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Commentary

著者に聞く⑪――家近亮子さん
『蔣介石――「中華の復興」を実現した男』(筑摩書房、2025年8月)

家近亮子
敬愛大学国際学部客員名誉教授
政治
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著者が蔣介石の個人研究を始めた動機の一つには、2番目の正妻であった陳潔如の存在を蔣の人生の中に位置づけ、明らかにしなければならないという使命感にも似た思いがあった。写真は台北で開かれた「蔣介石日記」の発表会。2023年10月31日(共同通信社)
著者が蔣介石の個人研究を始めた動機の一つには、2番目の正妻であった陳潔如の存在を蔣の人生の中に位置づけ、明らかにしなければならないという使命感にも似た思いがあった。写真は台北で開かれた「蔣介石日記」の発表会。2023年10月31日(共同通信社)

1952年9月18日に張群は総統代理として昭和天皇と会見しましたが、その時天皇は「『蔣介石総統は終戦時、以徳報怨の声明を発表されたが、その寛大なる精神に人々は今なお感激している。今回の平和条約が締結できたのも蔣総統のこの精神によるものである』と述べられた」と著書『日華・風雲の70年』(サンケイ出版、1980年)の中で明らかにしています。

蔣には多くの信頼できる日本人がいました。特に宮崎滔天、梅谷庄吉、犬養毅などは心から尊敬していたようです。宮崎の息子の龍介とは親友で、一緒に温泉に入り、海釣りをしたりしています。また、千葉県にあった梅谷の別荘には何度か宿泊し、やはり釣りを楽しんでいたようです。そのため、別荘の跡地があるいすみ市には「以徳報怨の碑」が建てられています(写真)。最も尊敬していた政治家が犬養です。犬養に対する信頼は大きく、満洲事変で東北の主要部が占領された後も、それが日本政府全体の意図ではなく、一部の軍人の「猪突的行動」と認識し続けたのは、満洲事変3か月後に誕生した犬養政権に対する期待があったからでした。したがって、犬養が1932年の5・15事件で暗殺されたことを知った時は、大きな衝撃を受けたようです。

「以徳報怨の演説」につながった蔣介石の持論である「戦争責任二分論」は、自らが培った信頼できる日本人との関係を基盤にしていると思います。

「以徳報怨の碑」と著者。2003年(著者提供)

問8 最後に、この記事をご覧の方に、特にこれから中国近代史を研究したいと考えている学生さん(大学生、大学院生)にメッセージをお願いします。

(家近)歴史研究を大いに楽しんでもらいたいと思います。

歴史研究のテーマはまだまだ無限にあると思います。重要なことは、一次史料を大切に丹念に読むこと、そこから疑問を引き出し、自分で分析する目を養うことかと思います。そのためには研究史の整理は欠かせない作業だと思います。また、歴史の現場を訪ねることもこれまで私は必ず行ってきました。ただ、現在、中国に調査に行くことはなかなか難しくなっています。その場合は先達たちが行った調査を参照すれば良いと思います。戦前の日本の中国研究は、資料の宝庫だと思います。また、日本国内にも中国近代史の歴史現場はたくさんありますし、戦前の新聞・雑誌も多くの情報を提供してくれます。

是非、頑張って欲しいと思います。もし、お時間があったら、YouTubeチャンネル「家近亮子の歴史百景」をご覧ください。本には出し切れなかった写真などを紹介していく予定です。

『蔣介石』の表紙(筑摩書房HPより)
『蔣介石』の表紙(筑摩書房HPより)

家近さん、ありがとうございました。この記事をご覧になって、蔣介石という、日本とも関わりの深い中国の指導者に興味を持たれた方は、ぜひ『蔣介石――「中華の復興」を実現した男』を手に取ってみてください。

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