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Commentary

アパレル通販SHEIN(シーイン)のスピードの舞台裏
「クイック・レスポンス」(QR)都市・広州をゆく

丸川知雄
東京大学社会科学研究所教授
経済
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大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造が「クイック・レスポンス」(QR)を可能にしている。写真は広州市内の地下鉄沙河駅周辺にあるアパレル卸。2025年6月(著者撮影)
大都市と農村が隣り合わせに存在する広州市の特殊な構造が「クイック・レスポンス」(QR)を可能にしている。写真は広州市内の地下鉄沙河駅周辺にあるアパレル卸。2025年6月(著者撮影)

南村鎮の縫製業の復活劇

この地域では1987年から衣服を製造するようになった。その頃は郷鎮企業が大規模な工場を構え、香港など海外からの発注を受けて衣服を大量生産していた。しかし、その後賃金の上昇や労働者の社会保険料負担の増加(注5)によって大規模な衣服縫製業者の経営が立ちいかなくなった。こうして大企業がつぶれて工場が空いたところに、小ロットの受注をこなす小さな縫製業者が多数入居した(注6)。たしかに、塘歩東村と塘歩西村の工業団地には4、5階建ての作りのしっかりとした工場が並んでいる。ところが、その工場の中をのぞくと、各フロアにそれぞれ4社も5社も縫製企業が入居している。どれも1社あたりの従業員規模が30人ほどの小企業である。おせじにも5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)ができているとは言い難く、完成品、仕掛品、端切れが雑然と積み上げられている(写真3)。小ロットでいろいろなものを作るため、整理が追い付かないのかもしれない。

21世紀に入る頃から南村鎮の衣服縫製業者は海外からの委託加工から、国内からの受注に転換するようになった。南村鎮の業者たちに衣服を発注したのは広州市の十三行に店舗を構えるアパレル卸(おろし)である。(広東)十三行は、清朝時代に対外貿易の窓口として開かれた場所で、国内外の商社が店を構えていた。今でも町並みに往時の雰囲気を残しているが、今は若い女性向けのアパレル卸が多数店を構える拠点となっている(写真4)。

縫製企業の作業現場。

写真3:縫製企業の作業現場。

広東十三行の町並み。

写真4:広東十三行の町並み。

中国ではタオバオ(淘宝)や京東(JD.com)などのネット通販が急速に発展し、最近では小紅書(中国版インスタグラム。RED)や抖音(ドウイン。TikTok)などのSNSを通じたライブコマースも盛んで、女性たちはそうしたプラットフォームを通じて服を買うようになった。プラットフォームには無数のアパレルショップが店を構え、安さと速さを競い合っている。そうしたアパレルショップからの小ロット、短納期の要求に答えるには近場に生産拠点があった方がいいというので、一時はすたれかけていた南村鎮の衣服縫製業が復活したのである。

SHEINが本部を南京から広州市の南村万博駅近くに移したのも、小ロットの注文を安く速くこなすことのできる南村鎮の生産基盤を生かすためであろう。SHEINはもっぱらアメリカや日本など海外市場で展開し、中国国内には売っていないが、それは中国にはすでにネット通販やSNSなどのプラットフォームで無数のアパレルショップが競い合っているので、そこには商機がないと判断したのであろう。

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