Commentary
DeepSeekの衝撃
米中の「覇権争い」という誤解

だが、輸出制限が厳しすぎると、エヌビディアなどアメリカのICメーカーが中国市場を失うことになってしまう。これまでAIの世界ではエヌビディアのA100とH100というICが広く使われており、その点では中国も例外ではなかったが、規制によってそれらを中国に輸出できなくなったため、エヌビディアはアメリカ政府の規制に合致するように性能を落とした中国向けバージョンのA800とH800を開発した。H800の場合、ICチップ間のデータ転送速度がH100の半分ほどに落とされているという(Reuters, March 22, 2023)。
DeepSeek-V3のテクニカルレポート(DeepSeek-AI, 2025)によると、V3はこのH800を2048個使い、それを2か月弱にわたって訓練した。H800を総計278万8000時間(つまり2048個×24時間×約57日)動かしたので、H800を1個1時間借りる料金が2ドルだとすると、コストは557.6万ドルだったというのである。
2023年10月にアメリカ政府は規制をさらに強化し、中国はエヌビディアのA800やH800も輸入できなくなった(Henshall, 2023)。ところが、2024年11月にテンセントが発表した大規模言語モデル(LLM)「混元(Hunyuan-Large)」は、H800よりさらに低性能、従って今でも中国が輸入できるエヌビディアのH20というICを使って、メタの最新の大規模言語モデルLlama 3.1を上回る性能をたたき出したという(Booth, 2025)。
IC輸出規制の強化はアメリカの自傷行為
こうしたイタチごっこのような展開に対してアメリカの議員たちがいらだちを強め、ICの輸出規制をさらに強化しろといきり立っている(劉・屈、2025)。しかし、IC輸出規制の強化は中国の生成AIの発展に打撃を与えるよりも、むしろアメリカ政府の手でアメリカのICメーカーの首を絞める自傷行為となるだろう。というのは、アメリカからAI用ICを輸入できなくなれば、中国のAI開発業者たちは国産のICをもっと使うようになるからである。
華為(ファーウェイ)はエヌビディアのICに代替できるAI用ICとしてAscend 910シリーズを開発しており、910BはエヌビディアのA100に、910CはエヌビディアのH100に相当するといってAI開発業者に売り込んでいる(Lin and Huang, 2024)。また、AI用ICの専門メーカーとして寒武紀(Cambricon Technologies)という企業も急成長している。2024年の段階では、中国でのAI用IC市場の8割をエヌビディアが占めていたが(Mak, 2025)、エヌビディアのICが手に入らなくなれば、中国のAI開発業者は華為や寒武紀などの国産ICをもっと使うようになるだろう。国産ICの生産規模が拡大すれば、その性能や品質も向上し、中国市場だけでなく第三国市場でもエヌビディアに対抗できるようなるかもしれない。
これまでIC産業におけるアメリカ企業と中国企業の差は大きく、しかも中国はICの輸入に関税をかけていないので、中国の国産ICは苦戦してきた。しかし、アメリカがICの輸出規制を強めると、かえって中国のIC産業の発展を促す幼稚産業保護政策として機能してしまう可能性がある。
「DeepSeekの衝撃(続)――「開放性」は「地政学」に勝つ」では、新興企業のDeepSeekの生成AIがなぜ先行するOpenAIを上回る性能を出すことができたのかを解明する。
参考文献
Booth, Harry. “How China is Advancing in AI Despite U.S. Chip Restrictions.” TIME, January 28, 2025.
DeepSeek-AI, DeepSeek-V3 Technical Report, January 2025.
Henshall, Will. “What to Know About the U.S. Curbs on AI Chip Exports to China.” TIME, October 17, 2023.
Lin, Liza, and Raffaele Huang. “Huawei Readies New Chip to Challenge Nvidia, Surmounting U.S. Sanctions.” Wall Street Journal, August 13, 2024.
Mak, Robyn. “How China can keep pace in the global AI race.” Reuters, January 24, 2025.
Morrow, Allison. “DeepSeek just blew up the AI industry’s narrative that it needs more money and power,” CNN, January 28, 2025.
劉沛林・屈運栩「DeepSeek爆火 撼動AI投資和算力競争底層邏輯」『財新周刊』2025年第5期。