Commentary
犠牲者意識ナショナリズムをどう乗り越えるか
石破所感から日中台「歴史認識」問題を読み解く
中国政府による対日批判のナラティブは、林志弦(2022)が概念化した「犠牲者意識ナショナリズム」の典型的な発現として読み解くことができる。これは、戦争や虐殺、植民地支配の経験が「世襲的犠牲者意識」として世代を超えて継承され、国家・民族のアイデンティティ形成の核心となるナショナリズムのあり方を指す。国家は歴史的暴力の被害者を「殉教」のナラティブの中で「犠牲者」へと昇華させ、学校教育や儀礼的式典、政治的シンボルを通じて集団的な犠牲者意識を強化していく。
犠牲者意識ナショナリズムとしての中国の歴史ナラティブ
中国共産党政権による抗日戦争の記憶の制度化は、この構造を体現している。9月3日の「中国人民抗日戦争勝利記念日」や12月13日の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」の法定化、戦後70・80周年の大規模軍事パレードは、抗日戦争における中国人民の犠牲を国家的儀礼として再確認する装置である。高市首相の「台湾有事」をめぐる国会答弁(11月7日)に対し、中国政府が「軍国主義の復活」「戦後秩序への挑戦」と応答したことは、現在の安全保障上の懸案を過去の歴史的被害の文脈に接続し、道徳的優位を主張する犠牲者意識ナショナリズムの作動そのものである。
林志弦によれば、犠牲者意識ナショナリズムの問題は、特定民族が「犠牲者」性を強調することで道徳的な高みに立ち、他国・他民族の加害責任を追及する一方で、自国政府や自民族の加害行為を覆い隠す効果を持つ点にある。中国の場合、日中戦争期の日本軍による加害行為を記憶し批判することは正当な営みだが、天安門事件をはじめとする自国の歴史的暴力について公に語ることが許されない状況では、過去の負の歴史への批判は常に「対外的なもの」に限定される。この非対称性こそ、現代中国の歴史認識にみる犠牲者意識ナショナリズムの構造的限界である。
日本政府による戦争責任認識の展開
では、日本政府はこれまで戦争責任・植民地責任についてどのような認識を示してきたのか。1995年の村山談話は、戦前日本による「植民地支配と侵略」がアジア諸国に「多大の損害と苦痛」をもたらしたことを明示し、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。この談話は日本政府の歴史認識の基軸として、以後の政権による継承の起点となった。2005年の小泉談話は終戦60年の節目にあたり、村山談話と同様の文言をそのまま踏襲して枠組みを維持した。2015年の安倍談話は、「侵略」「戦争」「植民地支配」からの「永遠の決別」を宣言し、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」してきた「歴代内閣の立場」を「今後も、揺るぎない」ものとして継承すると明言した。一方で新たな謝罪表現は避け、将来世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないという世代論を押し出しつつも、世代を超えて「過去の歴史に真正面から」向き合い「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」があるとも述べ、歴史的責任の継承と謝罪の終結という二つの要素を組み合わせた。
2025年10月の石破首相(当時)による「戦後80年に寄せて」所感(以下、石破所感)は、閣議決定を経ない首相個人の所感という形式ながら、歴代首相談話の歴史認識を引き継ぐと明言しつつ、日本がなぜ戦争を回避できなかったのかという問いに焦点を当て、戦前憲法・政府・議会・軍部統制・メディア・情報分析といった制度的失敗を詳細に検証し、文民統制と民主主義・言論の自由の重要性という教訓を導き出した。
石破所感は中国メディアでも一定の評価を受けた。国営メディアの新華社は「偏狭なナショナリズム、差別や排外主義」への警告や「過去を直視する勇気」を評価しつつ、日本政府の歴史認識に問題が残ることを示唆した[1]。人民日報社が発行する国際情報誌『環球時報』も、日本がなぜ戦争へ向かい政治権力がそれを阻止できなかったかという内在的メカニズムの探究は、戦後日本の首相として初めてであり「政治的勇気」が必要で「肯定されるべき」と評価した[2]。いずれも所感が「侵略」や「謝罪」に直接言及していない点は批判しつつ、戦前の制度的失敗を分析した点には肯定的評価を与えている。
日本政府の歴史認識には、村山談話における加害の承認と謝罪の重視から、安倍談話における継承責任と世代論の導入、石破所感における制度的教訓の探究といった焦点の変遷が見られる。しかし、村山談話を起点とする一連の談話を歴代内閣が継承するという形式は、高市政権に至るまで維持されている。
継承責任をめぐる思想的基盤
こうした歴代談話の蓄積が持つ意義を理解するには、戦争責任の継承をめぐる思想的系譜を確認する必要がある。カール・ヤスパース(2015)は罪を刑事的罪、政治的罪、道徳的罪、形而上的罪の四つに区別し、「民族全体の罪」という発想は成り立たないと論じつつも、政治的罪については国家の行為の結果に対し国民全体が一定の責任を負い得ることを認めた。ハンナ・アレント(2016)も集団を一括して罪に問う発想を批判したが、集合的「罪責」を否定する一方で、自ら行っていない行為に対しても政治的共同体の成員として引き受けねばならない集合的「責任」は肯定した。マイケル・サンデルらコミュニタリアンはこれを「継承責任」として展開し、市民は自らの共同体の歴史を良い面も悪い面も含めて引き受ける義務があると論じている。村山元首相(2009)も「過去の克服」の参考として言及しているドイツのヴァイツゼッカー大統領(2009)による「荒れ野の40年」演説は、後の世代には罪がないことを明言しつつ「われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と述べ、個人的罪責とは区別された集合的・継承的責任を肯定した。日本政府の歴史的責任をめぐる首相談話は、基本的にこうした思想的系譜に連なる実践と言えるだろう。
謝罪は和解をもたらすか
では、日本政府による歴史認識をめぐる公式見解の表明と謝罪の蓄積は、日中関係の改善や「和解」に寄与するのか。ジェニファー・リンド(2008)は日韓関係や西独仏関係を比較し、加害国の謝罪は国内保守派のバックラッシュを招いて逆効果になり得ること、近隣国の脅威認識を規定するのはパワーバランスや同盟関係などのハード・パワーであり国家の謝罪は周辺的変数にすぎないと論じた。この議論には一定の妥当性があるが、歴代内閣が繰り返し継承してきた首相談話の蓄積を政府統一見解として持つことの意義を過小評価してしまうのではないか。
林志弦が論じるように、「歴史問題」は事実認定の争いというより、自らを犠牲者として語る記憶をめぐるナショナリズムの装置である。リンドが指摘するバックラッシュも、旧加害国内部における「自国こそ犠牲者だ」という対抗的記憶の形成として捉えるべきであり、日本における原爆被害の記憶や特攻隊などの「英霊」賛美は犠牲者意識の競合という文脈で理解できる。さらに重要なのは、犠牲者意識が脅威認識に転化するメカニズムが体制によって異なる点である。民主主義体制の日韓間では情報の非対称性が小さく、犠牲者意識ナショナリズムは脅威認識とは分離されている。これに対し権威主義体制下の中国では、「日本は歴史を反省していない」「軍国主義復活の兆候がある」というナラティブが党国メディアによって情報統制下で増幅される。こうした環境で世論が対外的に硬化し、それを党がコントロールできなければエスカレーションの末に偶発的衝突の蓋然性(がいぜんせい)が高まり得る。しかも権威主義体制は民主主義社会の開放性を逆手に取り、日本国内の多様な言論から都合のよい声を選択的に拾い上げて「これが日本社会の本音だ」と提示する。いわば「寛容のパラドクス」により、民主主義の多元性が権威主義のナラティブ戦略に利用されることで、台湾海峡における「武力による現状変更」に正当性が付与されかねない。
ソフトパワーとしての歴史認識
この文脈で、謝罪と歴史認識の戦略的意義を再定式化できる。村山談話以降の首相談話の蓄積は、被害国の脅威認識を直接軽減する効果だけでなく、多層的な政治資源として機能し得る。
第一に、侵略と植民地支配を誤りと認める蓄積は、認知戦における情報非対称性を縮減し、権威主義体制によるナラティブの正当性を掘り崩す。日本政府が公式に自らの負の歴史と向き合う声明を出し続けることは、日本社会自身への道徳的な自己拘束であると同時に、戦争や侵略、植民地支配を肯定しない国際規範を近隣諸国と共有する資源となる。かつての被害国が将来加害行為に踏み出す場合にも、過去の日本に対して用いてきた道徳的言辞が跳ね返り、対外強硬路線への批判を喚起することにつながる。
第二に、日本政府が「過去の歴史問題と向き合う」という立場を蓄積させることで、欧米諸国やグローバル・サウスという国際世論への説得の資源ともなる。「過去の侵略・植民地支配を反省するからこそ、権威主義国家による現状変更を防ぐ」という立場から、地域の安全保障における日本の役割を国際世論に説得的に示すことができる。日本が戦後80年間対外的な戦争に参加せず、複数回にわたり戦争責任を認めてきた事実を提示することは、中国による「日本の軍国主義復活」ナラティブへの有効な反撃となる。
とりわけ「台湾有事」をめぐる議論において、この視点は重要な意味を持つ。台湾は1895年から1945年まで日本の植民地支配下にあり、2025年は「台湾光復80周年」でもある。日本がかつて台湾を植民地として支配した歴史を踏まえるならば、日本政府が台湾海峡の平和と安定に関与する際の論理は、単なる安全保障上の利害得失のみから導き出されるものではない。むしろ、過去の植民地支配への反省にもとづくからこそ、台湾住民の意思を無視した武力による現状変更は絶対に許容されないというメッセージが道徳的意義を持つのではないか。
中台の歴史認識の相違に日本はどう向き合うか?
ここで注目すべきは、中台間の歴史認識の相違である。中国は2025年10月、全人代常務委員会が「台湾光復記念日」を法定化し、台湾が中国の一部である歴史的根拠と位置づけた[3]。これに対し台湾側は、「光復」とは中華民国政府が連合国を代表して日本軍の降伏を受諾した出来事であり、台湾を一日たりとも統治したことのない中国共産党とは無関係だと反論している[4]。呉密察(2025)ら多くの台湾史研究者は、オランダ、鄭氏政権、清朝、日本、国民党といった歴代外来政権が残した史料に潜む偏見を批判的に検討し、台湾社会の実態から「台湾の主体性」を再定義する試みを進めてきた。そこでは、清朝と日本という二つの帝国が台湾先住民族に対して行った約60年間の「征服戦争」の暴力、日本の植民地政府が作り上げた強力な統治機構を戦後に継承した、国民党政権による権威主義体制の圧政が問い直され、それを平和裡(り)に転換した民主化の意義が強調されている。
すなわち、台湾の自由と民主主義は、約2300万人の住民が清朝支配、日本植民地支配、国民党権威主義体制という重層的な歴史経験を経て、自らの意思と決断によって築き上げた政治秩序であり、中国の犠牲者意識ナショナリズムが前提とする「中華民族の一部としての台湾」という歴史認識そのものが、こうした視座から相対化されつつある。
「犠牲者意識ナショナリズム」を乗り越えるためには、それぞれが犠牲者としての自己理解を相対化しつつ、加害と被害が重層化している歴史経験を論争の中で提示することで、異なる記憶を自己中心的に序列化せず他者の痛みに目を向けた連帯を構築することが必要だと林志弦は論じる。中国政府は日本の植民地支配責任を根拠に、日本の台湾問題への関与を牽制する。しかし、日本がかつて台湾を植民地として支配した歴史があるからこそ、「中台問題は日本と無関係だ」という態度は許されないだろう。日本社会が植民地支配の歴史を真摯(しんし)に反省するのであれば、求められるのは、台湾の人々が植民地支配と権威主義統治を経た後、どのような歴史経験を経て現在の民主主義を築いてきたのかを知り、その上で台湾住民の声に耳を傾けることである。歴史認識は中国から問われて初めて向き合う課題ではなく、日本社会が自ら学び続けるべき課題であり、そのことが東アジアの平和と安定に寄与する道を開くのではないだろうか。
参考文献
アレント,ハンナ(2016)『責任と判断』コーン,ジェローム編・中山元訳,筑摩書房
林, 志弦(2022)『犠牲者意識ナショナリズム――国境を超える「記憶」の戦争』澤田克己訳,東洋経済新報社
ヴァイツゼッカー,リヒャルト・フォン(2009)『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』永井清彦訳,岩波書店
呉, 密察(2025)『台灣史是什麼』大家出版
ヤースパース,カール(2015)『われわれの戦争責任について』橋本文夫訳,筑摩書房
村山, 富市・佐高, 信(2009)『「村山談話」とは何か』角川新書
Lind, Jenifer (2008) Sorry States: Apologies in International Politics, Cornell University Press.
[1] 新華社 「日本首相石破茂発表“戦後80周年”個人見解」新華網, 2025年10月11日.(https://www.xinhuanet.com/20251011/ac631b1aca9e4584be7b2fe4514aa7e4/c.html, 2025年12月10日最終閲覧。以下同じ)
[2] 環球時報 「石破茂発表戦後80年“個人見解”,専家解読:需要政治勇気,但也有局限性」環球網, 2025年10月11日.
(https://m.huanqiu.com/article/4OftFlUBeNx)
[3] 中華人民共和国中央人民政府「全国人大常委会通過決定 将10月25日設立為台湾光復紀念日」中華人民共和国中央人民政府公式サイト, 2025年10月24日(https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202510/content_7045601.htm)
[4] 行政院大陸委員会 「陸委会針対中共於『紀念台湾光復80週年大会』提出『四項主張』的回応」行政院大陸委員会公式サイト, 2025年10月25日.(https://www.mac.gov.tw/News_Content.aspx?n=05B73310C5C3A632&sms=1A40B00E4C745211&s=653DA47930AD5D5D)