Commentary
アパレル通販SHEIN(シーイン)のスピードの舞台裏
「クイック・レスポンス」(QR)都市・広州をゆく

コロナ禍が世界を襲い、私たちもステイホームを余儀なくされて、大学の授業や会議もすべてオンラインでやっていた2020年、突然「SHEIN」(シーイン)という中国のアパレル通販会社のことを耳にするようになった。通販のみのファストファッションのサイトで、毎日多数の新商品が出てくるうえに安いというので、アメリカの10代の若者の間で大人気になった(注1)。
その後SHEINはさらにパワーアップし、2021年の情報では1週間に10万点もの新商品を出していたという(注2)。SHEINは2008年に南京で創業し、当初はウェディングドレスの通販事業を行っていた。2015年に本社を広州市番禺区に移転し、その頃から女性服や子供服を幅広く手がけるようになった。2022年に本社をシンガポールに移転したが、衣服の企画・開発や物流では今でも広州市番禺区が中心的な役割を担っているとみられる。
「機敏に反応するサプライチェーン」
SHEINの特徴はなんといってもスピードである。商品のデザインから生産が終わるまで14日間、最速では7日間だという(注3)。最初は100~200着という小ロットで作り、市場での反応を見て、売れるだけの生産をする。一般にファストファッションというと、先進国に本社のある企業が消費者の意向を探りながら企画・デザインし、中国やベトナムやバングラデシュの大規模な工場に生産を委託するため、見込みで生産をせざるをえず、作りすぎの無駄が生じてしまう。それに対してSHEINは売上の状況に機敏に反応するサプライチェーンを構築することによって無駄を省いているという(注4)。
ではその「機敏に反応するサプライチェーン」とはいったいどこにあるのだろうか。筆者はSHEINの社員に接触することはできていないので、以下に述べることは広州市の関係者の証言や文献から得た知識であることをお断りしておきたい。
筆者はSHEINの広州市本部を訪れてみた。それは広州市の中心部から南東へ地下鉄を乗り継いで1時間ぐらい離れた南村万博駅の近くにある。駅周辺は東京近郊でいうと武蔵小杉みたいな感じで、高層ビルが林立する近代的なビジネス街である。その一角にSHEINの高層ビルがあり、見に行ったのがちょうど10時前だったため、大勢の若者たちが出勤してきてエレベーター待ちの長い列を作っていた(写真1)。
そのSHEINからの発注を主に担っているとみられるのが番禺区南村鎮のアパレル産業集積である。ここはSHEINの広州市本部から1kmほどしか離れていない。その15分ほどの道のりを歩いていくと、その間に30年ほど時が過去へ遡(さかのぼ)っていくような錯覚を起こした。幹線道路を過ぎると、そこからは塘歩東村と塘歩西村という村の領域に入るのだが、その村の中心部には昔ながらの市場があり、老婆が路上に敷物をしいて朝とれた野菜や果物を売っていたりするような田舎の風景があった(写真2)。

写真1:SHEINの広州市本部。(著者撮影・提供、以下同じ)

写真2:村の中心部の昔ながらの市場。
南村鎮の縫製業の復活劇
この地域では1987年から衣服を製造するようになった。その頃は郷鎮企業が大規模な工場を構え、香港など海外からの発注を受けて衣服を大量生産していた。しかし、その後賃金の上昇や労働者の社会保険料負担の増加(注5)によって大規模な衣服縫製業者の経営が立ちいかなくなった。こうして大企業がつぶれて工場が空いたところに、小ロットの受注をこなす小さな縫製業者が多数入居した(注6)。たしかに、塘歩東村と塘歩西村の工業団地には4、5階建ての作りのしっかりとした工場が並んでいる。ところが、その工場の中をのぞくと、各フロアにそれぞれ4社も5社も縫製企業が入居している。どれも1社あたりの従業員規模が30人ほどの小企業である。おせじにも5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)ができているとは言い難く、完成品、仕掛品、端切れが雑然と積み上げられている(写真3)。小ロットでいろいろなものを作るため、整理が追い付かないのかもしれない。
21世紀に入る頃から南村鎮の衣服縫製業者は海外からの委託加工から、国内からの受注に転換するようになった。南村鎮の業者たちに衣服を発注したのは広州市の十三行に店舗を構えるアパレル卸(おろし)である。(広東)十三行は、清朝時代に対外貿易の窓口として開かれた場所で、国内外の商社が店を構えていた。今でも町並みに往時の雰囲気を残しているが、今は若い女性向けのアパレル卸が多数店を構える拠点となっている(写真4)。

写真3:縫製企業の作業現場。

写真4:広東十三行の町並み。
中国ではタオバオ(淘宝)や京東(JD.com)などのネット通販が急速に発展し、最近では小紅書(中国版インスタグラム。RED)や抖音(ドウイン。TikTok)などのSNSを通じたライブコマースも盛んで、女性たちはそうしたプラットフォームを通じて服を買うようになった。プラットフォームには無数のアパレルショップが店を構え、安さと速さを競い合っている。そうしたアパレルショップからの小ロット、短納期の要求に答えるには近場に生産拠点があった方がいいというので、一時はすたれかけていた南村鎮の衣服縫製業が復活したのである。
SHEINが本部を南京から広州市の南村万博駅近くに移したのも、小ロットの注文を安く速くこなすことのできる南村鎮の生産基盤を生かすためであろう。SHEINはもっぱらアメリカや日本など海外市場で展開し、中国国内には売っていないが、それは中国にはすでにネット通販やSNSなどのプラットフォームで無数のアパレルショップが競い合っているので、そこには商機がないと判断したのであろう。
住民たちの手で成立したアパレル産業の町
広州市には十三行の他にもう2か所アパレル卸が集まっている場所がある。一つは地下鉄沙河駅周辺で、ここの規模は十三行よりさらに大きく、もっぱら女性向けアパレルを卸している。もう一つは広州駅南側の流花と呼ばれる地域で、ここには女性服だけでなく男性服(主にカジュアルウェア)の卸も多数集まっている。本稿では主に前者について紹介する。
沙河はファッション街というよりも巨大卸売市場の風情で、売られている服は十三行よりも安く、納期も極めて速いとの評判である(表紙写真)。ここで売られている服の多くを作っているといわれるのが、広州市海珠区のアパレル産業集積である。
それは海珠区の康楽村と鷺江村および広州大道を挟んで東側の上衝村、上涌村、大塘村に広がっている。この一帯は1990年代までは都市と農村の境目であった。どの国でも都市が拡大していく過程で、周囲の農村の田畑が買い上げられて宅地や商店街などに変わっていく。中国では都市の土地は国有、農村の土地は集団所有と定められているため、都市化をする際には、都市政府が周囲の農村の土地を買い上げて国有とし、その用途を転換して不動産会社に土地の使用権を売却して開発させる。ところが、広東省では農村の力が強いため、農村は田畑の売却には応じたが、住宅地や開発用地(注7)の売却に応じなかった。
そして村民たちは自らの手で都市化する道を選んだ。すなわち、自分たちの住宅地に6~7階建てぐらいのビルを建て、その部屋を賃貸するのである。村には都市計画の管理が及ばないため、村民たちは家の敷地ぎりぎりにまで建物を建てる。その結果、ビルとビルの間が1階では1メートルほど、上の方では50センチも離れていないぐらいに密集し、昼でも中は暗く密集した都市が形成される(写真5)。最近、映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」をきっかけに香港にかつて存在した九龍城寨が話題となっているが、九龍城寨みたいなものが広州市海珠区だけでざっと30か所ぐらい存在する(編集部:九龍城寨(城砦)については、倉田明子「香港史・香港人にとっての九龍城寨」もご参照ください)。

写真5:大塘村の様子。これでも立派な通路で、左は理髪店、右はアパレル関連の工場。
そのうち、特に康楽村・鷺江村および上衝村・上涌村・大塘村には衣服縫製業者が多数入っている。ここでは服作りが細かい分業によって行われている。生地の裁断と縫製を担うのは従業員10数人程度の企業で、ここでは比較的規模が大きい。その他には、パターン制作、生地のシワ加工、生地の細切り裁断、ボタン付け、刺繍、プリント、アイロンによるビーズ付け、手縫いによるビーズ付け、アイロンがけと包装などを専門的に担当する企業がそれぞれあり、いずれも従業員3~5人程度である。こうした細かい分業により、小ロットの注文をスピーディーにさばくことができるといい、発注から袋詰めされた衣服ができるまでに要するのはたった24~48時間だという。SHEINよりいっそうの安さと速さを求められる国内向けアパレルを作る役目は海珠区の集積が担っている。
この町に衣服縫製業者が多く集まるのは、発注元の沙河から地下鉄で40分程度と近いうえに家賃が安いためである。ここであればアパレル工場として使えるフロアが100㎡あたり3000元(約6万円)程度で借りられる。生活コストも安く、1泊40元(約800円)ぐらいで泊まれる宿があるし、ベッドだけであれば上段は1泊13元(約260円)、下段は15元(約300円)である。通り沿いには安い飲食店や八百屋などが立ち並び、安く生活するのに必要な施設は揃っている。
ただ、衛生環境はおせじにも良いとはいえない。上下水道は完備し、ゴミ回収もあり、区政府が雇った清掃員が道路を掃いているが、あまりにも人口密度が高いため、夕方になるとゴミだらけになってしまう。また、パソコンを使ってパターン制作を行う会社以外はエアコンは入っておらず、開けっ放しの中で作業が行われている(写真6)。
このように生活環境も労働環境も決して良くはないが、その代わり賃金はけっこう高く、張り紙の募集広告を見ると、月6000元(約12万円)から月13000元(約26万円)の間である。
広州市には白雲区にもアパレル産業の集積地があり、そこでは主に流花のアパレル卸市場で売る服が作られているという。

写真6:エアコンなしで、開けっ放しで作業を行う従業員たち。
以上のように、広州市には十三行とSHEIN―番禺区の南村鎮、沙河―海珠区、流花―白雲区、と3つのアパレル卸売市場―アパレル産業集積の組み合わせがある。これらを支えているのが、海珠区にある「中大商圏」と呼ばれる巨大な生地の卸売市場である。それは中山大学の南門前に1.5㎢の面積にわたって広がっている。もともとは、この地域の村々が、橋のたもとで敷物を広げて密輸品の生地を売っていた業者たちを呼び入れるところから始まった市場だが、後に海珠区政府が関与して、市場をビルに建て替えを進めた結果、現在では56の商業ビルに1万6000戸の生地卸売業者や服飾副資材業者が2万3000の店舗を構えているという(写真7)。
一つ一つ見ていったら一生かかっても見終わらないぐらい多数ある業者の中からどうやって自分の求める生地や副資材を探り当てるのかは謎であるが、ともあれこれだけ多数の業者が集まり、それぞれに創意のある生地を売っていればアパレル製造業者が求めるものは常に何でも手に入るであろう。

写真7:巨大な生地の卸売市場「中大商圏」にある商業ビルの一つ。
21世紀の広州で実現した「クイック・レスポンス」(QR)
広州市のアパレル産業を見て、筆者は「クイック・レスポンス」(QR)という言葉を思い出した。もともとは1980年代にアメリカの繊維産業がアジアNIESからの輸入拡大に苦戦していた時に提起された概念で、1989年に日本政府の繊維産業政策にも取り込まれた。先進国の繊維・アパレル産業が、安い賃金を武器に輸出攻勢をかけてくる途上国の製品に対抗するには、流行に機敏に反応してすばやく生産して市場に出す態勢が必要だというのである。
しかし、QRは掛け声倒れに終わり、1999年をもって日本政府の繊維産業政策は廃止となった。それが約30年の時を経て、いま広州市では実現しているのである。実際、広州市の関係者は「快反」(=快速反応、すなわちQR)という表現を用いて広州市アパレル産業の特徴を説明した。
広州市の現状を見ると、日本政府のQR促進政策が失敗した理由がよくわかる。あの頃QRを唱えていた人たちは、それがどういう場合に必要なのか、どういう条件があれば実現可能なのかを理解していなかった。
QRが必要なのは流行に敏感な人たちが着る服であり、主には若い女性向けの服である。流行をとらえるには、流行の先端にデザイナーが身を置かなくてはならない。世界のファッションを引っ張るのは高所得国の大都市であり、パリ、ミラノ、ニューヨーク、東京、ソウルなどである。しかし、若い女性が着る服だから安くなくてはいけない。安い服は高所得国では作れない。安い服を作れるのはバングラデシュのような低コスト国である。つまり、QRを実現するにはパリの感性とバングラデシュの低コストが必要なのだが、一般にはこの二つが一つの国の中で同居することは不可能である。
だが、広州市にはこの二つが同居しているのである。広州市は中国で最も所得の高い都市の一つでありながら、南村鎮のような農村部が大都会から徒歩15分のところにあったり、海珠区のように都市の真ん中に村があったりする。このように大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造がQRを可能にしているのである。
注1 Madeline Stone「実店舗ゼロ、インスタのフォロワー約1400万人!中国発のファストファッション「SHEIN」が今、10代に人気」『Business Insider』 2020年10月13日(2025年7月9日閲覧)https://www.businessinsider.jp/article/221636/
注2 劉怡家「中国アパレル通販「SHEIN(シーイン)」とは?企業戦略を徹底解説」Enjoy Japan、2021年7月28日(2025年7月9日閲覧)https://enjoy-japan.jp/column/cross-border-ec/shein/
注3 同上。
注4 SHEINのウェブサイト(https://www.sheingroup.com/)による。(2025年7月9日閲覧)
注5 2002年頃までは、労働者を社会保険に加入させる義務はあっても実際には労働者の半数の分だけ社会保険料を払うといったお目こぼしが行われていた。しかし、2004年頃から賃金が急上昇するとともに、社会保険料の徴収も厳格になった。
注6 倪星・謝連燊「多主体動態互動与産業集群治理――基于広州両個片区的比較研究」『学術研究』2024年第12期。
注7 1980年代の政策では農村で郷鎮企業を設立して工業に従事することを奨励していたため、農村には田畑、住宅地以外に工場を建てることを認められた土地がある。