Commentary
中国の現在地は日本の1974年か、それとも1993年か
不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか①
こうした見方に対して当然異論も多い。中国は2022年時点の1人あたりGDPがまだ1万2720ドルで、世界銀行の定める「中所得国」の段階からもう少しで卒業、というレベルにすぎない。一方、1992年の日本の1人あたりGDPは(その間の物価の変化を調整すると)2022年の中国の2.5倍であり、1992年の時点ですでに成熟した高所得国であった。1人あたりGDPでいうと、今日の中国はまだ日本の1960年代後半ぐらいのレベルである。だとすれば、中国の高度成長期はもう終わったのだとしても年4~5パーセントぐらいの中成長は当面可能なのではないだろうか。
私も中国はまだ10年以上は中成長が可能な段階にあると考える。ただ、中国が引き続き中成長の軌道をたどるのか、それとも低成長に陥るかは政策の選択による部分が大きいとも考える。政策の選択を誤れば、中国経済は長い低成長に入ってしまうかもしれない。そして、中国政府が適切な政策を選択できない可能性は決して小さくないと思う。
そのカギとなるのはやはり不動産である。中国の不動産業が今、深い罠(わな)にはまってしまって、なかなか出口が見出しがたい状況にあるのは事実である。しかし、不動産の発展がここで終わっていいはずがない。そのことは戦後日本の経験からいえることである。以下では戦後日本の不動産業の展開を振り返る。
日本の不動産業の成長を支えた「都市化」と「住宅高度化」
戦後の日本の不動産業は、量的に大きく拡大した1940年代末から1973年までの時期、量的には伸び悩んだが地価の上昇が続いた1974年から1991年までの時期、そして地価が下落する1992年以降と、大きく3段階に分けられる(橘川・粕谷編、2007)。不動産バブルが崩壊している2023年の中国は日本の1993年頃にあたると思われるかもしれない。だが、はたしてそうであろうか。
戦後日本の不動産業の成長を支えた社会経済的要因とは、農村から都市への人口移動、そして都市の中での、より広く、条件のよい住宅への住み替えであった。ここでは前者を「都市化」、後者を「住宅高度化」と呼ぶことにする。
戦後の日本の都市化がどのように進んだかを図2に示した。1946年から1970年までは「非農家人口」によって都市人口の定義としている。農家とは、10アール以上の農業を営んでいるか、または農産物の販売金額が15万円以上ある世帯のことを指す。家族の中で老夫婦だけが農業を営み、同居している息子・娘や孫たちはサラリーマンとして勤めていても、もし農業収入が年間15万円を上回るようであれば、その家族全員が農家人口に含まれる。農家が住んでいるところは農村であろうから、農家以外の人口がすなわち都市人口だろう、という推測に基づき、図2では非農家人口がすなわち都市人口だとしている。都市人口(非農家人口)の割合は1946年に55パーセントだったのが1970年には74パーセントへ急速に上昇した。
ただし、1970年代以降は農村に居住しながらも、家族の中で誰も農業に従事しないケースが増えていったので、「非農家人口」によって都市人口を測ることが適切ではなくなった。代わりに農林水産政策研究所の松久勉氏が作成した表から「都市的地域」の人口を抜き出し、それをもって都市人口比率とみなすことにした。図2では1970年以降は都市的地域の人口をもって都市人口比率とみなしている。
松久氏は1950年時点の市町村を基に、各年における各地域の状況に応じて都市的地域、平地農業地域、中間農業地域、山間農業地域に分類し、それぞれの人口を示した(松久、2015)。1970年には都市的地域の人口と非農家人口の比率(それぞれ72パーセント、74パーセント)があまり違わなかったが、その後両者のギャップが開いていった。それは、農村に住む非農家人口が増えたことを反映している。
図2から日本の人口の都市化は1970年代前半までかなり急ピッチに進み、1975年には都市的地域の人口比率が75パーセントに達したが、その後は増加ペースがかなり緩やかとなり、2020年時点でもようやく82パーセントになったことがわかる。日本の不動産業が1974年以降量的に伸び悩んだのはまさに都市化のペースが鈍ったからだといえよう。