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Commentary

止まらない反腐敗闘争と動揺する人民解放軍
習近平の圧力強化が危険水準に?

李昊
東京大学大学院法学政治学研究科准教授、日本国際問題研究所研究員
政治
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一連の汚職腐敗摘発によって失脚した将軍の多くは、習近平が抜擢、重用してきた者たちであるが、任命者責任があるにもかかわらず、習近平自身は何ら反省を見せていない。写真は全人代の閉会式に出席するため、北京の人民大会堂に向かう人民解放軍の代表ら。2025年3月11日(共同通信社)
一連の汚職腐敗摘発によって失脚した将軍の多くは、習近平が抜擢、重用してきた者たちであるが、任命者責任があるにもかかわらず、習近平自身は何ら反省を見せていない。写真は全人代の閉会式に出席するため、北京の人民大会堂に向かう人民解放軍の代表ら。2025年3月11日(共同通信社)

習近平の勢いが止まらない。就任以来、もはや代名詞となっている反腐敗闘争は、第三期政権になってなお、高い強度で続けられている。第一期政権(2012~2017年)では石油部門、第二期政権(2017~2022年)では公安、司法などの政法部門が、そして2022年以来の第三期政権では、軍がターゲットとなっている。2023年から軍の高官の失脚が相次ぎ、軍の安定性と実力に対して海外メディアから疑問が呈されている。

相次ぐ軍高官の摘発

習近平政権の安定的な権力基盤と不安定な政治運営という特徴は、筆者は繰り返し指摘してきたところである〔編集部:習近平の不安定な政権運営などを参照〕。魏鳳和、李尚福と二代連続での国防部長の失脚、ロケット軍指導部の更迭はすでに言及したところだが、軍高官の摘発はとどまるどころか、さらなる拡大を見せている。一時フィナンシャル・タイムズに報じられた董軍国防部長の失脚は、実際に取り調べを受けた可能性はあるが、結果的に発生しなかった。その後、習近平の信頼する軍幹部の一人と目されていた苗華(中央軍事委員会委員、政治工作部主任)が職務停止の上、取り調べを受けていると発表された。続報がなく、最終的な処分はまだ不明だが、習近平の軍運営に大きな影響を及ぼすことは間違いない。

実は、上に挙げた数人にとどまらず、反腐敗闘争の摘発はいっそう拡大している。党や軍による処分は明らかにされていないものの、全国人民代表大会(全人代=国会に相当)代表の職務から解任された軍幹部は十数人に上っている。その中には空軍前司令員丁来杭、ロケット軍元司令員周亜寧、中央軍事委員会聯合参謀部副参謀長の張振中なども含まれている。さらに、何ら公式のアナウンスはないものの、本来出席すべき活動に姿を現していない高級幹部が複数人おり、事実上失脚した可能性が高いと思われる。陸軍司令員李橋銘、武装警察司令員王春寧、海軍政治委員袁華智、陸軍前政治委員秦樹桐ら、いずれも上将(大将)という軍の最高階級の大物である。とりわけ注目すべきは制服組ナンバー2である中央軍事委員会副主席を務める何衛東である。全人代閉幕以来、公の場に現れておらず、恒例の植林活動や、中央周辺工作会議などに不自然に欠席している。何らかの問題を抱えていることはほぼ間違いなく、失脚の可能性が高まっている。

このように、陸海空ロケット各軍種はもちろんのこと、政治部門、参謀部門、装備部門、さらには武装警察まで含めてさまざまな部門にわたって、高級幹部が続々と失脚している。特に集中的に標的になっているのは、武器調達に関わる装備部門とロケット軍であり、ロケット軍に至っては、2015年の設立以来三代の司令員がことごとく摘発されている。現在軍において進められている腐敗摘発は驚くべき規模である。

習近平に対する挑戦か

人民解放軍の中で一体何が起きているのか。秘密主義の中国においても、軍はとりわけ情報が少なく、実情は不明である。そのせいかさまざまな見方が生じているが、特に、軍内で習近平に対する挑戦が発生しているという観測が広がっている。これまで習近平に近いと考えられていた苗華の失脚が一つの根拠となりうるが、現時点では推測の域を出ていない。苗華と習近平については、福建・浙江・江蘇省を含む旧南京軍区(現東部戦区)でキャリア上の接点があったことと、これまでの苗華の重用ぶりを考えるに、深い信頼関係があったことは間違いないだろう。しかし、かつて毛沢東が深く信頼していた劉少奇や林彪と袂(たもと)を分かったように、個人間の実際の関係は変化するし、それは外部からはうかがい知れない。果たして苗華は習近平のスケープゴートとして犠牲になったのか、それとも習近平との間に矛盾が生じたのかは分からない。

習近平の軍に対する影響力を考える際に、鍵となるのは中央軍事委員会副主席を務める制服組トップの張又侠である。張又侠の父親の張宗遜は人民共和国建国以前より活躍した軍人であり、習近平の父親である習仲勲と同郷かつ戦友であった。息子同士、親密な関係にあった可能性は高い。実際、張又侠は1950年生まれで習近平よりも3歳年上でありながら、2022年10月の党大会で定年を超えて留任した。この異例の人事からも習近平の張又侠に対する信頼がみてとれる。軍における習近平の立場が動揺しているという見方を持つ者の多くは、張又侠と習近平の関係が悪化していると主張するが、これも推測の域を出ていない。張又侠は活発に活動しており、2025年1月には、習近平と共に部隊の視察を行っている。現時点において、両者が対立していると判断できる根拠はない。しかし、裏を返せば、習近平の軍に対する影響力は張又侠に依存していることも事実であり、両者の関係性が軍をめぐる重要な変数であることは指摘しておきたい。

ただ、軍内で習近平に対する不満が高まっている兆候は確かにある。2024年12月に『解放軍報』が集団指導体制や党内民主を強調する記事を相次いで掲載したことは特筆に値するだろう。周知の通り、習近平は軍に対しても影響力を強化し、独裁的な地位を築いてきた。しかし、その軍の機関紙が中央軍事委員会主席でもある習近平のリーダーシップに関し、服従ではなく、それを制約する方向の論考を掲載したことは大きな驚きだったし、軍内の習近平の強権的支配に対する不満が反映されているという見方も一定の説得力がある。そもそも一連の汚職腐敗摘発によって失脚した将軍の多くは、習近平が抜擢(ばってき)、重用してきた者たちである。本来であれば習近平の任命者責任があるにもかかわらず、自身は何ら反省を見せていない。その権威に傷がつくのは不可避ではないだろうか。

現状、習近平の軍における指導的立場について、深刻な動揺が発生しているとは断定できないが、一定の揺り戻しが発生している可能性はある。

台湾の武力統一はほとんど不可能

中国の軍をめぐる最も注目すべき論点は、武力による台湾統一、日本で「台湾有事」として広く懸念されている事態である。2016年に台湾で蔡英文政権が発足して以来、大陸側は軍事的圧力を高めており、欧米の軍関係者や安全保障の専門家を中心に、大陸側による武力侵攻の可能性が喧伝(けんでん)されている。しかし、筆者はその可能性は小さいと考える。経済制裁、国際的孤立などのコストを考慮しても、中国にとってあまりにもリスクが大きいことは言うまでもないが、そもそも軍事的に勝利を収められるかも分からない。ロシアによるウクライナ侵略が、現在では膠着(こうちゃく)している状況を見れば、大陸側が容易に勝利すると判断する者は多くはないだろう。しかも、今の人民解放軍には、実戦経験を持つ将軍がほとんどいない。

また、これまで見てきたように、人民解放軍の大半の軍種や部門で最高レベルの幹部が失脚しており、不安定な状況が生じている。いくら軍備を増強し、兵器の近代化を進めたところで、それを運用する軍高官が現状の腐敗ぶりでは、軍としての実力は甚だ疑問である。おそらく、腐敗は高官にとどまらず、各部隊や末端にまで広がっている可能性が高いことは広く推測されているところである。人民解放軍の現状は習近平自身が一番理解しているはずだ。だからこそ、それに不満、不安を感じ、反腐敗闘争を推し進めるのである。このような状況において、習近平が国運をかけた戦争を発動することの合理性はない。端的に言って、軍はそれどころではなく、十分な準備がなされているとは言い難い。

とはいえ、習近平の台湾統一に対する意欲は広く知られている。台湾統一を前に進めるために、両岸(大陸と台湾)のパワーバランスを大陸側に傾けることに熱心である。今後も軍事力を背景とした圧力を強め続ける可能性は高い。

*本稿は、霞山会発行『東亜』2025年3月号に掲載された記事を転載・加筆したものである。

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