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Commentary

アパレル通販SHEIN(シーイン)のスピードの舞台裏
「クイック・レスポンス」(QR)都市・広州をゆく

丸川知雄
東京大学社会科学研究所教授
経済
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大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造が「クイック・レスポンス」(QR)を可能にしている。写真は広州市内の地下鉄沙河駅周辺にあるアパレル卸。2025年6月(著者撮影)
大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造が「クイック・レスポンス」(QR)を可能にしている。写真は広州市内の地下鉄沙河駅周辺にあるアパレル卸。2025年6月(著者撮影)

以上のように、広州市には十三行とSHEIN―番禺区の南村鎮、沙河―海珠区、流花―白雲区、と3つのアパレル卸売市場―アパレル産業集積の組み合わせがある。これらを支えているのが、海珠区にある「中大商圏」と呼ばれる巨大な生地の卸売市場である。それは中山大学の南門前に1.5㎢の面積にわたって広がっている。もともとは、この地域の村々が、橋のたもとで敷物を広げて密輸品の生地を売っていた業者たちを呼び入れるところから始まった市場だが、後に海珠区政府が関与して、市場をビルに建て替えを進めた結果、現在では56の商業ビルに1万6000戸の生地卸売業者や服飾副資材業者が2万3000の店舗を構えているという(写真7)。

一つ一つ見ていったら一生かかっても見終わらないぐらい多数ある業者の中からどうやって自分の求める生地や副資材を探り当てるのかは謎であるが、ともあれこれだけ多数の業者が集まり、それぞれに創意のある生地を売っていればアパレル製造業者が求めるものは常に何でも手に入るであろう。

巨大な生地の卸売市場「中大商圏」にある商業ビルの一つ

写真7:巨大な生地の卸売市場「中大商圏」にある商業ビルの一つ。

21世紀の広州で実現した「クイック・レスポンス」(QR)

広州市のアパレル産業を見て、筆者は「クイック・レスポンス」(QR)という言葉を思い出した。もともとは1980年代にアメリカの繊維産業がアジアNIESからの輸入拡大に苦戦していた時に提起された概念で、1989年に日本政府の繊維産業政策にも取り込まれた。先進国の繊維・アパレル産業が、安い賃金を武器に輸出攻勢をかけてくる途上国の製品に対抗するには、流行に機敏に反応してすばやく生産して市場に出す態勢が必要だというのである。

しかし、QRは掛け声倒れに終わり、1999年をもって日本政府の繊維産業政策は廃止となった。それが約30年の時を経て、いま広州市では実現しているのである。実際、広州市の関係者は「快反」(=快速反応、すなわちQR)という表現を用いて広州市アパレル産業の特徴を説明した。

広州市の現状を見ると、日本政府のQR促進政策が失敗した理由がよくわかる。あの頃QRを唱えていた人たちは、それがどういう場合に必要なのか、どういう条件があれば実現可能なのかを理解していなかった。

QRが必要なのは流行に敏感な人たちが着る服であり、主には若い女性向けの服である。流行をとらえるには、流行の先端にデザイナーが身を置かなくてはならない。世界のファッションを引っ張るのは高所得国の大都市であり、パリ、ミラノ、ニューヨーク、東京、ソウルなどである。しかし、若い女性が着る服だから安くなくてはいけない。安い服は高所得国では作れない。安い服を作れるのはバングラデシュのような低コスト国である。つまり、QRを実現するにはパリの感性とバングラデシュの低コストが必要なのだが、一般にはこの二つが一つの国の中で同居することは不可能である。

だが、広州市にはこの二つが同居しているのである。広州市は中国で最も所得の高い都市の一つでありながら、南村鎮のような農村部が大都会から徒歩15分のところにあったり、海珠区のように都市の真ん中に村があったりする。このように大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造がQRを可能にしているのである。

注1 Madeline Stone「実店舗ゼロ、インスタのフォロワー約1400万人!中国発のファストファッション「SHEIN」が今、10代に人気」『Business Insider』 2020年10月13日(2025年7月9日閲覧)https://www.businessinsider.jp/article/221636/

注2 劉怡家「中国アパレル通販「SHEIN(シーイン)」とは?企業戦略を徹底解説」Enjoy Japan、2021年7月28日(2025年7月9日閲覧)https://enjoy-japan.jp/column/cross-border-ec/shein/

注3 同上。

注4 SHEINのウェブサイト(https://www.sheingroup.com/)による。(2025年7月9日閲覧)

注5 2002年頃までは、労働者を社会保険に加入させる義務はあっても実際には労働者の半数の分だけ社会保険料を払うといったお目こぼしが行われていた。しかし、2004年頃から賃金が急上昇するとともに、社会保険料の徴収も厳格になった。

注6 倪星・謝連燊「多主体動態互動与産業集群治理――基于広州両個片区的比較研究」『学術研究』2024年第12期。

注7 1980年代の政策では農村で郷鎮企業を設立して工業に従事することを奨励していたため、農村には田畑、住宅地以外に工場を建てることを認められた土地がある。

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