Commentary
高市政権下の日中関係
台湾問題発言がもたらした「新常態」
2026年2月8日に行われた衆議院総選挙において、高市早苗首相が率いる自由民主党は歴史的とも言える大勝を収めた。この結果により、高市政権の政治基盤は大きく強化され、同政権が一定期間安定して続く可能性も現実味を帯びてきている。一方で、この政治状況は日中関係の今後を考える上で新たな不確実性をもたらしている。
とりわけ、2025年11月7日に高市首相が国会答弁で台湾問題に言及して以降、日中関係は急速に緊張を高め、その影響は外交関係のみならず、両国社会の相互認識にも広がりつつある。小論ではまず高市政権発足以降の日中関係の変化を振り返り、その背景にある政治・社会要因を整理した上で、今後の日中関係の展開について試論的に考察したい。
台湾問題発言がもたらした影響
昨年10月の高市氏の自民党総裁・首相就任は、中国政府にとっては必ずしも歓迎すべき結果ではなかったものの、中国側はそれを理由に日本とのハイレベル交流を停止したわけではなかった。10月31日、韓国で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の機会に、習近平国家主席と高市首相が首脳会談を行い、双方は改めて「戦略的互恵関係」を確認した。この時点では、日中関係がある程度安定軌道を維持する可能性も存在していたと言える。
しかし、その後の関係悪化の直接的な契機となったのは、高市首相による台湾問題に関する発言であった。11月7日、高市首相は国会答弁において、「台湾有事」が武力衝突を伴う事態となった場合、日本がそれを「存立危機事態」と見なし、集団的自衛権の行使を検討する可能性を示唆した。中国政府は日本側に対して発言の撤回を求める強い抗議を繰り返した。
これに対し、日本政府は日中関係の重要性を強調し、関係のさらなる悪化を望まないとの姿勢を示したものの、問題となった発言を「訂正」あるいは「撤回」することは避けた。日本政府は現在も、台湾に関する政府の基本的立場は「一切の変更はない」と繰り返し説明している。しかし近年、日本政府が公式の場において、1972年の日中共同声明で示された政治的コミットメントを明確な形で再確認することは稀(まれ)であった。すなわち、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」こと、そして「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」という「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重」するとの表現に日本政府関係者が明確に言及する機会は近年少なくなっている。
この点をめぐって、日本側の「変更はない」という主張と、中国側が理解する政治原則との間には、一定の認識の隔たりが生じている。中国側の視点から見れば、日本の台湾問題に関する言説は近年、より曖昧で戦略的な性格を帯びるようになっており、そのことが政治的信頼の低下を招いていると考えられている。
こうした緊張は、すでに首脳間の往来のみならず、経済・貿易関係や人的交流にも影響を及ぼし始めている。今年2月24日、中国政府は中華人民共和国輸出管理法および両用品目輸出管理条例に基づき、三菱造船株式会社など日本の軍事能力の強化に関与しているとされる20の企業・団体を輸出管理対象リストに追加し、(軍民)両用品目の輸出を制限する措置を発表した。
以上を踏まえると、今回の日中外交摩擦の直接的な契機は高市首相の台湾関連発言にあるものの、問題の背景にはより構造的な要因も存在している。すなわち、中国側が日本の安全保障政策の変化、とりわけ軍事能力の拡大に対して強い警戒感を抱いていることである。その意味において、日中関係が2008年に確認された「戦略的互恵関係」の軌道へと完全に戻ることは、今後ますます難しくなると思われる。
日中関係の緊張と社会認識の変化
政府レベルでの外交的対立は、比較的短期間のうちに両国社会、とりわけ国民の認識にも反映されるようになった。高市首相による台湾関連発言の後、日本の複数の報道機関が実施した世論調査によれば、「首相は発言を撤回する必要はない」と考える回答が半数を超えたと報じられている。高市内閣が比較的高い支持率を維持し、さらに衆議院選挙で勝利を収めた背景には、「中国要因」が一定程度作用した可能性も指摘できる。
もっとも、より長期的な視点から見ると、日本社会に蓄積されてきた排外的感情と今回の日中関係の悪化が相互に作用し、相乗効果を生んだ側面も無視できない。特に新型コロナウイルス感染症の世界的流行以降、日本国内では排外的言説や運動が徐々に可視化するようになり、とりわけ中国人に対する否定的感情が目立つようになったと指摘されている。
その背景にはいくつかの要因が存在する。一つは観光分野において訪日外国人の急増が地域社会に様々な摩擦をもたらしたことであり、もう一つは歴史認識、領土問題、安全保障といった分野における日中間の対立が社会心理にも影響を及ぼしている点である。このような文脈の中で、日本に在住する中国人や訪日中国人観光客が、排外的言説の主要な対象となる傾向が見られる。
2025年の参議院選挙および2026年の衆議院選挙では、在日外国人問題が重要な政治争点の一つとして浮上した。排外的立場を強く打ち出す政党である参政党が議席を大きく増やしたことも、日本社会の政治的空間における外国人問題の可視化を象徴する現象と言える。
日本における外国人、あるいは訪日外国人の中で中国人が占める割合は依然として最大規模である。そのため、排外的言説が外国人一般を対象とする場合でも、結果として中国人に対する影響がより大きくなる傾向がある。特に今回の日中関係悪化の文脈の中では、在日中国人や訪日中国人が社会的議論の中で主要な対象となる場面も見られるようになった。
例えば、日本政府は2026年度から外国人関連手数料の大幅な引き上げを検討している。具体的には、短期ビザの発給手数料を従来の3000円から15000円へ引き上げるほか、在留資格更新や永住申請の手数料についても増額が検討されている。これらの措置は、制度上はすべての外国人に適用されるが、結果として中国人に対する影響が特に大きくなる可能性がある。
短期ビザの例を挙げれば、2024年に日本政府が発給したビザは約700万件にのぼり、そのうち500万件以上が中国人向けであったとされる。しかも、その大部分は観光目的の短期訪問である。これに対して、韓国、台湾、香港など訪日者数の多い地域はすでにビザ免除措置の対象となっており、さらにタイやマレーシアといった一人当たりGDPが中国よりも低い国々も同様の免除措置を受けている。そのためビザ費用の引き上げは、制度上は中立的であっても、中国人旅行者に対する負担を相対的に増大させる構造となっている。
昨年11月の高市発言以降、中国政府は日本に渡航する自国民に対して日本では治安が悪化している等の注意喚起を行ってきた。一方、日本政府は短期ビザの発給手数料を大幅に引き上げた。二つの政策は異なる次元に属するものではあるが、結果として訪日中国人の減少という点で似た効果を生み出したと言えよう。
今回の日中外交摩擦において、中国政府は日本に対する対抗措置を打ち出したものの、中国国内では大規模な反日デモや暴動は発生していない。これは、2012年「釣魚島」(尖閣諸島)をめぐる「国有化」を契機とした反日抗議運動と比較すると、社会的反応の性質が大きく異なる点として注目される。
この背景については様々な解釈が提示されているが、筆者は中国社会における市民意識(民度)の変化も一つの要因として考える必要があると考える(編集部:関連記事として平井新「政治と消費を切り分ける市民のプラグマティズム」もご覧ください)。加えて、中国政府の対抗措置が比較的限定的かつ対象を絞った形で実施されている点も重要である。中国政府は最近、少数の日本企業に対する輸出管理措置を導入したものの、「精確な政策運用」を原則とし、軍事に関連しているリスクの高い企業のみを対象としている。つまり、このたびの措置では通常の経済・貿易関係への影響を最小限に抑えることが意図されている。
もっとも、中長期的な観点から見れば、日中関係の緊張が長期化する場合、日本政府が近年強調している「チャイナ・プラス・ワン」戦略やサプライチェーン再編の動きと相まって、日本企業の対中投資意欲に影響を及ぼす可能性は否定できない。その結果、中国で事業を展開する日本企業の対中認識も、徐々に慎重あるいは消極的な方向へと変化していく可能性がある。
日中関係の「新常態(ニューノーマル)」?
現在の日中関係の状況は、しばしば2010年の中国漁船衝突事件後の関係悪化を想起させる。しかし今回の事態は、当時よりも日中関係に与える打撃が大きく、また関係悪化の期間もより長期化する可能性があると筆者は考える。その理由として、主に次の三点を指摘することができる。
第一に、台湾問題の重要性。単純な比較はできないものの、中国側は「釣魚島」問題については「棚上げ」や「争いの存在」を前提とした外交的処理の余地を一定程度認めてきたとされる。一方、台湾問題については、中国政府は一貫して「内政問題」であるとの立場を取っており、他国の関与は「内政干渉」として強く反発している。
したがって、台湾問題は今後も日中関係のみならず、中国が他国との関係を処理する上での重要な指標であり続ける可能性が高い。各国が台湾問題においてどのような立場や行動を取るかは、中国の核心的利益を尊重しているかどうか、また既存の政治的コミットメントを履行しているかどうかを判断する基準として位置づけられているからである。
こうした状況の中で、高市首相は台湾問題に関する発言を撤回しないだけでなく、むしろ様々な場面で「日台連携」を強調する姿勢を示している。この点を踏まえると、高市政権が台湾問題に関して「譲歩」する可能性は現時点では高くないと考えられる。
第二に、日中間の政治的意思疎通体制の弱体化。過去には、日中関係が困難に直面した場合でも、中国側と一定の信頼関係を持つ日本の有力政治家が非公式な調整役として機能することがあった。例えば、安倍晋三政権や岸田文雄政権の時期には、首相の親書を携えて訪中する政治家が外交関係の緩衝役となる場面も見られた。しかし、そうした政治家の多くはすでに第一線の政治舞台から退いている。
現在の日本政治においては、「対中強硬」が「政治的に正しいこと」となり、対話や交流の必要性を強調する政治家は「媚中」と批判される場合もある。今回の衆議院選挙でも、対中関係において比較的融和的な立場と見られていた政治家の一部が議席を失ったことにも、その一端が見られる。こうした状況の中で、日本の与野党、さらには高市政権内部においても、中国との対話を積極的に担う政治家は必ずしも多くない。
第三に、関係改善の直接的契機が見えにくい。短期的に見れば、日中関係の改善を直ちに促すような契機は現時点では多くない。今年夏には名古屋でアジア競技大会が開催される予定であり、中国も代表団を派遣する可能性が高い。こうしたスポーツ・人的交流を通じて、草の根レベルで関係改善の機運が徐々に生まれる可能性はある。
しかし、日中関係の大きな転換には、最終的には政治指導者レベルの判断と調整が不可欠である。その意味で注目されるのは、今年11月に深圳で開催予定のAPEC首脳会議である。2014年、北京でのAPEC会議の際に当時の安倍晋三首相と習近平国家主席が会談を行い、関係改善の契機となった前例を踏まえれば、日本側が今回も中国指導部との首脳会談を模索する可能性は十分にある。もし実現すれば、関係緩和に向けた重要な機会となるだろう。ただし、今回の日中外交摩擦の強度や、日本政治社会における対中認識の変化を考慮すると、首脳会談の実現そのもののハードルは2014年当時よりも高い。
これまで日中関係を説明する概念として、「1972年体制」という言葉がしばしば用いられてきた。これは日中共同声明を基礎とする関係枠組みを指すものである。今回の高市首相による台湾問題発言を経て、この枠組みが現在も有効に機能しているのかについては、慎重な検討が必要であろう。少なくとも現状を見る限り、日中関係は「低強度の対立」を特徴とする一種の「新常態(ニューノーマル)」へと移行しつつある可能性がある。そうした状況を踏まえると、今後の日中関係は従来の協調と対立が併存する段階とは異なる、より複雑な構造の中で展開していくことになるのかもしれない。