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Commentary

高市発言に対抗する中国の「琉球地位未定論」
「台湾地位未定論」への意趣返し

早田健文・本田善彦
『台湾通信』代表・台湾在住ライター
政治
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「琉球地位未定論」と「台湾地位未定論」は表裏の関係にあり、いずれも今後の日本、中国、台湾の関係に影響をもたらすものである。写真は蔡英文新総統(当時)の就任式典で、「台湾独立」と書かれた旗を手にする人たち。2016年5月20日(共同通信社)
「琉球地位未定論」と「台湾地位未定論」は表裏の関係にあり、いずれも今後の日本、中国、台湾の関係に影響をもたらすものである。写真は蔡英文新総統(当時)の就任式典で、「台湾独立」と書かれた旗を手にする人たち。2016年5月20日(共同通信社)

なぜ中国は、野田代表が事実上の「台湾有事」発言の撤回と評した高市首相の答弁を受け入れず、さらに批判を強めたのか。それは、この高市首相の答弁が、台湾独立の根拠として主張される「台湾地位未定論」と重なっているからだ。この点は、日本ではあまり理解されていないようだ。

「台湾地位未定論」は当初、台湾独立派が中華民国による台湾統治に反対する根拠として主張したものだ。つまり、台湾は中華民国に返還されたわけではなく、台湾が中華民国の統治を受ける必要はない、との主張の根拠にされてきた議論だ。サンフランシスコ平和条約、国連決議(「中国代表権問題」に関して1971年10月25日に採択された第26回国際連合総会2758号決議。通称アルバニア決議)、日中共同宣言のいずれにおいても、台湾の地位は明確にされていないと主張する。

当初、台湾独立派の「台湾地位未定論」は、国共内戦に敗れて1949年に中国大陸から台湾に移り、台湾で戒厳令など専制的な政治を行っていた国民党に対して反対したものであり、国民党が台湾で運営していた中華民国を否定するものだった。中国大陸の共産党政権は対象ではなかった。しかし、台湾での民主化などによって中華民国の政治情勢が変化し、一方で中国大陸が経済発展し、共産党政権が台湾に対して圧力を強めるようになると、「台湾地位未定論」の対象として中華人民共和国がクローズアップされ、現在に至っている。

中華民国であれ中華人民共和国であれ、台湾が広い意味での「中国/チャイナ」に帰属しないことを主張する「台湾地位未定論」は、現在の台湾の中華民国体制も否定することになるものである。このため、台湾内部にも賛否両論があり、しばしば議論の対象となっており、台湾での世論の総意になっているわけではない。台湾の世論は8割以上が広い意味の現状維持であり(注8)、現状維持とは中華民国体制を容認することを意味する。現在の中国大陸との統合を拒否することと、台湾独立は、イコールではない。

台湾は10月25日を「台湾光復節」として祝日に定めている。1945年10月25日、台北公会堂(現在の中山堂)で「中国戦区台湾省受降式典」が挙行され、台湾は日本の台湾総督府から、中華民国台湾省行政長官公署に移管された。

ところが、台湾光復80周年に当たる2025年10月25日の台湾光復節の当日、民進党の頼清徳総統は台湾光復節について一言も触れることがなかった。そして、民進党の徐国勇秘書長(幹事長に相当)は、「台湾光復節などというものはない」と発言し、大きな論争を引き起こした。徐国勇秘書長は、「台湾は台湾であり、台湾と中国は相互に隷属しない」とも語っている。台湾光復節の否定は、台湾が中国からやって来た中華民国に接収されたことは不当だとする、「台湾地位未定論」に基づく主張だと言える。これが民進党の基本的な姿勢であり、民進党政権とその支持者たちが高市首相の発言を歓迎する原因の一つとなっている。

一方、これに対して中国は全国人民代表大会(国会に相当)常務委員会会議が10月25日を「台湾光復記念日」に定めることを決定し、2025年10月25日の当日には「台湾光復80周年記念大会」を開催した。この動きを台湾では、「台湾地位未定論」に対する中国からの反撃だと受け止めている。

問われるサンフランシスコ平和条約と日中共同声明との整合性

さて、台湾独立派が主張する「台湾地位未定論」の根拠の一つであるサンフランシスコ平和条約だが、問題となるのはその第2条だ。ここでは、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とだけ述べている。日本が台湾を放棄した後、どこが接収するのかは定めていない。このため、国際的に台湾は中華民国に返還されたわけではなく、台湾の位置は未定だ、との論理である。日本を接収した中華民国、そして中華民国と交代して国連における中国の代表権を掌握した中華人民共和国のいずれも、この主張を認めていない。

高市首相は国会答弁で、このサンフランシスコ平和条約を持ち出してきたのであるから、日中関係はさらに悪化する。その後、高市首相はサンフランシスコ平和条約からさらにトーンダウンして、12月3日の参議院本会議で、1972年の日中共同声明(「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」)での日本の立場に、「一切の変更はない」と述べた。

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