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Commentary

「合肥モデル」に見る産業発展の要因
ハイテク都市への変貌に市政府が果たした役割

川嶋一郎
清華大学-野村総研中国研究センター(TNC) 理事・副センター長
経済
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近年では、合肥にある中国科学技術大学や中国科学院合肥物質科学研究院などの研究成果を活用して起業した、「合肥生まれ、合肥育ち」の企業が出始めている。写真は、文革の混乱期に北京から合肥に移転した中国科学技術大学の正門。2025年1月(著者撮影・提供)
近年では、合肥にある中国科学技術大学や中国科学院合肥物質科学研究院などの研究成果を活用して起業した、「合肥生まれ、合肥育ち」の企業が出始めている。写真は、文革の混乱期に北京から合肥に移転した中国科学技術大学の正門。2025年1月(著者撮影・提供)

2.指導者の強力なリーダーシップ

長年、経済成長の波に乗り遅れていた合肥が成長に向けて大きく舵を切るには、地方政府指導者の強力なリーダーシップが重要な鍵を握った。合肥が経済成長に向けて動き出したのは、2005年から2011年に中国共産党合肥市委員会(党市委)の書記を務めた孫金龍氏を抜きに語れない。2008年にBOEの第6世代TFT液晶パネル工場の建設に対して、地下鉄工事を一時棚上げしてまで巨額出資することを決めたのは、孫氏のリーダーシップを示す代表的な出来事である。

孫氏は在任中、先述した「工業立市」の産業発展政策のほか、「大建設」と呼ばれる都市機能強化政策(交通、ライフライン、公共施設などの都市インフラ強化、濱湖新区開発など)、「大拆違」と呼ばれる違法建築の撤去や再開発予定地の立退き事業などを進め、合肥の経済・社会が持続的に発展するための基礎固めを行った。

筆者の合肥滞在中にタクシーの運転手が現地の生活事情について話してくれた時も、「孫金龍」という名前が頻繁に登場した。党市委の書記を退任して14年が経った今日でも、市民の間で身近な存在であることがうかがえた。

合肥で現地の企業・公的機関関係者と意見交換した際に、孫氏の「リーダーシップ」が話題になった。孫氏の党市委書記在任中、彼の下で産業政策の立案・推進にあたっていた有識者は、孫氏のリーダーシップが特に秀でていた点として、①人材を育てたこと、②合肥の「フレームワーク」を広げたこと、の2点を挙げた。

その有識者は、「人材を育てた」点について、孫書記の下で働いていた多くの人々がその後、党市委や市政府、さらには安徽省の他都市の要職に就いて活躍したことを紹介してくれた。2011年に孫氏が党市委書記を退任した後も「合肥モデル」の考えや手法が今日まで引き継がれているのは、歴代の党市委書記や市長をはじめ、産業政策に携わっている人たちの間で孫氏の考えがしっかり受け継がれている証だという。

2点目の「フレームワーク」(を広げた)というのは、いくつかの意味を持つ。一つには「市が管轄する地域」ということで、実際、2011年には隣接する巣湖市の一部が合肥市に編入された。もう一つには、従来の「市街地」の概念を打ち破り、経済発展につれて街が急速に拡大していったことである(図1・図2)。前出の有識者によれば、「発展前は、多くの市民は、今日のように街が広がることを具体的にイメージできなかった」が、それが次第に実現していくことで人々が発展の可能性を具体的にイメージできるようになった。

話を聞いているなかで、「フレームワーク」というのが決して地理的なことだけを指すのではなく、「既成概念にとらわれずに、合肥の発展可能性を最大限広げること」を指しているのだと理解した。孫書記は、周辺地域に比べて発展が遅れていた合肥の人たちに合肥の持つ発展ポテンシャルを説き、それを一つずつ実現していくことで可能性をさらに広げていったのである。

図1 合肥の市街地(2000年)

図1 合肥の市街地(2000年)

図2 合肥の市街地(2024年)

図2 合肥の市街地(2024年)
出所)図1・図2ともGoogle Earthより筆者作成。
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