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Commentary

犠牲者意識ナショナリズムをどう乗り越えるか
石破所感から日中台「歴史認識」問題を読み解く

平井新
東海大学政治経済学部特任講師
国際関係
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村山談話以降の首相談話の蓄積は、被害国の脅威認識を直接軽減する効果だけでなく、多層的な政治資源として機能し得る。写真は首相官邸で戦後80年に合わせた「内閣総理大臣所感」の発表を終え、引き揚げる石破首相(左端、当時)。2025年10月10日(共同通信社)
村山談話以降の首相談話の蓄積は、被害国の脅威認識を直接軽減する効果だけでなく、多層的な政治資源として機能し得る。写真は首相官邸で戦後80年に合わせた「内閣総理大臣所感」の発表を終え、引き揚げる石破首相(左端、当時)。2025年10月10日(共同通信社)

中台の歴史認識の相違に日本はどう向き合うか?

ここで注目すべきは、中台間の歴史認識の相違である。中国は2025年10月、全人代常務委員会が「台湾光復記念日」を法定化し、台湾が中国の一部である歴史的根拠と位置づけた[3]。これに対し台湾側は、「光復」とは中華民国政府が連合国を代表して日本軍の降伏を受諾した出来事であり、台湾を一日たりとも統治したことのない中国共産党とは無関係だと反論している[4]。呉密察(2025)ら多くの台湾史研究者は、オランダ、鄭氏政権、清朝、日本、国民党といった歴代外来政権が残した史料に潜む偏見を批判的に検討し、台湾社会の実態から「台湾の主体性」を再定義する試みを進めてきた。そこでは、清朝と日本という二つの帝国が台湾先住民族に対して行った約60年間の「征服戦争」の暴力、日本の植民地政府が作り上げた強力な統治機構を戦後に継承した、国民党政権による権威主義体制の圧政が問い直され、それを平和裡(り)に転換した民主化の意義が強調されている。

すなわち、台湾の自由と民主主義は、約2300万人の住民が清朝支配、日本植民地支配、国民党権威主義体制という重層的な歴史経験を経て、自らの意思と決断によって築き上げた政治秩序であり、中国の犠牲者意識ナショナリズムが前提とする「中華民族の一部としての台湾」という歴史認識そのものが、こうした視座から相対化されつつある。

「犠牲者意識ナショナリズム」を乗り越えるためには、それぞれが犠牲者としての自己理解を相対化しつつ、加害と被害が重層化している歴史経験を論争の中で提示することで、異なる記憶を自己中心的に序列化せず他者の痛みに目を向けた連帯を構築することが必要だと林志弦は論じる。中国政府は日本の植民地支配責任を根拠に、日本の台湾問題への関与を牽制する。しかし、日本がかつて台湾を植民地として支配した歴史があるからこそ、「中台問題は日本と無関係だ」という態度は許されないだろう。日本社会が植民地支配の歴史を真摯(しんし)に反省するのであれば、求められるのは、台湾の人々が植民地支配と権威主義統治を経た後、どのような歴史経験を経て現在の民主主義を築いてきたのかを知り、その上で台湾住民の声に耳を傾けることである。歴史認識は中国から問われて初めて向き合う課題ではなく、日本社会が自ら学び続けるべき課題であり、そのことが東アジアの平和と安定に寄与する道を開くのではないだろうか。

参考文献
アレント,ハンナ(2016)『責任と判断』コーン,ジェローム編・中山元訳,筑摩書房
林, 志弦(2022)『犠牲者意識ナショナリズム――国境を超える「記憶」の戦争』澤田克己訳,東洋経済新報社
ヴァイツゼッカー,リヒャルト・フォン(2009)『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』永井清彦訳,岩波書店
呉, 密察(2025)『台灣史是什麼』大家出版
ヤースパース,カール(2015)『われわれの戦争責任について』橋本文夫訳,筑摩書房
村山, 富市・佐高, 信(2009)『「村山談話」とは何か』角川新書
Lind, Jenifer (2008) Sorry States: Apologies in International Politics, Cornell University Press.

[1] 新華社 「日本首相石破茂発表“戦後80周年”個人見解」新華網, 2025年10月11日.(https://www.xinhuanet.com/20251011/ac631b1aca9e4584be7b2fe4514aa7e4/c.html, 2025年12月10日最終閲覧。以下同じ)

[2] 環球時報 「石破茂発表戦後80年“個人見解”,専家解読:需要政治勇気,但也有局限性」環球網, 2025年10月11日.

https://m.huanqiu.com/article/4OftFlUBeNx

[3] 中華人民共和国中央人民政府「全国人大常委会通過決定 将10月25日設立為台湾光復紀念日」中華人民共和国中央人民政府公式サイト, 2025年10月24日(https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202510/content_7045601.htm

[4] 行政院大陸委員会 「陸委会針対中共於『紀念台湾光復80週年大会』提出『四項主張』的回応」行政院大陸委員会公式サイト, 2025年10月25日.(https://www.mac.gov.tw/News_Content.aspx?n=05B73310C5C3A632&sms=1A40B00E4C745211&s=653DA47930AD5D5D

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