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Commentary

損保社員が見た中国ビジネスの現場
門戸をこじ開けるための苦労

伊藤博
公益財団法人東洋文庫研究員
経済
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所有権が錦江グループに移行した後も、花園飯店のマネジメントはオークラニッコーホテルマネジメントが担当しており、日本流のサービスを継続している。写真は合作プロジェクトで建設された花園飯店のメインビル。Wikipedia「オークラガーデンホテル上海」の項より転載。
所有権が錦江グループに移行した後も、花園飯店のマネジメントはオークラニッコーホテルマネジメントが担当しており、日本流のサービスを継続している。写真は合作プロジェクトで建設された花園飯店のメインビル。Wikipedia「オークラガーデンホテル上海」の項より転載。

一方で、中国政府は諸外国の市場開放の進め方を研究し、次のような対策を講じた。第1に、対象業務を「人民元建て」と「外貨建て」に区分し、外資系金融機関には「外貨建て」業務のみを認め、人民元建て業務への参入を遅らせた。このようにすれば、外資による国有企業や中国個人へのアプローチを防ぎ、中国系金融機関の権益を守れる。

第2に、外資系金融機関の営業範囲を一つの都市に制限した。そうすれば、外資の影響を局部に限定できる。たとえば、銀行業の場合、経済特区⇒上海市⇒沿海開放都市⇒内陸の開放都市という順番で、点としての開放都市が徐々に増えていった。

これらの施策の目的は、外資系金融機関の業務内容や営業地域を制限している間に、中国系金融機関の営業基盤を固めることだった。その成果は顕著だった。たとえば、銀行の「総資産」を指標として、外資系のシェアを計測すると2%程度であり、他の新興国のシェア(タイ:6%、マレーシア:11%、ブラジル:17%)と比べると大変低い。保険業や証券業でもその傾向は同様であり、国内産業保護という観点からは、金融業における市場開放は中国の目論見(もくろみ)通りとなった(小原他、2019)。

筆者の個人的な経験から見ても、東京海上は中国における営業権拡大のために、中国系保険会社への出資なども含めて、その時々で、考え得るほとんど全ての方策を講じたように思う。しかし、結果は「釈迦の掌(てのひら)の上の孫悟空」であり、釈迦の設定した制限を突破することはできなかった。

ホテル文化建設の一翼を担う

最後に、筆者が経験したプロジェクトの中で、最も上手くいったと思われる事例を紹介したい。それは、上海花園飯店(オークラガーデンホテル上海、以下、花園飯店)建設プロジェクトである。花園飯店は、現在、オークラニッコーホテルマネジメントが運営するホテルである。本ホテルの建設が始まったのは、1986年7月であり、1988年12月に建物は完成した〔編集部注:本記事メイン画像参照〕。建設主体は、野村證券の関連会社である野村中国投資、建設工事担当は大林組、ホテルマネジメント担当はホテルオークラだった。建設開始前の上海は、ホテルが大変不足しており、戦前に建てられた錦江飯店(旧キャセイマンションなど)・上海大厦(旧ブロードウェイマンション)などが古い建物のまま営業していた。これらのホテルは、格式を誇ってはいたが、設備はとても古く、現代的なホテルとは言い難かった。

本プロジェクトの概要は以下の通りである。

本件は、野村中国投資と上海市錦江連営公司(以下、錦江グループ)との合作プロジェクトである。合作期間は1986年から2016年までの30年間だった。合作期間は当初19年間だったが、1990年に中国側からの要請で30年間に延長した。

合作の条件は、
① 錦江グループは、旧フレンチクラブの土地と建物を貸与する
② 野村中国投資は、資本金を全額出資し、花園飯店の建設と運営を担当する
③ ホテル運営の収益は、野村中国投資に帰属する
④ 合作期間満了時に、花園飯店の所有権は錦江グループに1米ドルで譲渡される

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