Commentary
「学区房」が映し出す北京の住宅市場のゆがみ
限界改造アパートに1億円以上の値がつく理由

私は2025年6月から8月末まで3か月のあいだ中国の深圳市に滞在し、9月からは北京市に住み始めて、ちょうど1か月半経ったところである。深圳のアパートを退去する直前に北京に来て次に住む家探しをしたのだが、北京と深圳の住宅事情の違いには愕然(がくぜん)とさせられた。
念願叶った自炊生活
思えば深圳での住環境はとても恵まれていた。私が住んでいたのは招商集団という国有企業が運営するサービス付きアパート(公寓)である。条件を伝えると、不動産屋さんは現地のアパート管理会社が運営するアパート3か所へ連れて行ってくれて、それぞれのアパートで空き部屋を三つずつ見せてくれた。結局、地下鉄の四海駅から徒歩10分ほどの場所にある家賃月額8000元(約16万円)のところに決めた。
部屋はワンルームだが、勉強机、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、Wi-Fi機器、ガス台とシンク、さらにフライパン、シチュー鍋、中華包丁セット、ワイングラスなど、すぐに生活と自炊が始められる道具が揃っている。新鮮な食材を買ってきて、強い火力で中華料理を思う存分作ることは、前回の中国長期滞在(1991-93年)では果たせなかった私の夢だったので、家探しに際しては自炊できるかどうかを特に重視したのだが、その点では選んだ部屋は大正解だった。
しかも、住んでみて、サービス付きであることに意外なメリットがあることを知った。定期的に部屋に掃除が入り、タオルやシーツが交換されて部屋のなかが清潔に保たれるばかりではない。私が住むアパートは檳榔園という30棟ほどのアパートが立ち並ぶ団地に入っている。団地の出入口にはガードマンがいて、一般の人は団地のなかに入れないようになっている。団地内にはコンビニ、スポーツジム、コインランドリー、小さな図書館まであり、団地内の植生、広場、道路などの公共スペースはアパート管理会社によってきれいに整備されている。公共スペースでは老人たちが談笑したり、外国人が飲み会をやっていたりするが、彼らが空き瓶や紙くずを残しても、数時間後には掃除の人が片付けている。
さらにアパートを出て20分ほど行くと、大南山という標高336メートルの山への登山口があるし、海浜公園も近い。買い物や外食もとても便利で徒歩7分ぐらいの圏内にスーパー2軒、数十軒のレストランがあり、朝ごはんを自分でも作らなくても門を出て5分ほど歩けば包子(肉まん)や豆乳などを数軒のレストランの前で売っている。
買い手市場の深圳、売り手市場の北京
北京の住環境は深圳とはまったく異なっている。北京の不動産屋さんに部屋を案内してもらった時に、「今日ここで決めないと明日には部屋がないかもしれないよ」とたびたびせかされた。実際、空き部屋があるとどんどん借り手がつくというのは事実らしい。さらに、3か月しか住まないのに家賃5か月分、すなわち家賃3か月分+敷金1か月分+仲介料1か月分を一括ですぐに支払え、といわれるのにも閉口した。最初に連絡した不動産屋さんがやや頼りなく思えたので、もう一軒の不動産屋さんにも相談したのだが、結局入居可能な部屋として紹介されたのは2軒の不動産屋さん合わせて5部屋しかなく、うち2部屋は北京滞在予定の11月末まで住める保証がないというのである。
深圳はアパートがよりどりみどりの買い手市場だったのに対して、北京は売り手市場である。それもあって、不動産屋さんの仲介料も深圳と北京では大違いだった。深圳では、通常の仲介料は家賃1か月分であるところ、3か月しか住まないのでその4分の1にまけてくれた。一方、北京では相談をした先の不動産屋さんに加えて地場の不動産屋さんが二重に仲介する形になったので、前者に家賃0.3か月分、後者に1か月分の計1.3か月分を支払う羽目になった。
家賃の水準も深圳に比べて北京はだいぶ高い。深圳と同じ月8000元程度で、赴任先の清華大学の付近という条件で探してもらったのだが、その値段では深圳のようなサービス付きのところには住めない。サービス付きアパートの家賃は最低でも月1万3000元だし、そうしたアパートは清華大学のある海淀区には存在せず、外国大使館や外資系企業が多い朝陽区方面にしかないという。だが、そうなるとオフィスに行くのに優に片道1時間はかかるだろう。
北京の不動産屋さんが紹介してくれた部屋にもベッド、机、いす、衣装ダンス、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン、電子レンジ、湯沸かし器、ガス台といった基本的な器具は標準装備されている。なお、Wi-Fi設備は不動産屋さんによって標準装備に含めるところと含めないところがあり、私が契約したのは後者だったので、自費で設置した。北京では、深圳のようにアパート管理会社が運営する団地のなかの一部屋というのではなく、普通の分譲済みのマンションのなかの一戸を不動産屋さんがオーナーから取り次ぐという形になっている。部屋に案内された時に一番愕然(がくぜん)としたのが、廊下、階段、エレベータなどの公共スペースがとても汚いことだ。深圳で住んでいた檳榔園も新しくはなく、築30年は経っているはずなのだが、管理会社が公共スペースをきれいに保っているおかげで部屋の外の空間も快適だった。一方、北京のアパートでは公共スペースをきれいにすることに誰も関心を持たずに数十年を経てきた感じである。
結局、私が入居したところは、清華大学の南門への入り口とは大きな通りを挟んで向かい合わせという場所で、家賃は月7600元。当面の現金のやりくりが難しいといったら、家賃1か月分+敷金1か月分+仲介料1.3か月分を一括払いすればいいことにしてくれた。
築40年超えアパートが「魔改造」されていた
入居してこのアパートがとても古いことがわかって来た。トイレ兼シャワールームでは上の階からかなりの量の水漏れがある。漏れてくる時間から推してどうやら上の階でシャワーを使うと漏れてくるようだ。
ネットで調べたら、私が住んでいる建物は1979年に建てられたらしい。前回北京に滞在した1991~93年には、私は北京郵電学院(現、北京郵電大学)の構内に住んでいた。そこで留学生向けに中国語を教えていた先生に中国語を教わるようになり、先生の自宅アパートをたびたび訪ねたのだが、いま自分が住んでいるところはあの頃先生が住んでいた部屋と同レベルである。先生の家庭は夫婦と息子2人という4人家族だったが、ベッドルームが二つ、小さな居間、キッチン、トイレという間取りはいま私が住んでいるところとほぼ同じだし、建物の感じも似ている。
あれからもう32年が経ち、20歳代の若者だった私も白髪だらけの初老のオッサンになった。中国はその間に飛躍的に経済発展し、一人当たりGDPが400ドルに満たない低所得国から2024年には1万3000ドルを超えてまもなく高所得国に入るというところまで来た。北京市に限っていえば、一人当たりGDPは3万2000ドル余りで日本の平均と同じである。そんなに経済発展したはずなのに、住居はまるで進歩がないようである。いったいどうなっているのだろう?
もっとも、よく見ると、単に建物が古びただけというわけではなく、いろいろな改造が施されていることがわかる。まず窓が二重窓のサッシになっている。こんなものは1990年代の北京のアパートでは使われていなかった。当時の北京はいまよりもずっと埃(ほこり)っぽかったので、窓の隙間から入ってくる埃を頻繁に拭き掃除しないと部屋が埃まみれになった。ドアも昔とは違って分厚い立派なものに変わっている。1990年代には家庭にテレビ、冷蔵庫、洗濯機がようやく揃ったという段階だった。都市ガスはまだ整備途中で、ガスボンベを自転車にくくり付けて家へ運ぶ人をよく見かけた。先生のうちでもガスボンベを使っていた気がする。
当時の一般家庭にはエアコンや掃除機はなかった。各家庭への電力供給の容量に限度があったため、電力消費が大きい機器を入れることができなかったのである。家庭には電話がなく、もちろん携帯電話があるはずもない。いまでも北京のアパートには日本のような風呂はなくてシャワーしかないが、1990年代の北京のアパートでは、トイレの上の方に電気温水器のタンクを付けてシャワーを使えるようにした家庭が出始めている頃だった。
私が住むアパートは、そうした時代に建てられたものを、その後の生活水準の向上に適応させるためにいろいろな改造を施している。上下水道の管やガス、スチームのパイプはすべて室内に露出しており、建物ができた後で天上や壁に穴を開けて整備したことがわかる。洗濯機は玄関に置かれており、その排水管は壁の穴を通じてトイレに入っている。トイレでは、洗面台と洗濯機の排水パイプが連結され、下水に流れ込むようになっている。シャワーを浴びる時は、その排水パイプを抜いて、下水に向かう穴の上に小さな穴の開いたゴム板を乗せて髪の毛などが下水に流れ込むのを防がなければならない。シャワーの温水は台所にあるガス湯沸かし器から供給される。1990年代の電気温水器は、タンクに入っている温水を使ってしまえばそれで終わりだったが、ガス湯沸かし器なら連続していくらでも温水が使える。そのガス湯沸かし器の煙突はガラス窓に開けられた穴を通じて外へ出ている。レンジフードの排気管もガラス窓に開けられた穴を通じて外へ出ている(写真1)。炒め物や揚げ物で大量の油を強い火であぶる中華料理においてはレンジフードは必需品である。
また、二つのベッドルームにはそれぞれエアコンが付いている。1990年代初めの北京では、昼間はけっこう暑い日もあったが、夜間にエアコンが欲しいと思うようなことはなかった。あの頃に比べて北京は格段に暑くなり、いまでは学生寮でもエアコンが標準装備されている。

こうして低所得国だった時代のアパートを現代の生活水準に合わせて改造した結果、階段や建物の外には送電線や電話線、インターネットのケーブルなどが乱雑にはい回り、汚らしい感じをいっそう増している(写真2)。

合理的とはいえない価格設定
1990年代前半まで北京市ではアパートというとたいていは単位(企業や機関)の従業員宿舎だった。アパートは従業員の身分や家族構成に応じて支給され、家賃は月10元ぐらいだったはずである。私が住むこのアパートもきっとどこかの単位の宿舎であったはずだ。ネットでアパートの歴史を調べようと思って検索したが、何もわからなかった。その代わりに、不動産屋のサイトで私の住むアパートの部屋の広告が多く出ているのを見つけた。家賃は私の部屋と同じような間取り55㎡で月7600元となっており、足元を見られたわけではないことを知ってほっとした。
驚いたのが中古でこのアパートを買う場合のお値段である。私が住んでいるのと同じような間取りで、1979年建造の57㎡の部屋が599万元(約1億2000万円)である。このボロアパートが実は億ションだったとは!
およそ合理的な水準とはいえない値段である。8月に深圳市の中心部に近いところで、大規模な再開発をやっている現場を見に行ったが、そこで新築中のタワーマンションの販売価格が1㎡当たり10万元(200万円)だった。一番小さな部屋でも110㎡(注1)なので、最低でも1100万元(2億2000万円)が必要だということになる。
ただ、一つの町を作るような巨大プロジェクトで、下には散策路、商店街、道路、地下鉄線がフロアを分けて建設され、隣には世界最大の都市公園ができる予定だというから、私には買えないものの、たしかにそれだけの価値のあるマンションだと思った。
ところが、この北京のボロアパートの1㎡当たり単価は10.5万元で、その深圳のピカピカのタワーマンションより高いのである。家賃と販売価格の関係もおかしい。この部屋を599万元で買い、他の人に月7600元の家賃で貸し出して元をとろうと思ったら実に65年以上もかかることになる。私の見るところ、このアパートはあと65年持つどころか、もうすでに耐用年数を超えている。私なら2000万円でも買いたくない資産価値ゼロの物件であるのにいったいなぜこんなに法外な値段がつくのか。
「学区房」としてなら買い手も?
下見に来た時の様子を思い出すと、その理由がわかる気がした。下見に来た時、前の住民の持ち物がまだ完全には片付けられておらず、小学生用のワークブックが二つのベッドルームに散乱していた。また、住み始めてみると、生活感があるようなないような不思議な感覚があった。たとえば、バス・トイレと台所の照明が壊れていた。照明を新しいものに変えるぐらいのことはすぐにできるはずで、私ならバス・トイレと台所の照明が壊れている状態など一日でも耐えられないが、前の住民は壊れたまま放置していたのだ。また、不動産屋さんが一応室内を掃除してくれたのだが、部屋の隅々に長年の汚れがたまっていて、入居して数日間は汚れを見つけたら雑巾で拭くことを繰り返した。掃除するなかで前の住民が小学校低学年ぐらいの小さな子供と母親であることは想像がついた。部屋の隅々で長い髪が雑巾に絡んできたからである。
要するに、アパートのオーナーはこの部屋を「学区房」として買ったのであろう。学区房とは、有名な小学校や中学校の校区にある家を指す。中国の小中学校は入学できる資格をその周辺地域に住む住民の子弟に限定するケースが多く、その校区内にある住宅を購入して戸籍を登録すれば、子供をそこに通わせることができる。実際、私のアパートから歩いて10分程度の範囲内に北京大学付属小学校、清華大学付属小学校、中関村中学校と、いかにも頭の良い子供が通いそうな学校が目白押しである。そして朝7時半頃にはわがアパートからそうした学校へ親が子供を送る姿がいっぱい見られる。
子供を小中学校に入学させる権利を得るためだけだから、部屋のなかをきれいに整えることに意識が向かわなかったのだろう。おそらく別のところに本当の住まいがあり、このアパートはいわば住民のふりをするためだけに使われていたのだろう。
わがアパートに限らず、この周辺には古い住居が多い。特に驚いたのは平屋の古い長屋がかなりの数あることである。1960年代あるいはもっと昔に建てられたような古い長屋が集まった地域が周囲に3か所ある(写真3)。

平屋を取り壊して10階建てのマンションでも建てれば、平屋の住民への補償としてマンションを一戸ずつ支給してもなおかなりの数の戸数を売り出すことができ、この地域なら2DKでも1億円以上で売れるのだからけっこうな儲けになるだろう。どうして再開発が行われることなく今日まで残ってきたのか。特に海淀区は古い住宅が多く、真新しい高層マンションが多い北京市の朝陽区や昌平区などと比べても異様である。北京市政府の規制があるともいわれるが、学区房として異様なプレミアムが付くために再開発が難しいという事情もあるのかもしれない。
注1 中国のマンションは居住面積ではなく建築面積で広さを表示する。居住面積は建築面積の75%程度なので、日本式の専有面積でいえばだいたい83㎡ぐらいである。