Commentary
政治と消費を切り分ける市民のプラグマティズム
高市発言から日中「歴史認識」問題を読み解く
第二次大戦後80周年である2025年に至っても、「歴史認識」問題は日中関係に一定の影響を与え続けている。2025年10月31日、韓国・慶州のアジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会合で高市早苗首相と習近平国家主席が会談し、両首脳は「建設的かつ安定的な関係」を志向することで一致した[1]。しかし翌11月1日、高市首相がAPEC会場で台湾代表・林信義氏と会談した様子を写真付きでSNSに投稿すると、中国外交部は「『一つの中国』原則と日中間の四つの政治文書の精神に反する」として厳正な抗議を表明し、2025年が「中国人民の抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年」かつ「台湾光復80周年」であることを強調し、台湾を植民地支配した日本の歴史的責任に触れ、より慎重な言動を求めた[2]。日本政府は、APECでの台湾代表との会談は歴代政権下でも行われてきた慣行であり、1972年日中共同声明に基づく台湾に関する基本的立場に変更はないと強調した。
高市首相発言と「過去の侵略」ナラティブの発動
日中の摩擦はこれにとどまらなかった。高市首相は2025年11月7日の衆院予算委で、「台湾有事」の際に武力攻撃が発生した状況次第では、2015年安保法制上で集団的自衛権の一部行使の要件となる「存立危機事態になり得る」との認識を示した。この発言は日米同盟を踏まえ米軍への武力攻撃発生時を念頭に置いたものと考えられるが、台湾海峡における具体的ケースと存立危機事態の関係について日本政府が公式の言及を避けてきたことを踏まえると、一歩踏み込んだ発言と捉えられた。首相はその後、特定のケースへの明言を控えることを「反省点」として表明しつつ、「従来の政府方針の範囲内」として野党の撤回要求には応じなかった。中国側は強く反発し、日本政府が「台湾問題への軍事介入」を示唆したと主張して、外交部定例会見、在外公館の公式SNS、国連事務総長への書簡など多層的な対日批判を展開している。
注目すべきは、中国政府・在外公館・国営系メディアの対日批判において、高市首相の台湾有事に関する答弁を「戦後秩序への挑戦」や「軍国主義の復活」と結びつけ、日本に歴史への反省を迫るナラティブを展開している点だ。中国外交部は11月10日の定例会見で、2025年が「抗日戦争勝利80周年」かつ「台湾回復80周年」であると強調し、「日本の指導者が台湾海峡問題に踏み込むことは戦後秩序への挑戦」と位置づけ、日本の台湾統治期の「植民統治下の罪責」にも触れた[3]。8月15日には王毅外相が、日本が80年前にポツダム宣言を受け入れ無条件降伏したにもかかわらず、今なお一部勢力が侵略の美化や歴史の歪曲(わいきょく)を試みていると批判している[4]。11月19日の定例会見では毛寧報道官が、「存立危機事態」や「自衛」を口実とする手法が日本軍国主義の侵略の常套(じょうとう)手段であったと指摘し、1931年の「九一八事変」(日本語では満洲事変が一般的)、「大東亜共栄圏」防衛を名目としたアジア全域への侵略拡大、真珠湾攻撃を例示して高市発言がこの歴史的パターンの再現であると糾弾した[5]。在フィリピン中国大使館のX投稿や中国中央電視台の国際放送ネットワーク(CGTN)、国営メディアの新華社などは、”軍国主義の亡霊”をモチーフにした風刺画を掲載し、台湾をめぐる「存立危機」言及を第二次大戦期の侵略と直結させた[6]。現代日本の安全保障政策を「過去の侵略」と連続して描くこのナラティブは、道徳的・歴史的優位を主張する中国政府の典型的レトリックである。
以上のとおり、首脳間で「安定的な関係」を確認しながらも、台湾問題では対立が先鋭化し、節目の年には歴史認識をめぐる厳しい言葉が投げかけられる。歴史認識は過去の評価にとどまらず、現在の安全保障・経済安保・危機管理に直結する実質的争点であり続けている。本稿では、中国社会における近年の歴史認識をめぐる動向を概観し、我々はどのように過去の負の歴史に向き合えば良いのか考えてみたい。
制度化された戦争の記憶
918、77、1213。これらの数字列を見聞きして、すぐにピンとくる日本人はあまり多くないかもしれない。しかし中国では、918は「九一八事変」(満洲事変の発端となった柳条湖事件、1931年9月18日)、77は「七七事変」(日中戦争全面化の発端となった盧溝橋事件、1937年7月7日)、1213は「南京大虐殺」(南京事件、1937年12月13日)の日付として、それに前後する時期にはオンライン上でも「勿忘国耻」(国恥を忘れるなかれ)という言葉とともに、「民族の屈辱」と「抗戦の記憶」を呼び起こす作用を持ち得る。
この日付の「重み」を理解していなかった日本企業が批判に晒(さら)された事例もある。2021年、ソニー中国法人は新製品発表を7月7日に予告し、100万元の罰金を科された。
2024年9月18日には広東省深圳の日本人学校の児童が登校中に刃物で襲撃され亡くなる事件が起きた。動機不明のまま被告人に死刑が執行されたため真偽は定かではないが、柳条湖事件の日に日本人を狙った犯行ではないかという見立てもある。事件以降、現地の日本人学校ではこれらの歴史的事件の日付には休校としたり、登校をとりやめてオンライン授業としたりするなどの措置が広がっているという。
こうした日中戦争をめぐる歴史記憶は、近年、国家レベルで制度化も進んでいる。習近平政権下の2014年2月、全国人民代表大会常務委員会は9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」に、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」と定めた[7]。2015年の戦後70周年から「中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利」を記念する軍事パレードが北京で行われるようになり、今年(2025年)は戦後80周年として二度目の記念式典とパレードが行われた。これらは制度化された戦争の記憶の延長線上にあり、中国共産党による統治の正当性を内外に再確認する儀式としての側面を強く持っている。
「反日プロパガンダ」の先に―中国世論の多様性
しかし、中国社会における歴史認識は、単なる官製ナショナリズムの投影にとどまらない。80周年に合わせて南京事件をテーマに扱った『南京照相館』と旧日本軍の731部隊をテーマに扱った『731』という二本の劇映画が公開され、後者は柳条湖事件の9月18日に合わせて公開された。両作品への対照的な評価は、抗日戦争時期の負の歴史を題材とする映画について、中国社会を当局の「プロパガンダに煽動されている」と切って捨てることはできない好例と言えよう。
前者は感動大作として話題を呼んだが、後者は時代考証を無視した荒唐無稽な内容が観客に支持されなかった。中国の大手映画情報サイトでは興行収入約20億元とされるヒット映画『731』の点数評価は見られなくなっている。中国の質問サイト「知乎」では、海外映画情報サイトIMDbで『南京照相館』が8.1点という高スコアを記録した一方、『731』は2点台と低迷していることの理由について、「『南京照相館』が8.1点なのだから、海外勢力のネガティブキャンペーンという言い訳は通用しない」といった冷静な分析も見られる。
日本の言説空間では、中国でこうした日中戦争を題材とする映画が製作されると、直ちに「反日感情の煽動」と結びつけられがちだ。しかし、ナチズムやスターリニズムの国家暴力を描いた映画が「反ドイツ」「反ロシア」のプロパガンダ映画と言われることはないように、日中戦争時の日本軍の加害行為を題材とした映画を制作・上映することはそれ自体何ら不思議なことではない。自国のものであれ、他国によるものであれ、過去の国家暴力を記憶し語り継ぐことは、旧加害国の現在の政権を敵視することとは別の営みである。もし両者が同一視されるとすれば、それはむしろ旧加害国側の政府や社会が自国の負の歴史から目を背けようとしていることの表れではないだろうか。他方、過去の負の歴史を記憶することと、旧加害国の国籍を有する現代の人々を憎悪の対象とすることもまた全く異なる。もしこの二つを同一視する言説があるなら、それは民族浄化を正当化するファシズムの論理として、国籍や民族を問わず非難されなければならないだろう。
一方で、実際の中国の一般消費者は、こうした歴史認識をめぐる対立軸だけでは捉えきれない多面性を見せている。彼らは日中戦争時の負の歴史を描いた作品を鑑賞するかたわら、日本のアニメ作品をはじめとする日本文化を熱心に享受している。筆者がこの原稿を書いている11月17日現在、中国大手映画情報サイト「猫眼[8]」では11月14日公開の日本映画『「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が観客動員数第1位(興行収入シェア約70%超え)にランクインし、9.7ポイントという高評価を得ている(筆者注:11月17日の午後、中国当局は高市総理の国会答弁への抗議から『クレヨンしんちゃん』などの日本作品の公開を延期する措置を取ったと報じられる)。
上述した二作品への対照的な評価も、中国の観客が戦争映画を単なる「反日」プロパガンダとして消費するのではなく、歴史的悲劇の普遍的な意義や映画としての質を吟味していることの証左だろう。同時に、日本のアニメ映画を享受している中国の一般消費者の態度は、過去の負の歴史と現在の日本を峻別(しゅんべつ)し、前者を忘れないことと後者に親しみを感じることの間に矛盾を感じない、理性的で成熟した姿勢であることが窺える(編集部:関連記事として平井新「現代中国の対日感情はどうなっているのか?」もご覧ください)。
悪化する対日世論と浸透する日本文化
歴史認識の問題を考える際、まず注目すべきは中国の対日世論と市民の実態における奇妙な「ねじれ」である。2024年の第20回日中共同世論調査[9](言論NPO・中国国際伝播集団実施)では、日本に「良い印象」を持つ中国人は37.0%から12.3%へ急減し、「良くない印象」は87.7%に達した。中国政府も高市答弁を受け、日本への旅行・留学の自粛を求める通知を出し、ツアー販売停止、航空便減便、日本人歌手のコンサートや日本アニメイベントの中止といった「制裁」措置を強めている。
しかし、こうした措置が外交カードになること自体、留学や旅行、ポップカルチャーを通じた日中間の文化交流がいかに浸透しているかを逆説的に示している。日本政府観光局によれば、2024年の訪日中国人客数は約698万人で2023年の約2.88倍に急回復し、2025年1〜10月には約820万人と前年通年を上回った[10]。携程旅行網のデータでは、2025年国慶節には日本が中国人「海外人気目的地TOP1」であった[11]。
もちろん、人口約14億人に対し年間700〜800万人は0.5〜0.6%に過ぎず、訪日層は経済的余裕のある一部に限られる。しかし、世論調査が示す「劇的な悪化」が社会全体の実態なら、訪日客も減少するはずだろう。政府の「制裁」本格化まで訪日客が増加し続けた事実は、世論調査と実際の行動の乖離(かいり)を示唆する。「日本に良くない印象」という回答は政治的に「正しい」答えとして表明されやすく、個人の消費選好とは次元が異なる。訪日増加は円安や国内旅行市場の飽和といった経済的要因にも規定されており、プロパガンダの「相対化」というより、政治と消費を切り分ける中国市民のプラグマティズム、あるいは脱政治化と見るべきかもしれない。また、2005年や2012年に見られた日本車破壊や日系店舗襲撃といった激しい「反日デモ」も現時点では観察されていない。当時のデモは政府が一定程度容認・動員したとされるが、制御不能となり中国自身の国際イメージと投資環境への信頼を損なった。中国政府の現在の抑制的対応は、そうした経験からの学習と、経済状況が厳しい中で社会不安を避けたい当局の計算によるものだろう。
中国政府が「日本軍国主義の復活」を声高に叫んでも、少なくない中国市民は日本文化を消費し日本旅行を楽しんできた。「反日デモ」が街頭からネットに主戦場を移しつつある昨今、日本産海産物の輸入停止や文化交流の停止などの「官製」の対抗策と、一般の中国市民の感覚が必ずしも完全に同期されているわけではないことにも注目すべきである。政府間関係の悪化が市民レベルの全面的な敵対に直結していない現実は、両国関係に文化の面で一定の緩衝材が存在することを意味する。問題は、この緩衝材がどの程度の圧力に耐えられるか、当局がそれを意図的に破壊しようとした場合に何が起こるかだろう。
[1] 外務省 「日中首脳会談」外務省ウェブサイト, 2025年10月31日. (https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/pageit_000001_02536.html, 2025年12月10日最終閲覧。以下同じ)
[2] 中華人民共和国外交部 「外交部発言人就日本領導人APEC会議期間涉台錯誤言行答記者問」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月1日.(https://www.mfa.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251101_11745456.shtml)
[3] 中華人民共和国外交部 「2025年11月10日外交部発言人林剣主持例行記者会」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月10日. (https://www.fmprc.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251110_11749991.shtml)
[4] 中華人民共和国外交部 「王毅: 只有正視歴史,才能防止再入岐途」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年8月15日. (https://www.mfa.gov.cn/wjbz_673089/xghd_673097/202508/t20250815_11690438.shtml)
[5] 中華人民共和国外交部 「2025年11月19日外交部発言人毛寧主持例行記者会」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月19日. (https://www.mfa.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251119_11756095.shtml)
[6] 中国国際電視台(CGTN) “The Lingering Ghost of Militarism.” CGTN公式サイト, 2025年11月21日. (https://news.cgtn.com/news/2025-11-21/The-lingering-ghost-of-militarism-1Iu29K1ZREk/index.html)
[7] 中華人民共和国外交部 「外交部負責人就全国人大常委会通過《関於確定中国人民抗日戦争勝利紀念日的決定》和《関於設立南京大屠殺死難者国家公祭日的決定》発表談話」中華人民共和国駐日本国大使館公式サイト, 2014年2月27日. (https://jp.china-embassy.gov.cn/zrdtx/202405/t20240507_11296413.htm)
[8] 猫眼娯楽「猫眼電影」公式サイト. (https://www.maoyan.com)
[9] 言論NPO・中国国際伝播集団 「第20回 日中共同世論調査―日中両国民の相互認識に関する共同世論調査(2024年)」言論NPO公式サイト, 2024年10月31日発表. (https://www.genron-npo.net/discussions/archives/20131)*会員限定コンテンツ
[10] 日本政府観光局(JNTO) 「2024年 国籍別/目的別 訪日外客数(確定値)」統計資料 PDF, 2025年8月20日. 日本政府観光局(JNTO)「統計データ」ページ. (https://www.jnto.go.jp/statistics/data/_files/20250820_1615-6.pdf)
[11] 新浪科技 「携程集団10月9日全情報分析報告:『携程平台双節旅遊数拠亮眼』対股価有積極影響」新浪科技, 2025年10月9日.(https://finance.sina.com.cn/tech/roll/2025-10-09/doc-infticea9633728.shtml)