Commentary
自由貿易試験区の展開と中央地方関係
習近平政権は地方政府とどう向き合っているのか
中国の経済発展の契機となった1980年代以降の「改革開放」が政策実施における地方分権を特徴としたのに対し、習近平政権は中央集権を強めていることは、多くの識者に指摘されているところである。しかしながら習近平政権もまた、多くの政策を地方政府と連携しながら実施している。その代表例が、自由貿易試験区(以下、自貿区)政策である。自貿区政策は2013年に開始された。6度の新規増設を経て、2025年12月時点で22の省・直轄市・自治区に自貿区が設置されている。
以下では、自貿区で何が行われ、自貿区がどのように拡大してきたのか、そして自貿区政策の成果と課題を検討することで、習近平時代の政策実施における中央と地方の関係を考えたい。
初期の自貿区:従来の開発区との違い
自貿区政策は、習近平政権の発足間もない2013年9月、上海市への自貿区設置を以て始動した。「試験区」という名称からも明らかであるように、政策開始当初、自貿区は対外経済に関する新たな改革を試験的に行う役割を与えられていた。上海自貿区で行われた改革の内容は、当時の中国が直面していた課題と密接に関連する。当時の中国経済は「中所得国の罠」(途上国が経済発展によって中所得国にまで到達した後、発展戦略を転換できず、成長率が伸び悩む現象)を回避するべく、投資主導の成長モデルからの転換や、産業構造の高度化が求められていた。こうした課題への対応として、上海自貿区では外資参入における事前許可制の廃止、ネガティブリストを用いた外資参入領域の拡大などの改革が実験的に行われることとなった[1]。ここで留意すべきは、従来の開発区政策で多く見られた、外資企業向けの税制優遇措置は、自貿区政策の主たる内容ではなかったという点である。また自貿区は、他国の「自由貿易区」(Free Trade Zone)で行われてきたような輸入関税の減免を行う政策でもなかった。自貿区の主眼は、あくまで対外経済に関する制度改革の試行に置かれていたのである。中国共産党上海市委員会書記(当時)の韓正が上海自貿区開設当初に述べた、自貿区は上海のみにとどまる「盆栽」ではなく、全国規模に改革を普及させるための「苗畑」である、という表現は、当時の自貿区の位置づけを端的に表している[2]。
自貿区政策の開始に対して、地方は敏感に反応した。各地の地方政府は自貿区を誘致するべく、中央に対して様々な働きかけを行った。上海自貿区の開設から1年以内に、20を超える省レベル地方政府が自貿区誘致を続々と表明した[3]。自貿区を誘致する地方政府は往々にして、自貿区を従来型の外資優遇政策と見なし、地方の経済的利益の増大を求めるものであった。地方が自貿区の趣旨を理解していないことは、李克強国務院総理(当時)をはじめとした中央の批判の対象となり、ついには地方から提出された自貿区設置申請の審査が一時停止されるまでに至った。
自貿区の拡大と変化:動員される地方
2014年12月、自貿区政策の展開において重要な2つの決定が発表された。第一に、上海市に次ぐ自貿区の新設地域として、広東省、天津市、福建省が選出された。これらの新設自貿区は、上海自貿区での改革の継続とともに、地域発展戦略の一翼を担うことを中央から託された。たとえば、広東自貿区は香港・マカオとの連携、天津自貿区は京津冀(北京・天津・河北)エリアの発展戦略、福建自貿区は台湾との連携がそれぞれ打ち出された。開始時点では制度改革の実験場と位置づけられていた自貿区に、地域発展政策としての側面が加えられたのである。
第二に、上海自貿区で試験的に行った改革の一部が、全国規模で実施されることとなった。この諸改革の具体的な実施は地方政府に委ねられ、各地方が改革実施を競い合う状況が生じた。地方が改革実施に積極的であったのは、地方にとってはこれが政策実施能力を中央にアピールする、格好の機会であったためである。地方が制度改革の実施を自貿区誘致の手段と捉え、それが結果的に中国全体での改革の前進につながる、という構図が生じた。こうして、改革の過程に地方が動員されたのである。
2015年3月に上記3地域の自貿区が開設された後、中央から語られる自貿区政策の位置づけに若干の変化が現れた。たとえば、2015年5月発表の「開放型経済新体制の建設に関する中共中央、国務院の若干の意見」では自貿区について、「地方の特徴に応じて新たな試行内容を充実させ、将来的には国家発展戦略における必要性に応じて他の地域へと拡大させる」との方針が示された。「地方の特徴」や「国家発展戦略における必要性に応じて」自貿区の拡大が検討されるのは、全国規模での新たな改革の試行という当初の自貿区政策の趣旨とは異なっている。
同時期、中央の方針変化に伴って、自貿区の拡大をめぐる国内の議論にも変化が見られた。次なる自貿区の設置候補地として内陸地域がしばしば取り沙汰され、自貿区設置を通じた沿海部と内陸部との経済格差の改善が構想された。また、外資や貿易などの領域の政策試行は既存の自貿区で十分行えるため、各地域の特色を生かした政策が期待される次の自貿区では「自由貿易試験区」の呼称を用いる必要はもはやないとの議論すら存在した[4]。
果たして2017年以降、内陸部を含む中国各地に自貿区が設置され、各地の特徴を生かした対外経済政策が打ち出された。全国への普及を前提とした制度改革の試行という自貿区政策の当初の理念は、失われたのだろうか。
自貿区の成果と課題:地方政府による政策実施の構造的問題
2013年以降、外資導入におけるネガティブリストの導入や、通関手続きの簡便化など、自貿区での種々の試行が全国範囲に展開されてきた。外資導入の分野における自貿区での試行は、2020年に施行された外商投資法によって法制化されており、自貿区を通じた制度改革は一定の成果を上げていると言えるだろう。
一方で、自貿区の現場にはなお様々な課題がある。第一に、自貿区政策初期の地方の動きにも見られたように、地方政府には地域経済発展を最優先する考えが根強く存在する。この背景には、中国では地方政府による経済政策実施に対する評価が、往々にしてGDPや外資誘致金額などの定量的な実績に基づいて行われてきたことがある。政策実施の定量的評価は地方政府幹部の人事評価にも直結するため、地方政府は制度改革よりも、目に見える短期的成果を追求する傾向が強い。実際に、一部の自貿区では、区外の企業を自貿区内に移転させることで自貿区の企業誘致実績を水増しする工作が行われていた[5]。こうした地方政府の定量成果志向は、制度改革を旨とする自貿区政策の理念とは矛盾しうる。
第二に、各地の自貿区の管理体制をめぐって、行政上の課題がある。中国の行政システムは、政策実施における中央地方間の一貫性を様々な面で阻害している。まず、自貿区が設置される省の多くは、省内の複数の都市に自貿区が置かれている。ここで、各都市の自貿区は「片区」(サブエリア)と呼ばれる。多くの省において、省内の自貿区政策の統括は省政府が行い、各片区の日常管理は市政府が担当する。すなわち、自貿区は中央-省-市という3つのレベルの政府による行政管理体制下で運営されている。多くのレベルの政府が政策実施に関わると、中央から地方に対する管理・監督のコストは上昇し、地方が中央の意図から逸脱するリスクも大きくなると考えられる。
一方で、自貿区での種々の規制緩和は、必然的に中央省庁、あるいは地方政府内の官僚部門との調整を要する[6]。片区を有する地方政府にとって自貿区の管理運営は、上級政府のみならず関連省庁をも含む様々な主体との調整を要する難題である。中国では各行政部門、役職に等級が細かく定められ、その上下関係が権力構造に直結することに鑑みると、地方政府が直面する調整上の困難は想像に難くない。
さらに、各自貿区の管理に割かれる人員の数が限られていることも、管理運営の困難を大きくしている。1つの片区に対する行政スタッフの人数は20人前後にとどまる[7]。この人数で上級政府から課される数百の新制度を実行に移すことは容易ではなく、そのすべてが順調に実行されているとは言い難い。
それでも自貿区政策は続いている:習近平時代の中央地方関係を考える
ここまで検討してきた通り、自貿区政策は2013年の開始以降、設置地域の拡大に伴ってその性質を制度改革の試行地点から地域経済発展政策へと漸進的に変化させてきた。自貿区を通した制度改革には一定の成果を認められるものの、その運営の実態には少なからぬ課題が存在する。一方で、2025年12月の中央経済工作会議では、自貿区政策の継続、発展が言明された。運営上の課題を抱えながらも、開始当初から政策の性質を変化させてまで、自貿区政策が今なお継続しているのはなぜなのだろうか。
自貿区政策を貫く理念には、政策開始以来大きな変化はないと筆者は考える。すなわち、対外貿易、外資導入における制度的障壁をできる限り小さくすることで、開放のレベルを上げるという目的は維持されている。ただし、それを中国各地で実行させるためには、中央集権を強めている習近平政権であっても、様々な工夫が必要なのである。
自貿区政策が始まって以来、多くの地方が自地域への自貿区設置を求め、中央に対する誘致活動を展開してきた。自貿区誘致の動きは、自貿区が現在置かれていない吉林省や内モンゴル自治区などで今も見られる。自貿区を求める地方政府は既に自貿区での試行を経て全国範囲に展開されている制度改革の実行を競うことで、中央に対するアピールを行ってきた。この過程が結果的に、中国各地への改革の浸透を促したのである。
一方、地方政府が自貿区政策の趣旨を十分認識できているとは限らない。GDPなどの定量的成果を重視する地方政府は、自貿区にも定量的成果を求める傾向がある。政策開始当初、中央は地方政府のこのような「誤解」に苦言を呈していたが、政策の展開につれて、地域経済への考慮が見られるようになった。ここからは、地方に対する中央の妥協が読み取れる。自貿区政策の主目的である制度改革に地方を関与させるための動機づけとして、地域経済への考慮が政策の展開につれて付加されたのではないだろうか。
そして、地方に自貿区が設置された後も競争は続いている。2023年6月、中央は一部の自貿区(上海、広東、天津、福建、北京、海南)に限定して新たな規制緩和の実施を通達した。商務部はこれらの地域が選ばれた理由の1つに、当該自貿区の監督管理能力の高さを挙げている[8]。このように、政策実施過程で自貿区の差別化を行うことで、自貿区間の競争を喚起し、各自貿区に積極的な改革の実行を促している。
習近平政権下で中央集権が進んだ結果、かつて見られた地方政府の裁量に基づく地方独自の政策は影を潜めている。しかし自貿区政策の展開からは、中央が依然として地方を政策に関与させるために様々な工夫を講じていることが分かる。ただし、地方が中央の要求にどこまで付いて来られるかは不透明である。自貿区の管理運営を支える行政システムの複雑さは変わっていない上、自貿区を運営するための人材面、財政面の余裕が地方政府にどの程度あるのかにも、疑問が残る。それでも、広大な統治領域を有する中国において、地方の力を得ずに政策を推進することはできない。習近平政権も従前の政権同様、地方との関係については、難しいかじ取りを迫られ続けている。
[1]外資導入におけるネガティブリストとは、外資参入を制限ないしは禁止する業種のみを明記し、記載のない業種の外資参入を広く受け入れる方式である。中国は従来、「外商投資産業指導目録」を作成し、業種ごとに開放の度合いを定める、いわゆるポジティブリスト方式をとっていた。ポジティブリスト方式ではリストに記載のない業種の参入が認められない一方、ネガティブリスト方式の場合、リストに記載のない業種の参入が広く認められるため、外資参入障壁を引き下げる効果がある。
[2]「韓正:自貿区不是 “盆栽景”,而是 “植苗圃”」『21世紀経済報道』2013年11月7日。
[3]『瞭望』2014年6月2日第22期。
[4]「中国の自由貿易試験区第3弾の設立、「両会」後にも承認か」新華網日本語、2016年2月24日(https://jp.xinhuanet.com/2016-02/24/c_135125016.htm)
[5]鄭展鵬・曹玉平・劉志彪「我国自由貿易試験区制度創新的認識誤区及現実困境」『経済体制改革』2019年第6期、56ページ。
[6]中国では、中央各省庁に相当する地方部門が各レベルの地方政府にも存在している。各省庁の指導が地方部門を通じて末端まで貫徹される組織構造が形成されている。
[7]鄭展鵬・曹玉平・劉志彪「我国自由貿易試験区制度創新的認識誤区及現実困境」『経済体制改革』2019年第6期、57ページ。
[8]「国務院、自由貿易試験区や自由貿易港での規制緩和措置を発表」JETROビジネス短信(https://www.jetro.go.jp/biznews/2023/07/fb0c672018848ed8.html)