Commentary
高市早苗総理発言と日中台関係
なぜ中国は強硬に応対するのか
2025年は戦後80年であったが、中国と台湾との間の歴史認識をめぐる応酬により両者の緊張は高まった。5月初旬に習近平国家主席がロシアの対ドイツ戦争勝利80周年記念式典に合わせて発表した「以史為鑑、共創未来」でカイロ宣言、ポツダム宣言などに基づき中国の台湾に対する主権を強調すると(注2)、頼清徳総統は6月末の講演でサンフラシスコ平和条約に基づいて中華人民共和国の台湾に対する主権を否定した(注3)。そして8月15日、頼清徳総統は「八十年後的今天,在終戦紀念日的這一天([1945年から]80年後の今日、この終戦記念日にあたり)」などと表現し(注4)、この日を「光復」「抗日戦争勝利」記念日だとすべきだと中国、そして台湾の中国国民党などから強い抗議を受けた。8月18日、中国外交部の報道官は、頼総統の一連の発言を受けて、「サンフランシスコ講和条約は無効」だとし頼総統の発言を全面否定した(注5)。
高市新政権の誕生と日中台関係
このように中台関係が緊張をはらむ中、2025年10月4日、自民党総裁選挙で高市早苗議員が総裁に選出された。これに対して頼清徳総統は祝意を表した(注6)。ここでは「台日両国」という言葉が使われたことを中国は批判した。また、10月21日、高市新総理が誕生すると頼総統はSNSにて祝意を表し、高市総理を「台湾堅定的友人(台湾の揺るぎなき友人)」とし、日台関係を「共享価値的堅実夥伴(価値を共有する揺るぎないパートナー)」であり、この関係が新たな段階に進むことへと期待を示した。その三日後、10月24日、中国の全国人民代表大会常務委員会は、1945年10月25日に日本の台湾統治が終了したことを記念して、この日を「台湾光復紀念日」とすることに決した(注7)。
その10月24日、日本では高市新総理が国会で所信表明演説を行い、安全保障面では中国について「深刻な懸念」としつつも、中国を「日本にとって重要な隣国」と表現し、「建設的かつ安定的な関係を構築していく必要」があるとした上で、「日中首脳同士で率直に対話を重ね、『戦略的互恵関係』を包括的に推進」するとした(注8)。台湾には言及がなかった。そして、一週間後の10月31日に、アジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加するため韓国を訪問した両首脳の間で、日中首脳会談がなされた。両国の外交当局が発表した会議の内容はあまりに異なっているが、「建設的かつ安定的な関係を構築」、「戦略的互恵関係」の推進、対話の重要性などでは一致している。高市総理としても、議員としてのスタンスと総理としてのスタンスとを弁別した外交の一環であっただろう。
日中首脳会談の翌11月1日、高市総理は同じくAPECに参加していた台湾の代表(林信義・元行政院副院長)と会見した。安倍元総理を含め、APECでの日本の総理と台湾代表との会見には多くの前例がある。しかし、中国は民進党政権を独立志向として強く批判し、蔡英文や頼清徳総統、そして民進党政権関係者に会ったりするだけで、たとえ前例があっても、強く批判するなど、2010年代後半以来、台湾問題で自らハードルを上げてきていた。まして、昨今は頼政権との間で歴史をめぐる問題で緊張が増していた。そのため、高市総理と台湾の代表とがAPECの場で会ったことに、中国は強く抗議した。
高市総理の国会での「存立危機事態」に関する発言があったのは11月7日であった。高市総理の発言は個別事例に踏み込んだ点では異例であったが、内容としては日本政府の既存の方針に沿っていた。しかし、中国はこの発言を利用し、「日本による現状変更」を主張しつつ、日本と台湾との関係性に楔(くさび)を打ち込もうと、強い対抗措置を発動した、ということだろう。
その後、アメリカが高市発言そのものを支持はせず、あくまでも個別事例には触れず原則論を繰り返していることから、中国は日米間の「離間政策」にも利用できると考えているであろうし、また日本国内の議論が割れていることも、中国にとっては好都合に映る。