Commentary
ロシアは中国の「ジュニアパートナー」になるか
深化する中露関係の現状と未来
このような「ジュニアパートナー」論が、ロシアのウクライナ侵攻後、顕著にみられるようになった。代表的な論者には、カーネギー国際平和財団上席研究員のアレクサンドル・ガブエフがいる。彼の議論は、2022年8月に発表された論文「中国の新しい属国――ウクライナ戦争はいかにしてモスクワを北京のジュニアパートナーにしたのか(注3)」にみることができる。その中の特徴的な一節を引用してみよう。
西側との対立は、プーチンがクレムリンにいる限り修復されることはなく、おそらくその後も続くだろう。ロシアは巨大なユーラシアのイランになりつつある。つまり孤立し、西側諸国との敵対関係のおかげで経済規模は小さく、技術的にも後進的だが、それでも無視するにはあまりに大きく、重要な国である。中国はロシアにとって最大のパートナーとなり、主要な輸出相手国、輸入相手国となり、主要な外交パートナーとなろう(とくに、インドがロシアから離れ、インド太平洋やヨーロッパの民主主義国家に接近し続けているため)。ワシントンに固執して周りが見えていないクレムリンの老いた指導層は、中国がアメリカのライバルになるにつれ、ますます積極的に中国の小間使いとしての役割を果たしたがるようになるだろう(注4)。
ここでは「小間使い」(handmaiden)という言葉で、ロシアが形容されているが、ロシアを取り巻く国際環境が厳しくなるにつれ、ロシアはますます中国に経済的に依存し、自分から中国の格下のパートナーになっていくという見通しが示されている。確かに、インドとの関係も含め、こうした見方には一理ある。以前から、ロシアが中国の「ジュニアパートナー」に成り下がらないためには、インドとの関係によるバランス外交が重要であると考えられていたためである(注5)。
しかし根本的な問題として、ロシアは中国に経済的に依存したとして、中国の「ジュニアパートナー」になるしかないのだろうか。ガブエフの議論は今後ありうる1つのシナリオとして興味深い指摘であり、長期的にはその可能性があることは否定できない。だが、中国への依存を強めたプーチンが習近平の「小間使い」に積極的になりたがっている、とまでいえるのだろうか(注6)。
経済的依存が政治的従属につながるとは限らない
この点で参考になるのが、ロシア紙『コメルサント』の元記者ミハイル・コロスチコフの議論である。コロスチコフは、カーネギー国際平和財団のウェブサイトpolitikaに、2023年6月、ロシア語の論考を寄稿し、翌7月に論考の英語版を寄稿した。タイトルはそれぞれ、「望まない可能性――ロシアはどうして中国の属国にならないのか」、「ロシアは本当に中国の属国になりつつあるのか?」である(注7)。
タイトルからも明らかなように、コロスチコフは「ロシア=属国」論に正面から疑義を提起している。その要点は以下のようになる。
まず、中国に経済的に依存する国はロシアだけではない。世界中の多くの国が中国を最大の貿易相手国としながら、中国と政治的に対立している。次に、ロシアの中国への従属がいわれるにもかかわらず、ロシアは中国の「一帯一路」構想に参加しておらず、南シナ海における中国の領有権主張も公式に認めていない。中国との利権協定の締結、そのための法改正を急いでいるわけでもない。汚染産業のロシアへの移転、ロシアを通過する鉄道の建設、一方的な関税引き下げ、中国人へのビザ発給要件の廃止といった動きも実現していない。さらにいえば、ウクライナ戦争で中国の立場は強まったかもしれないが、ロシアは中国にとり、経済制裁による影響、ウクライナ軍との戦闘経験に関する貴重な情報源となっている。中国はロシアを属国にする機会はあるかもしれないが、そうしなければいけない理由はない。
コロスチコフのこの議論を受けて、日本では立教大教授の蓮見雄が経済の面から鋭い指摘をしている。蓮見によれば、2013年の段階でロシアは、資源をEUに輸出し、機械工業製品をEUから輸入し(ユーロ決済)、とくにドイツに依存していた。その後、2021 年の段階でロシアは、資源を中国に輸出し、機械工業製品を中国から輸入するようになる(人民元決済)。この間の変化は、EUが中国に、ユーロが人民元に入れ替わっただけである(注8)。
蓮見はさらに続けて次のように指摘する。2021年にロシアが中国に従属するようになり、中国の「属国」になったというのであれば、2013年の段階でロシアはEUに従属し、EUの「属国」であったはずである。「にもかかわらず、結果から見れば、ロシア経済が EU に依存しているという経済的現実は、ロシアのウクライナ侵攻を阻止することにはつながらなかったのである。だとすれば、仮に今後ますますロシアが中国への経済的な依存を深めたとしても、中国がロシアの政治的行動に影響力を行使できるとは限らないということになる(注9)」。
コロスチコフと蓮見の議論は、「ジュニアパートナー」論に比べ、経済的依存が政治的従属につながるとは限らないことを指摘している点で冷静である。筆者も同じように、ここでは経済と政治は分けて考えたほうがよいと考える。経済的依存をしているから、政治的にも従属するはずだ、という想定は、1つの可能性として傾聴に値するが、現実に即しているかは、これから時間をかけて検証していかなければならないだろう。