Commentary
政治と消費を切り分ける市民のプラグマティズム
高市発言から日中「歴史認識」問題を読み解く
一方で、実際の中国の一般消費者は、こうした歴史認識をめぐる対立軸だけでは捉えきれない多面性を見せている。彼らは日中戦争時の負の歴史を描いた作品を鑑賞するかたわら、日本のアニメ作品をはじめとする日本文化を熱心に享受している。筆者がこの原稿を書いている11月17日現在、中国大手映画情報サイト「猫眼[8]」では11月14日公開の日本映画『「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が観客動員数第1位(興行収入シェア約70%超え)にランクインし、9.7ポイントという高評価を得ている(筆者注:11月17日の午後、中国当局は高市総理の国会答弁への抗議から『クレヨンしんちゃん』などの日本作品の公開を延期する措置を取ったと報じられる)。
上述した二作品への対照的な評価も、中国の観客が戦争映画を単なる「反日」プロパガンダとして消費するのではなく、歴史的悲劇の普遍的な意義や映画としての質を吟味していることの証左だろう。同時に、日本のアニメ映画を享受している中国の一般消費者の態度は、過去の負の歴史と現在の日本を峻別(しゅんべつ)し、前者を忘れないことと後者に親しみを感じることの間に矛盾を感じない、理性的で成熟した姿勢であることが窺える(編集部:関連記事として平井新「現代中国の対日感情はどうなっているのか?」もご覧ください)。
悪化する対日世論と浸透する日本文化
歴史認識の問題を考える際、まず注目すべきは中国の対日世論と市民の実態における奇妙な「ねじれ」である。2024年の第20回日中共同世論調査[9](言論NPO・中国国際伝播集団実施)では、日本に「良い印象」を持つ中国人は37.0%から12.3%へ急減し、「良くない印象」は87.7%に達した。中国政府も高市答弁を受け、日本への旅行・留学の自粛を求める通知を出し、ツアー販売停止、航空便減便、日本人歌手のコンサートや日本アニメイベントの中止といった「制裁」措置を強めている。
しかし、こうした措置が外交カードになること自体、留学や旅行、ポップカルチャーを通じた日中間の文化交流がいかに浸透しているかを逆説的に示している。日本政府観光局によれば、2024年の訪日中国人客数は約698万人で2023年の約2.88倍に急回復し、2025年1〜10月には約820万人と前年通年を上回った[10]。携程旅行網のデータでは、2025年国慶節には日本が中国人「海外人気目的地TOP1」であった[11]。
もちろん、人口約14億人に対し年間700〜800万人は0.5〜0.6%に過ぎず、訪日層は経済的余裕のある一部に限られる。しかし、世論調査が示す「劇的な悪化」が社会全体の実態なら、訪日客も減少するはずだろう。政府の「制裁」本格化まで訪日客が増加し続けた事実は、世論調査と実際の行動の乖離(かいり)を示唆する。「日本に良くない印象」という回答は政治的に「正しい」答えとして表明されやすく、個人の消費選好とは次元が異なる。訪日増加は円安や国内旅行市場の飽和といった経済的要因にも規定されており、プロパガンダの「相対化」というより、政治と消費を切り分ける中国市民のプラグマティズム、あるいは脱政治化と見るべきかもしれない。また、2005年や2012年に見られた日本車破壊や日系店舗襲撃といった激しい「反日デモ」も現時点では観察されていない。当時のデモは政府が一定程度容認・動員したとされるが、制御不能となり中国自身の国際イメージと投資環境への信頼を損なった。中国政府の現在の抑制的対応は、そうした経験からの学習と、経済状況が厳しい中で社会不安を避けたい当局の計算によるものだろう。
中国政府が「日本軍国主義の復活」を声高に叫んでも、少なくない中国市民は日本文化を消費し日本旅行を楽しんできた。「反日デモ」が街頭からネットに主戦場を移しつつある昨今、日本産海産物の輸入停止や文化交流の停止などの「官製」の対抗策と、一般の中国市民の感覚が必ずしも完全に同期されているわけではないことにも注目すべきである。政府間関係の悪化が市民レベルの全面的な敵対に直結していない現実は、両国関係に文化の面で一定の緩衝材が存在することを意味する。問題は、この緩衝材がどの程度の圧力に耐えられるか、当局がそれを意図的に破壊しようとした場合に何が起こるかだろう。
[1] 外務省 「日中首脳会談」外務省ウェブサイト, 2025年10月31日. (https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/pageit_000001_02536.html, 2025年12月10日最終閲覧。以下同じ)
[2] 中華人民共和国外交部 「外交部発言人就日本領導人APEC会議期間涉台錯誤言行答記者問」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月1日.(https://www.mfa.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251101_11745456.shtml)
[3] 中華人民共和国外交部 「2025年11月10日外交部発言人林剣主持例行記者会」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月10日. (https://www.fmprc.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251110_11749991.shtml)
[4] 中華人民共和国外交部 「王毅: 只有正視歴史,才能防止再入岐途」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年8月15日. (https://www.mfa.gov.cn/wjbz_673089/xghd_673097/202508/t20250815_11690438.shtml)
[5] 中華人民共和国外交部 「2025年11月19日外交部発言人毛寧主持例行記者会」中華人民共和国外交部公式サイト, 2025年11月19日. (https://www.mfa.gov.cn/fyrbt_673021/202511/t20251119_11756095.shtml)
[6] 中国国際電視台(CGTN) “The Lingering Ghost of Militarism.” CGTN公式サイト, 2025年11月21日. (https://news.cgtn.com/news/2025-11-21/The-lingering-ghost-of-militarism-1Iu29K1ZREk/index.html)
[7] 中華人民共和国外交部 「外交部負責人就全国人大常委会通過《関於確定中国人民抗日戦争勝利紀念日的決定》和《関於設立南京大屠殺死難者国家公祭日的決定》発表談話」中華人民共和国駐日本国大使館公式サイト, 2014年2月27日. (https://jp.china-embassy.gov.cn/zrdtx/202405/t20240507_11296413.htm)
[8] 猫眼娯楽「猫眼電影」公式サイト. (https://www.maoyan.com)
[9] 言論NPO・中国国際伝播集団 「第20回 日中共同世論調査―日中両国民の相互認識に関する共同世論調査(2024年)」言論NPO公式サイト, 2024年10月31日発表. (https://www.genron-npo.net/discussions/archives/20131)*会員限定コンテンツ
[10] 日本政府観光局(JNTO) 「2024年 国籍別/目的別 訪日外客数(確定値)」統計資料 PDF, 2025年8月20日. 日本政府観光局(JNTO)「統計データ」ページ. (https://www.jnto.go.jp/statistics/data/_files/20250820_1615-6.pdf)
[11] 新浪科技 「携程集団10月9日全情報分析報告:『携程平台双節旅遊数拠亮眼』対股価有積極影響」新浪科技, 2025年10月9日.(https://finance.sina.com.cn/tech/roll/2025-10-09/doc-infticea9633728.shtml)