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Commentary

習近平はどのように「個人支配化」を進めたのか
反腐敗闘争で政敵排除、毛沢東に並ぶ「領袖」へ

李昊
東京大学大学院法学政治学研究科准教授、日本国際問題研究所研究員
政治
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国を動かす共産党の強いリーダーとして3期目に入った習近平総書記(2022年10月、写真=共同通信IMAGE LINK)
中国を動かす共産党の強いリーダーとして3期目に入った習近平総書記(2022年10月、写真=共同通信IMAGE LINK)

 習近平は、自らの追従者を次々に抜てきすることにも成功し、党中央に大勢力を築き上げた。

 第1期政権当初、習近平の仲間は中央指導部に多くはなかった。しかし、中央規律検査委員会書記となった王岐山は文化大革命中、延安に下放された時期以来の古い友人だった(注4)。軍には劉少奇元国家主席の息子の劉源がおり、総後勤部の政治委員を務めていた。王岐山と劉源が党内・軍内で反腐敗闘争を推し進め、政敵排除に貢献した。

 同時に、習近平は古い友人や部下の抜擢も着々と進めていた。総書記就任当初、そうした部下は多くが中央候補委員やヒラの党員だったが、彼らを各部門の副部長などに引き上げていった。例えば、清華大学時代のルームメイトの陳希は中央組織部副部長に、福建省と浙江省時代の部下だった黄坤明は中央宣伝部副部長に、上海市時代の秘書だった丁薛祥は中央弁公庁副主任になった。

 こうした古い友人や部下は2017年の党大会で大挙して政治局に昇進し、習近平は一大勢力を形成した。側近の栗戦書は最高指導部である政治局常務委員会入りを果たし、全人代常務委員長となった。政治局でみれば、党の重要部門である中央弁公庁主任を丁薛祥、中央宣伝部長を黄坤明、中央組織部長を陳希が掌握した。政府である国務院でも、古い友人である劉鶴が経済・金融担当の副総理となった。重要地方の党委員会書記には、蔡奇(北京)、李強(上海)、陳敏爾(重慶)などの側近が配置された。広東の李希や天津の李鴻忠も習近平とは直接的な縁故がないながらも、習近平に忠誠を誓った人物だ。軍についても、張又侠(中央軍事委員会副主席)は習近平と関係が深く、もう1人の中央軍事委員会副主席である許其亮も習近平が抜擢した人物だ。習近平の古い部下は、それまで江沢民と胡錦濤によって育成されてきた人材をごぼう抜きにして、急速に台頭した。

 2022年以降の第3期政権では、政治局委員になった部下のうち、比較的に若い李強、蔡奇、丁薛祥が最高指導部入りを果たした。今や政治局常務委員会にも政治局にも習近平と明らかに距離を置く人物はいない。

「領導小組」を掌握し、政策における指導力を発揮

 個人支配体制においても、権力者は制度を無視するわけではない。むしろ権威主義的制度を利用して、政策過程における自らの影響力を高める(注5)。習近平も例外ではない。

 中国の政策過程は「断片化した権威主義(fragmented authoritarianism)」として知られ、分権的な特徴を有してきた(注6)。胡錦濤政権は集団指導体制のピークであり、「九龍治水」と呼ばれるほど政治局常務委員がそれぞれの担当領域において排他的な権力を有していたという(注7)

 この権力分散が政治の停滞をもたらし、それに対する反省として、習近平の権力集中が進められた。習近平はさまざまな肩書きをかき集め、「万能主席(chairman of everything)」などとも呼ばれた(注8)。中でも習近平がとくに重視したのは、議事協調機構と呼ばれる組織である。1950年代に「領導小組」として作られ、さまざまな政策領域において、部局横断的なプラットフォームとして政策の調整の役割を果たしてきた。習近平は自らがさまざまな領導小組の主任に就き、政策における指導力を発揮した。一般的に「トップレヴェル・デザイン(頂層設計)」と呼ばれる(注9)

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