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Commentary

「合肥モデル」における産業形成過程
平凡な地方都市がハイテク都市に変貌するまで

川嶋一郎
清華大学-野村総研中国研究センター(TNC) 理事・副センター長
経済
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合肥の産業発展は「現地の資源が十分に活用され、川上から川下に至る産業クラスターが形成される」形で進展した典型例である。写真は合肥BOEの正門。2025年1月(著者撮影・提供)
合肥の産業発展は「現地の資源が十分に活用され、川上から川下に至る産業クラスターが形成される」形で進展した典型例である。写真は合肥BOEの正門。2025年1月(著者撮影・提供)

合肥の経済成長は市政府が主導した産業政策の大きな成果である。「合肥モデル」の核心は「政府による大胆なエクイティ投資」と「川上から川下に至る産業クラスターの形成を念頭に置いた企業誘致」にあると筆者は考えている。とりわけ後者に関しては、中国の地方都市の次なる成長にとって大いに参考になるはずである。合肥の産業発展は、まさに前述したように、「現地の資源が十分に活用され、川上から川下に至る産業クラスターが形成される」形で進展した典型例だからである。

従って、以下では、合肥の先進ハイテク産業がどのような経緯で発展を遂げ、その過程で政府がどのような役割を担ってきたかを中心に見ていきたい。

なお、筆者は2025年に入って合肥を2回訪問し、現地の企業や公的機関の有識者らと意見交換する機会を得た。また、「合肥モデル」に関し専門家の講演を聞く機会にも恵まれた[3]。本稿は、各種公開資料に加え、現地視察や有識者・専門家との意見交換を通じて得た知見をもとに執筆したものである。

合肥における新興ハイテク産業の集積[4]

1.2005年~、工業を基盤とする都市発展戦略

合肥が経済成長を遂げる過程で大きな転換点となったのは、2005年3月に孫金龍氏が中国共産党合肥市委員会(以下、党市委)の書記に就任したことである[5]。孫書記は「合肥が先進地域に比べて遅れている主な要因は工業の弱さにある」と考え、党市委は同年5月、「工業立市」(製造業を基盤とする市の発展)戦略を決定した。

「工業立市」の方針の下で合肥市政府による企業誘致活動が精力的に進められた結果、家電産業の原材料や部品などの川上分野で、合肥に進出する企業が現れた。その前段階の1990年代後半、ハイアール、美的(Midea)、長虹(Changhong)、格力(Gree)、三洋電機といった国内外の家電メーカーが合肥にテレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの工場を設立していた。2000年代の中盤になって、こうした家電工場で使われる鋼板、プラスチック部品、金型、電子部品、キーコンポーネント(コンプレッサー、モーターなど)、包装資材などのサプライヤーが新たに合肥に進出することになったわけである。

これは、合肥市政府が後に新興ハイテク産業を創出・育成していく際の大きな特徴である「龍頭牽引、鏈式招商」(リーディング企業による産業全体の発展牽引、産業クラスターの形成を念頭に置いた企業誘致)の最初の実践となった。

2.液晶パネル先端工場の誘致と産業クラスターの形成

家電産業の産業クラスターが形成されたことで、合肥で生産される冷蔵庫、洗濯機、エアコンの部品現地調達率が60~70%に達するようになったが、その一方でカラーテレビの現地調達率は30%未満にとどまった。主な原因は、TFT液晶パネルの供給が日韓メーカーに握られていたことにある。当時、TFT液晶パネルの中国国内メーカーは京東方科技集団(BOE)[6]しか無かったが、同社はテレビ用大型パネルの量産技術を確立できていなかった。

2004年の年初、合肥経済技術開発区の管理委員会副主任だった王厚亮氏が合肥ハイアール(ハイアール集団にとって、青島、重慶と並ぶテレビ製造基地の一つ)を訪問した際、液晶パネルが品不足で調達に苦労しているという話を耳にした。王副主任は出身大学の人脈を頼ってBOEとの接触を進めた。BOEは当時、財務状況が厳しく、次世代工場の建設にあたって、財政力のある深圳市や上海市を進出候補地として支援を求めていたが、合肥は候補地に入っていなかった。

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