Commentary
日本は力を用いて迫る中国といかに向き合うか
したたかな外交で「競争と協力」を同時に進めよ
では、中国政治の「縦軸」ともいえる、党と大衆との関係についてはどうでしょうか。習近平氏は横軸では完勝したものの、縦軸がぐらりと揺らいだと自覚しているでしょうか。
2020年以降、中国の人々はまるでジェットコースターに乗ったような目まぐるしい事態の激動を経験しました。新型コロナウイルスの流行と強権発動による抑制、オミクロン株の出現と景気の停滞、突然の統制緩和と感染の大爆発、そしてマスクをつけない生活への回帰――局面が変わるたびに、人々の状況認識は大きく揺らぎました。
習近平氏は、中国の建国に貢献した革命家(習仲勲)を父に持つ「紅二代」と呼ばれる政治家です。当初は紅二代以外に有力な人脈がなく、地方でキャリアを重ねてきたこともあって、弱い指導者になるのではないかと思われていました。しかし、反腐敗を錦の御旗に立てて権力の集中に成功した。紅二代の特徴は、革命第一世代が築いた体制について矜持あるいはオーナーシップ意識を強く持っていることです。したがって、習近平氏からすれば、「雇い人」にすぎない江沢民や胡錦濤では大胆なことはできない、自分のような創業家の人間でないと汚職腐敗対策に命を張れない。実際、そういう迫力は中国の人々に伝わってきたでしょう。
ただ、共産党政権は選挙によって国民に選ばれているわけではありません。政権のアキレス腱は支配の正統性が欠如していることです。今後、経済が落ち込んで失業者や賃金の遅配、欠配が増えたりすると、中国社会に不満のガスが溜まっていく。ゼロ・コロナ政策の下での厳しいロックダウンとその準備なき撤回がもたらした大混乱によって、人々が抱いていた習氏と体制への信頼は相当損なわれたように思います。習近平氏は、国民が政権転覆に立ち上がるカラー革命を常に警戒しています。
安全保障で競争し、経済などでは協力する総合的な戦略が必要だ
これは中国に限った話ではありませんが、大国であると自負する国の多くは自分を客観視できず、自国の行動が他国からどう見られているかについて鈍感になりがちです。いわば大国症候群とでも呼べる問題ですが、中国人は、指導者たちを含め、自分たちのイノセンスを信じているように見受けられます。習近平氏は多くの演説において、「中華民族の血の中には、他者を侵略し、覇を唱えようとする遺伝子はない」と述べています。周恩来はより客観的に、「過去に我々には膨張主義的な伝統があり、ベトナム、ビルマ、朝鮮を侵略したことがある」と語っていたのですが。
日本は今後、そのような中国とどう付き合っていくべきでしょうか。
日本は隣国ですから、中国と喧嘩ばかりしているわけにはいきません。今は、中国の否定的な面をあげつらうような本が書店に多く並んでいたり、インターネットでも感情的な議論が横行したりしています。ですが、大国症候群の「病」にかかっているように感じられる国をいたずらに批判して、それがプラスの方向に働くかどうかわからない。大事なのは、両国間の具体的な問題についての確かな知識――日本の立場がどうで、なぜそういう立場で、また中国の立場はどうで、なぜそういう立場をとるのかをよく理解しておき、できるだけ冷静かつ客観的に、事実を示しながら自分の見方を相手に伝えることです。
もちろん、中国が平和友好条約違反ととれる行為を続けていることに対し、日本は「止めろ」と言い続けるべきです。そして実力をもって行動してくる相手に対し、抑止力を強化することも必要です。ですが、競争一辺倒になっても関係を安定させ、発展させることはできません。気候変動や感染症対策など地球規模課題に共同対処することも必要ですし、とくに経済では協力関係を発展させないと日本は競争する基盤たる国力を支えられません。一方で競争しながら、他方では協力するという、相矛盾する戦略を同時に進めるしかない。安全保障では競争、経済などでは協力。日本のリーダーは中国への毅然たる態度と協調的な姿勢とを示し、どちらかに偏らないよう、幅広い権力基盤の上に立って国民を説得できる力量がなければなりません。逆に中国側から見ても同じことで、日本とは競争と協力を進めなければならない。
日本にとって、今ほどしたたかな外交を必要としている時はありません。その基盤は内政であり、国民の意識です。吉田茂は、近衛文麿から聞いた話として、ウッドロー・ウィルソン米大統領の政治補佐だったハウス大佐が、ドイツのヴィルヘルム2世に対し、「外交的勘(ディプロマティック・センス)のない国民は必ず滅ぶと戒めた」ことを著書で紹介しています(吉田茂『日本を決定した百年』中公文庫)。日本人は、今こそこの箴言を想い起こすべきでしょう。
(構成=中国学.com編集部)