Commentary
頼清徳総統への弾劾手続きが映す台湾憲政の苦境
「副署拒否」で行政府・立法府・司法府が膠着状態に
行政院はこれに対し再審議(=覆議)の要求などの制度的手段による抵抗をしたものの、野党主導の立法院が再審議を否決したため、卓行政院長が12月15日に「憲政秩序の擁護」と題する記者会見を開いて副署拒否を表明。それによれば、「立法院による財政収支区分法の改正は、審議過程と内容が民主主義の原則と権力分立に反し、行政院の予算編成権を侵害する重大かつ明白な違憲である」とし、憲法第37条が定める行政院長の「副署権」という法にもとづいた対応だと説明した[2]。
行政院長による副署拒否は、政府が議会で成立した法律の公布を差し止めるという異常事態であり、野党は強く反発した。民衆党主席の黄国昌は、「頼清徳と卓栄泰は台湾の民主憲政を踏みにじり、憲政史に汚名を残した」と批判し、国民党立法院議員団書記長の羅智強も、「副署も執行もしないのであれば立法院の存在意義がなく、行政独裁だ」と非難している[3]。
副署拒否は憲法違反の可能性
今回の政治的混迷の根本的な原因は、民主化にともなう制度改革による半大統領制への移行過程で生じた制度的矛盾にある。こうした制度的矛盾のもとで、与野党双方が制度的権限を濫用(らんよう)することで憲政秩序を機能不全に追い込みながら、互いに「自分こそ憲法を守っている」と主張し合うジレンマが生じている。
まず、行政院長の副署拒否という今回のやり方は、結論から言えば違憲の疑いがある。確かに中華民国憲法には、「総統は法律を公布し、命令を発するにあたり、行政院長の副署を要する」と定めている(憲法37条)。行政院長の副署とは、総統が法律を公布する際に行政院長が共同で責任を負う仕組みと言えるが、行政院が立法院を牽制(けんせい)することを想定した制度ではない。実際、李登輝総統期の1990年代に、当時の総統府参軍長・蔣仲苓の人事案が、行政院長であった郝柏村の副署を得られなかったことがあるものの、現行の半大統領制が整備された1997年以降、行政院長による副署拒否は一度も発動されたことはない。
1991年に公布された憲法追加修正条文第3条の規定は、行政院が立法院に送り返した再審議の法案が立法院で再可決された場合に、行政院長が当該決議を受け入れる義務を明記している。したがって副署拒否により法案公布を阻害するのは違憲的行為だという批判は免れない。行政院側は、立法院が可決した違憲法案に署名することは行政院の違憲行為になってしまうため、副署を拒否せざるを得ないという論理を主張しているが、法案が違憲かどうかを最終的に宣告するのは憲法法廷(憲法裁判所に相当)であり、行政府が「違憲だから署名できない」として総統による法律の公布を差し止めるのは、司法権を侵すことになる。
副署制度の経緯―議院内閣制的な要素の残存と変質
中華民国憲法は元来、政治体制としては議院内閣制の制度設計だったが、民主化の過程で進んだ数度の憲法改正を経て、直接投票で選ばれる総統と、議会の信任にもとづく首相が共存する半大統領制と称されるような体制へと変化してきた。1994年の第三次憲法改正で総統・副総統の直接選挙が導入され、97年からの第四次憲法改正では立法院の権限として、行政院長任命に対する人事同意権が削除される代わりに、行政院長の不信任を決議する権限が追加され、不信任決議の可決時に総統による立法院解散権も追加された。
行政院と立法院の間の抑制と均衡の制度として中華民国憲法が整備しているのは再審議(覆議)の手続きであるが、半大統領制への制度改革の中でこの制度も変質した。もともと憲法57条には、「行政院長が再議決(出席の3分の2維持)の結果を受け入れない場合は辞職しなければならない」という規定があった。しかし、97年の追加修正条文第3条が「再審議時に、立法委員総数の2分の1以上が原案維持を決議すれば、行政院院長は当該決議を受け入れなければならない」と規定したことで、旧憲法57条の辞職規定は適用されなくなり空文化した。これにより、立法院による再議決のハードルが下がった一方で、行政院長は立法院と対立しても辞職する必要がなくなってしまった。