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Commentary

「学区房」が映し出す北京の住宅市場のゆがみ
限界改造アパートに1億円以上の値がつく理由

丸川知雄
東京大学社会科学研究所教授
経済
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著者が住み始めた北京のアパートは、同タイプの部屋がおよそ合理的な水準とはいえない値段で売られていた。写真は表側から写したアパートの外観。2025年9月7日(著者提供)
著者が住み始めた北京のアパートは、同タイプの部屋がおよそ合理的な水準とはいえない値段で売られていた。写真は表側から写したアパートの外観。2025年9月7日(著者提供)

家賃の水準も深圳に比べて北京はだいぶ高い。深圳と同じ月8000元程度で、赴任先の清華大学の付近という条件で探してもらったのだが、その値段では深圳のようなサービス付きのところには住めない。サービス付きアパートの家賃は最低でも月1万3000元だし、そうしたアパートは清華大学のある海淀区には存在せず、外国大使館や外資系企業が多い朝陽区方面にしかないという。だが、そうなるとオフィスに行くのに優に片道1時間はかかるだろう。

北京の不動産屋さんが紹介してくれた部屋にもベッド、机、いす、衣装ダンス、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン、電子レンジ、湯沸かし器、ガス台といった基本的な器具は標準装備されている。なお、Wi-Fi設備は不動産屋さんによって標準装備に含めるところと含めないところがあり、私が契約したのは後者だったので、自費で設置した。北京では、深圳のようにアパート管理会社が運営する団地のなかの一部屋というのではなく、普通の分譲済みのマンションのなかの一戸を不動産屋さんがオーナーから取り次ぐという形になっている。部屋に案内された時に一番愕然(がくぜん)としたのが、廊下、階段、エレベータなどの公共スペースがとても汚いことだ。深圳で住んでいた檳榔園も新しくはなく、築30年は経っているはずなのだが、管理会社が公共スペースをきれいに保っているおかげで部屋の外の空間も快適だった。一方、北京のアパートでは公共スペースをきれいにすることに誰も関心を持たずに数十年を経てきた感じである。

結局、私が入居したところは、清華大学の南門への入り口とは大きな通りを挟んで向かい合わせという場所で、家賃は月7600元。当面の現金のやりくりが難しいといったら、家賃1か月分+敷金1か月分+仲介料1.3か月分を一括払いすればいいことにしてくれた。

築40年超えアパートが「魔改造」されていた

入居してこのアパートがとても古いことがわかって来た。トイレ兼シャワールームでは上の階からかなりの量の水漏れがある。漏れてくる時間から推してどうやら上の階でシャワーを使うと漏れてくるようだ。

ネットで調べたら、私が住んでいる建物は1979年に建てられたらしい。前回北京に滞在した1991~93年には、私は北京郵電学院(現、北京郵電大学)の構内に住んでいた。そこで留学生向けに中国語を教えていた先生に中国語を教わるようになり、先生の自宅アパートをたびたび訪ねたのだが、いま自分が住んでいるところはあの頃先生が住んでいた部屋と同レベルである。先生の家庭は夫婦と息子2人という4人家族だったが、ベッドルームが二つ、小さな居間、キッチン、トイレという間取りはいま私が住んでいるところとほぼ同じだし、建物の感じも似ている。

あれからもう32年が経ち、20歳代の若者だった私も白髪だらけの初老のオッサンになった。中国はその間に飛躍的に経済発展し、一人当たりGDPが400ドルに満たない低所得国から2024年には1万3000ドルを超えてまもなく高所得国に入るというところまで来た。北京市に限っていえば、一人当たりGDPは3万2000ドル余りで日本の平均と同じである。そんなに経済発展したはずなのに、住居はまるで進歩がないようである。いったいどうなっているのだろう?

もっとも、よく見ると、単に建物が古びただけというわけではなく、いろいろな改造が施されていることがわかる。まず窓が二重窓のサッシになっている。こんなものは1990年代の北京のアパートでは使われていなかった。当時の北京はいまよりもずっと埃(ほこり)っぽかったので、窓の隙間から入ってくる埃を頻繁に拭き掃除しないと部屋が埃まみれになった。ドアも昔とは違って分厚い立派なものに変わっている。1990年代には家庭にテレビ、冷蔵庫、洗濯機がようやく揃ったという段階だった。都市ガスはまだ整備途中で、ガスボンベを自転車にくくり付けて家へ運ぶ人をよく見かけた。先生のうちでもガスボンベを使っていた気がする。

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