Commentary
習近平はどのように「個人支配化」を進めたのか
反腐敗闘争で政敵排除、毛沢東に並ぶ「領袖」へ
習近平は単に既存の領導小組を重視したにとどまらない。中央国家安全委員会、中央全面改革深化領導小組など新たな組織を作り、大きな権限を持たせた。さらに、2018年には、「党と国家機構改革」を断行し、名目上アドホックな存在だった既存の領導小組を常設の委員会に改組・格上げした。中央全面改革深化委員会や中央財経委員会などは活発な活動を見せている(注10)。
習近平は、ほかにも制度を改革あるいは新設していった。例えば、各部門の幹部が党中央と習近平総書記に対して年1回書面によって職務報告を行うことが義務づけられた(注11)。当然、総書記はそれらの報告を評価する立場にある。あからさまな上下関係を見せつけられる構図となり、習近平の優越的な地位を確認することとなった。
また、幹部選抜任用制度も改革され、優れた幹部は(1)確固とした理念を持ち、(2)人民に奉仕し、(3)政務に勤勉で実務に励み、(4)果敢に重責を担い、(5)清廉公正でなければならないという5つの基準を提示した(注12)。GDP成長率などの業績よりも、忠誠心や政治的立場をより重視するというのだ。権力強化を制度面で保障することの重要性を習近平はよく理解していた。
「核心」の地位を手に入れ、自らの思想が党規約に
習近平は人脈や制度のみならず、自らの権威を高めることにも熱心だった。1つの重要な画期は、党中央の「核心」という地位の獲得だろう。
「核心」はかつて鄧小平が江沢民を総書記に選んだ際に、その権威を高めるために用いた言葉である。胡錦濤は10年の在任期間中、「核心」と呼称されず、最高指導者としての権威が限定的であった。「核心」は制度的なものではなく、それによって新たに得られる権限はない。しかし、「核心」という地位が公式化されることで、名実ともに党の最高指導者であることが広く認められたと考えられるだろう。
2016年春、地方指導者を中心に、婉曲的ながら習近平を「核心」に位置づけようとする動きが見られたが、中央で十分な支持が広がらず、いったんは頓挫した。しかし、習近平はあきらめることなく、2016年秋の六中全会で党中央の「核心」としての地位を正式に獲得した。内情は不明ながら、おそらく党中央で習近平を支持する栗戦書や趙楽際などが根回ししながら、中央委員会の多数を占める地方指導者の支持を糾合して、決定に持ち込んだものと思われる。
2017年の党大会時には、「習近平による新時代中国の特色ある社会主義思想」なるものが党規約に盛り込まれた。中国の指導者にはそれぞれの代名詞となる政治思想がある。「毛沢東思想」、「鄧小平理論」、江沢民の「3つの代表重要思想」、胡錦濤の「科学的発展観」と続き、習近平は鄧小平以来となる自らの名前を冠した思想を盛り込むことに成功した。しかも、江沢民や胡錦濤は総書記退任時にやっと自らの思想を党規約に盛り込んだが、習近平は2期目の始まりの段階で早々と達成したのだ。習近平の権威が高まったことを反映しているといえよう。
第2期政権では、当初習近平の個人崇拝キャンペーンが展開された。文化大革命中に過ごした延安の梁家河村は革命聖地のように扱われ、習近平を讃える動きが広がった。2018年前半には、それに対する揺り戻しもあったが(注13)、習近平政権は大きくは動揺しなかった。