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Commentary

日本は力を用いて迫る中国といかに向き合うか
したたかな外交で「競争と協力」を同時に進めよ

高原明生
東京女子大学特別客員教授
政治
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45年前の1978年10月23日、首相官邸で行われた日中平和友好条約批准書交換式で握手する黄華外相(左から2人目)と園田直外相。左端は鄧小平中国副首相、右端は福田赳夫首相(写真:共同通信IMAGE LINK)
45年前の1978年10月23日、首相官邸で行われた日中平和友好条約批准書交換式で握手する黄華外相(左から2人目)と園田直外相。左端は鄧小平中国副首相、右端は福田赳夫首相(写真:共同通信IMAGE LINK)

 しかし、1990年代初めに日中関係は大きな分岐点を迎えます。簡単にいうと、1990年代初めまでは日本が台頭し、中国は低迷していた。それ以降は逆に、中国が台頭し、日本は勢いがなくなりました。まったく対照的な国力の発展状況が出現したことが日中関係に影響を及ぼし始めました。

 日本では1991年に経済バブルが破裂した一方、1993年には自民党の長期単独政権が終焉して国内政治は漂流し始めました。中国では1992年に鄧小平が南方談話と称される改革開放推進の大号令を発し、それによって政局が一転、中国共産党は計画経済の看板を打ち捨てて社会主義市場経済体制の構築に乗り出しました。その結果、中国は高度成長の軌道に乗ります。冷戦の終焉によるグローバル化の加速と中国の市場経済は連動して発展していきます。

 また、北方の脅威であったソ連が消失したことで安全保障環境が変容しました。中国は東へ、南へと海洋進出を徐々に開始。1991年の湾岸戦争でアメリカのハイテク兵器の威力を見せつけられると、1989年から始めた国防費の前年比2ケタ増を毎年継続し、軍の近代化に注力するようになりました。

「4要因モデル」から見た2001年以降の日中関係の変容

 冒頭で、日中関係を構成する要因を「国内政治」「経済利益」「国際環境と安全保障」「国民の感情、認識とアイデンティティ」の4つに分類しましたが、私はこれを「4要因モデル」と称し、関係を分析する枠組みとして用いています。

 下の図表は、4要因モデルを用いて2001年と2022年の日中関係の変化をおおまかに図式化したものです。それぞれの楕円の大きさは日中関係全体に占める重みを、矢印は影響を与える関係を示します。

図表 4要因モデルからみる日中関係の変質

 中国は2001年にWTO(世界貿易機関)への加盟を果たし、そこからさらに経済成長を加速させましたが、同年の中国の名目GDP(国内総生産)の規模は日本の約3分の1にすぎませんでした。2001年の日中関係は基本的に経済利益を中心に成り立っていたといってよいでしょう。経済成長を大きな目標に掲げる中国は日本を含む世界経済との結びつきを強化していましたし、バブル破裂後の失われた10年に苦しむ日本にとっても中国経済との結びつきが大きな意味を持っていました。1997年のアジア経済危機を経験し、地域での協力の機運も高まっていたのです。

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