Commentary
習近平及びその時代をどう理解するか
2025年以降の政治的「地殻変動」に備えるために

権力の正統性をどのように確保したか
もう一点、検討されておくべき〈権力の正統性〉については、どのように考えられるのか。もともと権力の正統性とは、権力を行使する人が統治を確立し、それが統治される人々に何らかの形で受け入れられていると判断される状態を指す。西側民主主義諸国は普通選挙によって正統性が制度化されていると判断されるが、普通選挙を行わない独裁・専制国家での正統性はやや曖昧である。一般的には政権担当者が、国家的な困難克服の方針を提起したり実践したり、社会を良くする方向で仕組みを作ったりし、一般国民がそれを支持していると何らかの形で判断される状況が見られる時、正統性を確保していると考えられる。毛沢東時代は「民族の解放と国家の独立」がメインテーマとなり、それを実現した毛沢東と中国共産党が民衆からの正統性を勝ち得た。「広義の」鄧小平時代では、文革の大混乱と貧困からの脱出を強く希望した民衆に答えるべく、社会秩序と生産力の回復=「安定」と「豊かさ」の追求を前面に打ち出し、民衆からの圧倒的な支持を得た。
では習近平時代の正統性はどのように確保されたのか。鈴木隆によれば、正統性の3本柱として「豊かさ」「便利さ」「偉大さ」を上げているが、「豊かさ」「偉大さ」は習近平時代の固有の主張ではなく、共産党の長きにわたっての主張であると言える。その意味で共産党統治の正統性主張の根拠にはなっている。しかし「便利さ」が統治の正統性の根拠になっているのかどうか、全面ロックダウンを強行した「ゼロコロナ政策」などを想起すると筆者には疑念が残る。むしろ習近平が全力で取り組んだ「腐敗撲滅(ぼくめつ)」の方が、「中華民族の偉大な復興」と共に習近平政権の正統性になっているのではないか。
習近平の民主主義観
最後に、〈習近平の民主主義観〉はいかに理解すべきか。民主主義の基本を「組織の重要な意思決定を、その組織の構成員が行うこと」と理解するならば、胡錦濤時代の2007年、第17回党大会前に実施された中央委員クラス以上のエリート層による予備選挙は、かなり民主的に実施され、その結果習近平は多数票を獲得した。この結果を踏まえて新任の政治局人事が決められ、党内序列の決定に重要な判断材料となった(習近平6位、李克強7位)。そして2012年の党総書記就任に際して、この序列は大きな影響を持った。さらに個々の組織、例えば党中央政治局、中央軍事委員会などにおいて「民主生活会」が重要な役割を果たしたと鈴木隆は着目している。特にこの生活会では周永康、薄熙来、郭伯雄、徐才厚らに対する反腐敗闘争において効果を上げたという。共産党の「民主」が冠につく主張や組織は、得てして形だけのものと理解されがちであるが、「民主生活会」が一定の重要な役割を果たしていたことは注目すべき点である。ただし現在、このようなエリート組織内部においてさえ「民主」が保証されているか否かは不透明である。
しかし一般民衆のレベルにおいては、権力の露骨な介入によって「民主」はほとんど形骸化してしまった。胡錦濤時代には、いささか発言の自由が黙認された様々な地方新聞が出版されたり、インターネットなど非公式メディアの発達もあって言論空間が少しずつ拡大したりしていたが、習執政下で急速に引き締められ、たとえ習近平批判ではなくても、習近平とは異なった意見を主張するものに対してさえ、しばしば容赦のない鉄槌(てっつい)が下されている。特に、漢族との民族対立が続くチベット、ウイグル、自由と安定が急速に失われた香港に見られる「国家統合」の問題では、「民主的な」主張は徹底した弾圧の対象となっている。