Commentary
犠牲者意識ナショナリズムをどう乗り越えるか
石破所感から日中台「歴史認識」問題を読み解く
2025年10月の石破首相(当時)による「戦後80年に寄せて」所感(以下、石破所感)は、閣議決定を経ない首相個人の所感という形式ながら、歴代首相談話の歴史認識を引き継ぐと明言しつつ、日本がなぜ戦争を回避できなかったのかという問いに焦点を当て、戦前憲法・政府・議会・軍部統制・メディア・情報分析といった制度的失敗を詳細に検証し、文民統制と民主主義・言論の自由の重要性という教訓を導き出した。
石破所感は中国メディアでも一定の評価を受けた。国営メディアの新華社は「偏狭なナショナリズム、差別や排外主義」への警告や「過去を直視する勇気」を評価しつつ、日本政府の歴史認識に問題が残ることを示唆した[1]。人民日報社が発行する国際情報誌『環球時報』も、日本がなぜ戦争へ向かい政治権力がそれを阻止できなかったかという内在的メカニズムの探究は、戦後日本の首相として初めてであり「政治的勇気」が必要で「肯定されるべき」と評価した[2]。いずれも所感が「侵略」や「謝罪」に直接言及していない点は批判しつつ、戦前の制度的失敗を分析した点には肯定的評価を与えている。
日本政府の歴史認識には、村山談話における加害の承認と謝罪の重視から、安倍談話における継承責任と世代論の導入、石破所感における制度的教訓の探究といった焦点の変遷が見られる。しかし、村山談話を起点とする一連の談話を歴代内閣が継承するという形式は、高市政権に至るまで維持されている。
継承責任をめぐる思想的基盤
こうした歴代談話の蓄積が持つ意義を理解するには、戦争責任の継承をめぐる思想的系譜を確認する必要がある。カール・ヤスパース(2015)は罪を刑事的罪、政治的罪、道徳的罪、形而上的罪の四つに区別し、「民族全体の罪」という発想は成り立たないと論じつつも、政治的罪については国家の行為の結果に対し国民全体が一定の責任を負い得ることを認めた。ハンナ・アレント(2016)も集団を一括して罪に問う発想を批判したが、集合的「罪責」を否定する一方で、自ら行っていない行為に対しても政治的共同体の成員として引き受けねばならない集合的「責任」は肯定した。マイケル・サンデルらコミュニタリアンはこれを「継承責任」として展開し、市民は自らの共同体の歴史を良い面も悪い面も含めて引き受ける義務があると論じている。村山元首相(2009)も「過去の克服」の参考として言及しているドイツのヴァイツゼッカー大統領(2009)による「荒れ野の40年」演説は、後の世代には罪がないことを明言しつつ「われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と述べ、個人的罪責とは区別された集合的・継承的責任を肯定した。日本政府の歴史的責任をめぐる首相談話は、基本的にこうした思想的系譜に連なる実践と言えるだろう。
謝罪は和解をもたらすか
では、日本政府による歴史認識をめぐる公式見解の表明と謝罪の蓄積は、日中関係の改善や「和解」に寄与するのか。ジェニファー・リンド(2008)は日韓関係や西独仏関係を比較し、加害国の謝罪は国内保守派のバックラッシュを招いて逆効果になり得ること、近隣国の脅威認識を規定するのはパワーバランスや同盟関係などのハード・パワーであり国家の謝罪は周辺的変数にすぎないと論じた。この議論には一定の妥当性があるが、歴代内閣が繰り返し継承してきた首相談話の蓄積を政府統一見解として持つことの意義を過小評価してしまうのではないか。