Commentary
習近平はどのように「個人支配化」を進めたのか
反腐敗闘争で政敵排除、毛沢東に並ぶ「領袖」へ
2012年の習近平政権発足当時、習近平は権力基盤が弱く、安定的な政権運営が難しいと思われていた。2期10年の最高指導者の定期的な交代が定着した結果、総書記が健康な状態で気力を残したまま退任するようになった。習近平政権では、江沢民と胡錦濤の2人の元総書記が健在であり、習近平は彼らの介入に悩まされると予想された。しかし、2012年の政権発足以来、習近平は権力集中に成功し、2022年の第20回党大会を経て、総書記に留任し、異例の第3期政権に突入した。共産党の最高指導部たる政治局常務委員会に後継者と目される人物はおらず、2027年の第21回党大会でも習近平が留任する可能性が高いと広く認識されている。
10年に及ぶ習近平政権を経て、中国のエリート政治の生態は大きく変化した。68歳定年制の不文律はおおむね維持されながらも、習近平、張又侠、王毅などの例外が生じている。江沢民や胡錦濤に連なる人脈はほとんど存在感を失い、政治局は習近平に忠誠を誓う人物で固められた。鄧小平時代から定着してきた集団指導体制は形を残しながら、実態としては急速に個人支配体制に転化しつつある。
習近平はさまざまな側面から、効率的に権力と権威を強化し、制度を変え、自らの地位を高めてきた。本稿では、習近平体制下において、どのように個人支配化が進められてきたのかを整理する。
鶏を殺して猿に見せつける「反腐敗闘争」
習近平がまず取り組んだのは、汚職腐敗の取り締まりだった。習近平は就任直後の政治局集団学習会で早速「腐敗問題が深刻になれば、最終的には必然的に亡党亡国となってしまう」と腐敗に対する危機感を表した(注1)。2013年1月には、「虎もハエも叩く」と言って反腐敗闘争の火蓋が切られた(注2)。
従来、汚職腐敗を司る中央規律検査委員会はさほど存在感を持っていなかったが、習近平はこの組織を存分に利用し、腐敗の咎(とが)で政敵を次から次に排除していった。党では江沢民に近いとされる周永康元政治局常務委員とそれに連なる石油部門、政法部門、四川省関係者が次々と摘発を受けた。軍では、胡錦濤政権で制服組トップの中央軍事委委員会副主席を務め、江沢民と近いとされる徐才厚と郭伯雄の2人が摘発された。胡錦濤前総書記に近い人物では、側近として知られる令計画元中央弁公庁主任も失脚した。
第1期政権の終盤では、第6世代の最高指導者有力候補とされた孫政才(当時重慶市党委員会書記)を摘発した。第2期政権でも摘発の手を緩めることなく、かつて周永康が掌握していた政法部門(公安、司法など)を再度重点として、孟宏偉公安部副部長、孫力軍公安部副部長、傅政華前司法部長など、次々と高級幹部を摘発した(注3)。
反腐敗闘争は、単に政敵を排除したのみならず、他の政治エリートに対する「殺鶏儆猴(鶏を殺して猿に見せつける)」の威嚇効果もあった。また、失脚者の後釜には習近平に近い人物が据えられ、同時に習近平勢力の拡張も進められた。
習近平は、自らの追従者を次々に抜てきすることにも成功し、党中央に大勢力を築き上げた。
第1期政権当初、習近平の仲間は中央指導部に多くはなかった。しかし、中央規律検査委員会書記となった王岐山は文化大革命中、延安に下放された時期以来の古い友人だった(注4)。軍には劉少奇元国家主席の息子の劉源がおり、総後勤部の政治委員を務めていた。王岐山と劉源が党内・軍内で反腐敗闘争を推し進め、政敵排除に貢献した。
同時に、習近平は古い友人や部下の抜擢も着々と進めていた。総書記就任当初、そうした部下は多くが中央候補委員やヒラの党員だったが、彼らを各部門の副部長などに引き上げていった。例えば、清華大学時代のルームメイトの陳希は中央組織部副部長に、福建省と浙江省時代の部下だった黄坤明は中央宣伝部副部長に、上海市時代の秘書だった丁薛祥は中央弁公庁副主任になった。
こうした古い友人や部下は2017年の党大会で大挙して政治局に昇進し、習近平は一大勢力を形成した。側近の栗戦書は最高指導部である政治局常務委員会入りを果たし、全人代常務委員長となった。政治局でみれば、党の重要部門である中央弁公庁主任を丁薛祥、中央宣伝部長を黄坤明、中央組織部長を陳希が掌握した。政府である国務院でも、古い友人である劉鶴が経済・金融担当の副総理となった。重要地方の党委員会書記には、蔡奇(北京)、李強(上海)、陳敏爾(重慶)などの側近が配置された。広東の李希や天津の李鴻忠も習近平とは直接的な縁故がないながらも、習近平に忠誠を誓った人物だ。軍についても、張又侠(中央軍事委員会副主席)は習近平と関係が深く、もう1人の中央軍事委員会副主席である許其亮も習近平が抜擢した人物だ。習近平の古い部下は、それまで江沢民と胡錦濤によって育成されてきた人材をごぼう抜きにして、急速に台頭した。
2022年以降の第3期政権では、政治局委員になった部下のうち、比較的に若い李強、蔡奇、丁薛祥が最高指導部入りを果たした。今や政治局常務委員会にも政治局にも習近平と明らかに距離を置く人物はいない。
「領導小組」を掌握し、政策における指導力を発揮
個人支配体制においても、権力者は制度を無視するわけではない。むしろ権威主義的制度を利用して、政策過程における自らの影響力を高める(注5)。習近平も例外ではない。
中国の政策過程は「断片化した権威主義(fragmented authoritarianism)」として知られ、分権的な特徴を有してきた(注6)。胡錦濤政権は集団指導体制のピークであり、「九龍治水」と呼ばれるほど政治局常務委員がそれぞれの担当領域において排他的な権力を有していたという(注7)。
この権力分散が政治の停滞をもたらし、それに対する反省として、習近平の権力集中が進められた。習近平はさまざまな肩書きをかき集め、「万能主席(chairman of everything)」などとも呼ばれた(注8)。中でも習近平がとくに重視したのは、議事協調機構と呼ばれる組織である。1950年代に「領導小組」として作られ、さまざまな政策領域において、部局横断的なプラットフォームとして政策の調整の役割を果たしてきた。習近平は自らがさまざまな領導小組の主任に就き、政策における指導力を発揮した。一般的に「トップレヴェル・デザイン(頂層設計)」と呼ばれる(注9)。
習近平は単に既存の領導小組を重視したにとどまらない。中央国家安全委員会、中央全面改革深化領導小組など新たな組織を作り、大きな権限を持たせた。さらに、2018年には、「党と国家機構改革」を断行し、名目上アドホックな存在だった既存の領導小組を常設の委員会に改組・格上げした。中央全面改革深化委員会や中央財経委員会などは活発な活動を見せている(注10)。
習近平は、ほかにも制度を改革あるいは新設していった。例えば、各部門の幹部が党中央と習近平総書記に対して年1回書面によって職務報告を行うことが義務づけられた(注11)。当然、総書記はそれらの報告を評価する立場にある。あからさまな上下関係を見せつけられる構図となり、習近平の優越的な地位を確認することとなった。
また、幹部選抜任用制度も改革され、優れた幹部は(1)確固とした理念を持ち、(2)人民に奉仕し、(3)政務に勤勉で実務に励み、(4)果敢に重責を担い、(5)清廉公正でなければならないという5つの基準を提示した(注12)。GDP成長率などの業績よりも、忠誠心や政治的立場をより重視するというのだ。権力強化を制度面で保障することの重要性を習近平はよく理解していた。
「核心」の地位を手に入れ、自らの思想が党規約に
習近平は人脈や制度のみならず、自らの権威を高めることにも熱心だった。1つの重要な画期は、党中央の「核心」という地位の獲得だろう。
「核心」はかつて鄧小平が江沢民を総書記に選んだ際に、その権威を高めるために用いた言葉である。胡錦濤は10年の在任期間中、「核心」と呼称されず、最高指導者としての権威が限定的であった。「核心」は制度的なものではなく、それによって新たに得られる権限はない。しかし、「核心」という地位が公式化されることで、名実ともに党の最高指導者であることが広く認められたと考えられるだろう。
2016年春、地方指導者を中心に、婉曲的ながら習近平を「核心」に位置づけようとする動きが見られたが、中央で十分な支持が広がらず、いったんは頓挫した。しかし、習近平はあきらめることなく、2016年秋の六中全会で党中央の「核心」としての地位を正式に獲得した。内情は不明ながら、おそらく党中央で習近平を支持する栗戦書や趙楽際などが根回ししながら、中央委員会の多数を占める地方指導者の支持を糾合して、決定に持ち込んだものと思われる。
2017年の党大会時には、「習近平による新時代中国の特色ある社会主義思想」なるものが党規約に盛り込まれた。中国の指導者にはそれぞれの代名詞となる政治思想がある。「毛沢東思想」、「鄧小平理論」、江沢民の「3つの代表重要思想」、胡錦濤の「科学的発展観」と続き、習近平は鄧小平以来となる自らの名前を冠した思想を盛り込むことに成功した。しかも、江沢民や胡錦濤は総書記退任時にやっと自らの思想を党規約に盛り込んだが、習近平は2期目の始まりの段階で早々と達成したのだ。習近平の権威が高まったことを反映しているといえよう。
第2期政権では、当初習近平の個人崇拝キャンペーンが展開された。文化大革命中に過ごした延安の梁家河村は革命聖地のように扱われ、習近平を讃える動きが広がった。2018年前半には、それに対する揺り戻しもあったが(注13)、習近平政権は大きくは動揺しなかった。
2021年の中国共産党結党100周年に際しては、歴史上3つ目となる「歴史決議」を採択した。1945年に毛沢東が中心となって採択した「歴史決議」は陳独秀や王明など歴代指導者の誤りを総括し、毛沢東の指導的地位を正当化する文書だった。1981年に鄧小平が中心となって採択した「歴史決議」は文化大革命の誤りを総括し、それを克服した鄧小平の指導的地位を正当化する文書だった。習近平による「歴史決議」は1989年の六四天安門事件などを総括することなく、党の100年の栄光の歴史を讃える文書となった。しかも、江沢民と胡錦濤の時代を改革・開放の延長線上に位置づける一方で、自らの治世を「新時代」として、毛沢東、鄧小平と並べた。中国では、歴史を語る力を持つ者こそが権力者である。習近平は党の歴史を自らの意に沿って語ることで、自らの権力を見せつけた。
2022年の党大会に向けては、「2つの確立」、すなわち「習近平の核心的地位と習近平の思想の指導的地位を確立する」ことが唱えられ、党規約に盛り込まれると予想されたが、それは実現しなかった。また、同時に「人民の領袖」という尊称も公式的に採択されるとの見方もあったが(注14)、それも実現しなかった。中国共産党史上、「領袖」と呼ばれたのは「偉大な領袖」だった毛沢東と「英明な領袖」と一時期呼ばれた華国鋒の2人のみである。習近平が「領袖」としての地位を獲得すれば、毛沢東に並ぶこととなる。現状、党の正式決定は行われていないものの、党のメディアでは頻繁に「人民の領袖」が使われている状況である(注15)。今後、この尊称が正式に付与される可能性は十分にある。
習政権は少なくとも2032年までは続く
習近平の指導的地位は現在のところ、動揺を見せていない。また、2027年の党大会時に退任する気配もない。習近平政権が今後長期にわたって続く可能性が高いことを前提として、今後の展望としていくつか重要な論点を挙げておきたい。
第1に、党主席の役職について。習近平は、1つずつハードルを乗り越えて、ここまで権力を強化してきた。残る最大のハードルは党主席の復活である。党主席は総書記に比べても、広範な権限を有し、高い権威を誇ると考えられている。習近平は果たして党主席になるのか、なるとすればそれはいつになるのか。この点は今後の中国のエリート政治で最も注目される点となるだろう。
第2に、習近平はいつ退任するのか。2期10年という従来の慣習は打破された。もはや習近平が終身最高指導者となることを止めるメカニズムはない。筆者は従来、習近平が終身指導者になるという見方に対しては慎重な立場である(注16)。それは習近平にその意志がないと主張しているのではなく、依然として終身制のハードルは高いと考えているからだ。
個人支配化が進んだことで、習近平の政策過程における役割が一層高まり、政策の硬直化リスクは高まっている。政策が失敗すれば、その責任を取らなければならない。また、敵対勢力はいなくなったものの、習近平派が巨大になったゆえ、内部分裂のリスクも高まっている。さらに、権力交代のタイミングが流動的になったため、かつて毛沢東や鄧小平も悩まされた後継者問題も大きなリスクとして浮上する。現状、中国は内外に多くの課題を抱えており、潜在的な不満も決して小さくはない。それらをはねのけ、権力闘争に勝利し続けなければならない。生命の最後の瞬間まで、自らの地位を守ることは容易ではない。しかし、現状、習近平政権は動揺しておらず、大きな問題が生じなければ、少なくとも2032年までは続くだろうというのが広く共有されている見方だ。
習近平の権力強化、個人支配化が進むにつれて、中国の政治は予測可能性を低下させている。しかも、デジタル化とグローバル化の時代でありながら、中国は情報公開に消極的であり、さまざまな理由によって、外国との交流(とくに学術交流)が減っている現状もある。中国を知ることは一層難しくなっている。しかし、国際社会、国際政治における中国の重要性は否定しえない。観察者は、冷静かつ客観的に中国の現状に注視し、その内実を理解する努力を続けなければならない。
(注1)習近平「緊緊囲繞堅持和発展中国特色社会主義 学習宣伝貫徹党的十八大精神」『習近平談治国理政』北京、外文出版社、2014年、16頁。
(注2)習近平「把権力関進制度的籠子里」『習近平談治国理政』388頁。
(注3)高田正幸「中国、公安幹部ら粛清 体制引き締め活発 前司法相失脚」『朝日新聞』2021年10月4日。
(注4)「王岐山的知青歳月:与習近平交好 同蓋一床被子」鳳凰網、2013年9月8日(http://hb.ifeng.com/news/focus/detail_2013_09/08/1198995_2.shtml)。習近平自身も、王岐山のことをよく知っていると過去の回顧文で述べている。習近平「我是黄土地的児子」『西部大開発』2012年第9期、112頁。
(注5)Dan Slater, “Iron Cage in an Iron Fist: Authoritarian Institutions and the Personalization of Power in Malaysia,” Comparative Politics, Vol. 36, No. 1, 2003, pp. 81-101.
(注6)Kenneth Lieberthal and Michel Oksenberg, Policy Making in China: Leaders, Structures, and Processes, Princeton: Princeton University Press, 1988.
(注7)角崎信也「習近平政治の検証④:集権のジレンマ 習近平の権力の現状と背景(下)」日本国際問題研究所、2018年2月16日(https://www.jiia.or.jp/column/ChinaReport09.html)。
(注8)Javier C. Hernández, “China’s ‘Chairman of Everything’: Behind Xi Jinping’s Many Titles,” The New York Times, 25 October 2017 (https://www.nytimes.com/2017/10/25/world/asia/china-xi-jinping-titles-chairman.html)
(注9)トップレヴェル・デザインについては、角崎信也「「頂層設計」師としての習近平― 中央全面深化改革領導小組/委員会を焦点としたその制度分析」『東亜』2021年12月号、76-83頁を参照。
(注10)ただし、中央国家安全委員会、中央外事工作委員会など活動の実態が見えない組織も多く、改革の成果は現状では評価できない。李昊「習近平政権における党の領導の「強化」」日本国際問題研究所編『習近平政権研究』日本国際問題研究所、2023年、15-26頁を参照。
(注11)「向党中央和習近平総書記述職」新華毎日電訊、2023年3月3日(http://www.news.cn/mrdx/2023-03/03/c_1310701345.htm)。
(注12)高原明生「中国の幹部選抜任用制度をめぐる政治」加茂具樹、林載桓編著『現代中国の政治制度 時間の政治と共産党支配』慶應義塾大学出版会、2018年、131-148頁。
(注13)冨名腰隆「習氏崇拝、批判が噴出 党宣伝部、直接的な礼賛を抑制」『朝日新聞』2018 年 8 月5 日、延与光貞「習指導部、強国宣伝を修正 党内の不満抑え込む 北戴河会議終了」『朝日新聞』2018年8月18日。
(注14)『一個領袖至関重要』料成宣伝定式」『明報』2022年7月12日。
(注15)例えば、「人民領袖 実幹家習近平」人民網、2023年8月9日(http://www.xinhuanet.com/politics/2018lh/xjplhsj/index.htm)。
(注16)李昊「3期目をにらむ習近平集権体制の不安―中国」『e-World premium』2020年4月号、20-23頁。