Commentary
「学区房」が映し出す北京の住宅市場のゆがみ
限界改造アパートに1億円以上の値がつく理由

当時の一般家庭にはエアコンや掃除機はなかった。各家庭への電力供給の容量に限度があったため、電力消費が大きい機器を入れることができなかったのである。家庭には電話がなく、もちろん携帯電話があるはずもない。いまでも北京のアパートには日本のような風呂はなくてシャワーしかないが、1990年代の北京のアパートでは、トイレの上の方に電気温水器のタンクを付けてシャワーを使えるようにした家庭が出始めている頃だった。
私が住むアパートは、そうした時代に建てられたものを、その後の生活水準の向上に適応させるためにいろいろな改造を施している。上下水道の管やガス、スチームのパイプはすべて室内に露出しており、建物ができた後で天上や壁に穴を開けて整備したことがわかる。洗濯機は玄関に置かれており、その排水管は壁の穴を通じてトイレに入っている。トイレでは、洗面台と洗濯機の排水パイプが連結され、下水に流れ込むようになっている。シャワーを浴びる時は、その排水パイプを抜いて、下水に向かう穴の上に小さな穴の開いたゴム板を乗せて髪の毛などが下水に流れ込むのを防がなければならない。シャワーの温水は台所にあるガス湯沸かし器から供給される。1990年代の電気温水器は、タンクに入っている温水を使ってしまえばそれで終わりだったが、ガス湯沸かし器なら連続していくらでも温水が使える。そのガス湯沸かし器の煙突はガラス窓に開けられた穴を通じて外へ出ている。レンジフードの排気管もガラス窓に開けられた穴を通じて外へ出ている(写真1)。炒め物や揚げ物で大量の油を強い火であぶる中華料理においてはレンジフードは必需品である。
また、二つのベッドルームにはそれぞれエアコンが付いている。1990年代初めの北京では、昼間はけっこう暑い日もあったが、夜間にエアコンが欲しいと思うようなことはなかった。あの頃に比べて北京は格段に暑くなり、いまでは学生寮でもエアコンが標準装備されている。

こうして低所得国だった時代のアパートを現代の生活水準に合わせて改造した結果、階段や建物の外には送電線や電話線、インターネットのケーブルなどが乱雑にはい回り、汚らしい感じをいっそう増している(写真2)。

合理的とはいえない価格設定
1990年代前半まで北京市ではアパートというとたいていは単位(企業や機関)の従業員宿舎だった。アパートは従業員の身分や家族構成に応じて支給され、家賃は月10元ぐらいだったはずである。私が住むこのアパートもきっとどこかの単位の宿舎であったはずだ。ネットでアパートの歴史を調べようと思って検索したが、何もわからなかった。その代わりに、不動産屋のサイトで私の住むアパートの部屋の広告が多く出ているのを見つけた。家賃は私の部屋と同じような間取り55㎡で月7600元となっており、足元を見られたわけではないことを知ってほっとした。
驚いたのが中古でこのアパートを買う場合のお値段である。私が住んでいるのと同じような間取りで、1979年建造の57㎡の部屋が599万元(約1億2000万円)である。このボロアパートが実は億ションだったとは!
およそ合理的な水準とはいえない値段である。8月に深圳市の中心部に近いところで、大規模な再開発をやっている現場を見に行ったが、そこで新築中のタワーマンションの販売価格が1㎡当たり10万元(200万円)だった。一番小さな部屋でも110㎡(注1)なので、最低でも1100万元(2億2000万円)が必要だということになる。
ただ、一つの町を作るような巨大プロジェクトで、下には散策路、商店街、道路、地下鉄線がフロアを分けて建設され、隣には世界最大の都市公園ができる予定だというから、私には買えないものの、たしかにそれだけの価値のあるマンションだと思った。