在する地方政府は、所有する土地の使用権の譲渡益で歳入の確保を図り、不動産開発企業は、低価格で購入した土地使用権を利用して建設した住宅を、都市住民に高価格で売却することで資本蓄積を実現した。このことは、確かに現代中国においても、都市政府が不動産開発企業と利害を一にしたことが、都市空間の急拡大に欠かせない要因であったことを意味する。
都市をつくった農村が、現代中国にはある
一方で、現代中国では世界の都市開発では見られない現象が起きていた。そこでは農村が都市をつくっていたのである。これは、現代中国の土地問題を考察する際にしばしば用いられてきた財産権の観点からしても、見落とされがちな側面である。
農村も都市をつくる主体となっていたということは、一体どういうことだろうか。一般的には、都市が成長すれば農村は衰退ないし消滅すると考えられている。そのため、都市化を論じるときには、多くの場合、農村と都市の緊張関係が強調される。ところが、現代中国の場合、農村が主導して不動産建設を行い、現在の時点からすれば、それらの区域が都市の一部を成すようになった場合がある。かつては都市周辺に立地していた農村が、土地の利用形態を農業から不動産業に転換した結果、都市側のつくった空間と、都市的空間として一体化したのである。
それでは、なぜ、都市をつくった農村が現代中国には現れたのだろうか。その理由は、現代中国社会が社会主義の制度を基にしていることに求められる。
都市が成長するためには、その周辺の土地を都市政府の領域に取り入れる必要がある。ところが、現代中国に敷かれた社会主義の制度では、「行政村」という農村コミュニティが都市周辺の土地を共同で所有している(中国語は「集体所有」、日本語訳は「集団所有」)。農村コミュニティは、村民に加え、土地を含む村民の共同所有の資源を管理する権力を持つ支配者たる者としての村民委員会(以下、村のリーダーと呼ぶ)によって構成されている。
市場経済化が進むにつれ、地域によっては、村民も村のリーダーも産業構造を転換していくインセンティブを持っていた。都市の周辺といった好立地を利用して村民は、各自の住宅を改築して出稼ぎ労働者向けの住宅賃貸業を始めている場合がある。そして、村のリーダーが、コミュニティのメンバーである村民を動員し、土地を農地から不動産開発地へ転換した場合もあった。こうして形成した区域が、現時点では都市の一部を成しているのである。
政治学からすれば、村のリーダーの行動が面白いところである。村のリーダーは、どのような動機に基づいて村民を動員して産業転換に努めたのだろうか。そしてなぜ、それが実現できたのか。
なぜ村のリーダーは土地の利用形態を転換できたのか
村のリーダーには、都市周辺の好立地を利用するビジネスチャンスをつかんで村内における自らの権威を高める狙いがあった。すでに触れたように、社会主義制度の一環として、村の構成員は土地を含めて資産を共同所有している。村民が共同所有する資産を経営するのが、村のリーダーである。そして、村の資産を経営し、その規模を拡大させることは、村のリーダーの権威の大小に直接つながっている。なぜなら、村民はその共同所有資産から配当をもらっており、その配当が村民の福利厚生につながっているからである。
また制度上、自治組織として位置づけられた農村コミュニティでは、コミュニティ構成員に対する公共サービス提供や村内の公共インフラ整備の費用は、共同所有する資産でまかなわれていた。土地の用途を転換することで村民の共同所有資産が増大すれば、それを経営する村のリーダーは村民の支持を得ることができる。村のリーダーは、村の共同所有資産の規模を拡大させ、自らを権威づけたいというインセンティブをつねに持っているがために、市場化、都市化の時期においては村内の土地の利用形態を転換させる手法を駆使した。
それでは、なぜ村のリーダーは村内の土地の利用形態を転換させることができたのだろうか。村のリーダーが、集団所有資産を経営する経験を蓄積してきたことに加え、村民世帯が請け負っていた農地を集約することもできたからである。
村民の中には、請け負っていた農地を村のリーダーに任せることに反対する、非協力的な村民もいなかったわけではないが、その際に村のリーダーが持ち出したのが、開発が遅れると都市政府に収用されてしまう可能性であった。1980年代以降の中国では、都市政府が土地を収用する権力を行使し、村の所有する土地を収用して自らの管轄下に置くといったことが発生してきた。また、その土地を利用して建物を建設し、都市の商業活動を促すことをつうじて、歳入の確保を図ってきた。都市周辺に立地する村のリーダーからすれば、村の土地が都市政府の支配下に移転されることはもはや時間の問題にすぎなかった。なぜなら、政治的な立場上、村のリーダーが都市政府の決定に抵抗して土地収用自体を拒否することができるとはほとんど考えられなかったからである。
村の土地が近い将来に収用されるだろうと見据えた村のリーダーは、都市政府に先立って村の土地に建物を建設していくのが、村民の利益を確保する最善策だと考えていた。村の産業構造を転換させて、都市政府に先立っていち早く都市開発の利益を確保すべきだと村のリーダーは村民を説得していた。こうして、村民の積極的な支持ないし消極的な協力を得て、結果的に村のリーダーは村内の村民世帯が請け負っていた農地をも集約して、村の産業を農業から不動産業へと転換することができた。またこうした区域が現在の中国の都市の一部を形作った。
都市政府に先立って農村のほうが都市をつくっていく戦略は結果的に、政治的にも経済的にも成功した。政治的には、都市政府の土地収用を村側は拒否できなかったものの、交渉の余地を広げられるようにはなった。都市政府が土地を収用する時点で、すでに土地の用途は農業から不動産業に転換されていたことによって、土地収用の補償をめぐる都市政府との交渉で、村側は有利な条件を勝ち取ることができた。農業用地より、建物が建てられた土地のほうが、より高額な収用補償が得られるからである。
また土地が収用される見返りとして、村には、金銭的な補償だけではなく、村が自主的に開発することができる都市区域内の一区画の土地(中国語では「留用地」と呼ばれることもある)ないし建物を補償としてもらうことに成功した。都市政府の土地収用で村側はより低額の金銭的な補償しか受けられないという指摘もしばしば見受けられるが、それは、農業用地としてしか土地を利用していていなかった地域でよく発生することである。それに対し、いち早く土地の用途を不動産業に転換した村は、都市の一部になっていく過程で、開発利益をめぐって都市側と競合し、経済的な利益を確保していくことに成功したのである。
このように、中国の都市はもっぱら都市政府の主導でつくられたのではなく、村の主導で成長してきた側面がある。そこで浮き彫りになるのは、本稿の冒頭で触れた都市間競合とは異なる、都市とその周辺の農村との競合である。
都市をつくった農村の痕跡の一例が、中国社会で「城中村」と呼ばれる区域およびその周辺の不動産資産を所有するコミュニティである。当該コミュニティのメンバーは、すでに都市の行政区画内に居住し都市の構成員になっているものの、農村であった時代の構造を保っている。すなわち、元の村民を構成員とするコミュニティが、共同所有資産としての不動産を経営する会社を共同で所有している。元の村のリーダーはその会社の経営陣、村民は株主に変身しているのである。
社会主義の制度が変貌する中で、共同所有資産を持つ農村コミュニティが都市側と競合し、そこから現代中国の拡大した都市の一角が生み出された。
今後の中国社会を考えていくうえでの示唆
農村コミュニティが都市をつくるという事象は、従来の考え方では容易に理解できないものである。土地問題を検討するとき、土地の所有権に着眼するのが一般的であった。土地の公的所有制が敷かれている社会では、地域のリーダーとは異なる上位政府が土地の利用方針を決定し、それに癒着した不動産開発企業に開発利益が分配されると考えられている。この点に注目すれば、村のリーダーという主体は、村民の代表とはいえ、やはり公権力に近い存在である。この政治構造の下で、土地の私的所有権を保障されていない村民には、開発利益が正当に分配されない可能性が高いとも考えられている。実際にそうした現象は起きていて、とりわけ農地をめぐる取引の過程で顕著に見られる。
しかし、村民に不利な政治構造にばかり目を向けると、都市の周辺地域で生じた都市化の実態を見逃してしまう。前述のとおり、そこでは村のリーダーが村民と一体となって不動産業を営む商業主体としての農村コミュニティを形成し、都市の成長を促してきた。すなわち、公的所有制をめぐる政治権力の働きは、単純に企業、村のリーダーといった主体が公権力に癒着していく方向へと向かっていたのではない。都市化のメカニズムを包括的に理解するためには、従来の議論の前提を覆す思考法が必要とされる。
一方で、財産権の観点からすれば、土地問題は資産をめぐる国家と個人の関係にも大きな影響を与え得る。2023年、都市再開発を積極的に進めることが国家の重要な政策課題として位置づけられ、その具体策の1つとして「アーバンリニューアル」事業が提示された(注1)。この事業が対象とするのは、元の農村コミュニティ所有の建築物が立地する都市の行政区域であり、誰が事業の担い手になるのか、注目に値する。都市政府に代わって不動産開発企業とかつての農村コミュニティの双方に進めさせる動きが、実は2006年末からすでに広東省で現れている(注2)。本稿の中で、都市開発における農村コミュニティの役割を明らかにしてきた筆者の立場からすれば、国が打ち出している新たな政策課題は、改革と開放以来、都市側のつくった空間と、農村側のつくった空間、両方によって現代中国の都市化が進められてきた延長線上にあるといえよう。やはり都市と農村の関係は、中国社会の変容を考える上で欠かせない要因である。
なお、近刊の拙著『都市化の中国政治:土地取引の展開と多元化する社会』(名古屋大学出版会)では、中国社会が都市化していく時代に都市と農村の間で繰り広げられた土地政治の全体像を明らかにした。
(注1)「都市のなかの村を改造し、民生を豊かにし、内需を拡大させる(城中村改造惠民生拡内需)」中華人民共和国中央人民政府HP:https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202309/content_6904844.htm (2023年11月22日確認)
(注2)藍宇蘊(2010)、「論市場化的城中村改造:以広州城中村改造為例」、『理論探討』、2010年12月、275-278頁。