Commentary
習近平政権下で「抗日戦争」研究はどう変わったのか
専門誌の分析から浮かび上がる両義性

(1)論文テーマ(主体レベル)への影響
まず、習近平政権の抗日戦争に関する言説の変化が、研究テーマに与える影響を観察する。ここでは、①主体レベル、すなわち、共産党、国民党、日本および日本に協力した汪兆銘政権や満洲国などの傀儡(かいらい)政権(以下「傀儡」と略する)のどの政治的実体の事績や行為をメインに扱うかという問題と、②イシューレベル、すなわち、経済、軍事、政治、社会など、どのような領域をメインに扱うかという問題に分けて考察する。(なお、分析の細かな手法や分析結果を表す図表などに関心のある方は、文中に示すリンク先のページをご参照いただきたい。)
習近平政権は近年、抗日戦争における共産党の貢献をより強調しようと試みている。それが研究業界にも影響を与えているとすれば、一つには、共産党の事績を扱う論文の割合が増加し、反対に国民党や日本・傀儡の事績や行為を扱う論文が減少することとして表れると予測できる。では実際、共産党、国民党、日本・傀儡それぞれに強く関連するワード(資料1:https://x.gd/txkvt)をタイトルないしキーワードに含む論文の割合は、「7.30講話」の前後でどのように変化しただろうか。
分析の結果、共産党を主題とする論文は「7.30講話」前後で1.62ポイント増(21.70%→23.32%)、国民党も1.63ポイント増(33.19%→34.82%)、日本・傀儡は0.95ポイント減(8.94%→7.99%)となった(資料2:https://x.gd/T9axB)。やや意外に思われるが、少なくとも『抗日戦争研究』をみるかぎり、「7.30」講話以後に、共産党に関係する研究が明確に増加したとはいえない。
(2)職位(世代)による研究テーマ選択の差異
では、どのような人が共産党研究を選択し、あるいは国民党、日本・傀儡研究を選択しているだろうか。次に、教授クラス、准教授・講師クラス[12]、学生・ポスドククラスそれぞれが、共産党、国民党、日本・傀儡のいずれを主題とする論文を多く執筆しているかをみてみよう。
分析の結果によれば、「7.30講話」後に発表された教授クラスの論文のうち、共産党を主題とする論文は24.12%、国民党は19.54%、日本・傀儡は10.34%であった。対して、学生・ポスドククラスは共産党20%、国民党43.16%、日本・傀儡7.37%となった。つまり、教授クラスのほうが、共産党を主題とした論文を執筆する割合が高く、学生・ポスドクの投稿者は、国民党などを主題として扱う割合が高い。また、「7.30講話」前の論文を対象に行った同じ分析の結果と比較するとき、共産党主題論文の増加(20.22%→24.14%)と国民党主題論文の減少(27.87%→19.54%)が最も顕著なのは教授クラスの研究者であった(資料3:https://x.gd/OvRHI)。
この検証結果をどのように解釈すべきか。憶測の域を出ないが、習近平政権の「党史」の重視と「歴史ニヒリズム(歴史的虚無主義)」の否定とが、研究者の視点からみて相反関係にある可能性がある。歴史ニヒリズムとは、中国共産党が中国の政権を担う歴史的必然性を否定する記述ないし思想傾向、ありていにいえば、党の公式見解から逸脱する歴史の叙述を指す[13]。しかし、とりわけ多くの若手研究者にとっては、どのような記述が歴史ニヒリズムに該当するか、判断することは難しい。与えられた期間内に有力雑誌に多数の論文を掲載することが求められる若手研究者に、そのような政治的リスクのために論文発表を躊躇(ちゅうちょ)する時間はない。このことが、とくに若手研究者のなかで依然として、共産党よりは国民党を主題とする論文を執筆する傾向が強いことの一因となっているのではないか。そうであれば、党からすればきわめて皮肉な結果といえる。