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Commentary

DeepSeekの衝撃
米中の「覇権争い」という誤解

丸川知雄
東京大学社会科学研究所教授
経済
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生成AIの開発競争を指して「覇権争い」と呼ぶのはミスリーディングである。写真はタブレット端末などに表示されたDeepSeekのスタート画面。2025年1月27日(共同通信社)
生成AIの開発競争を指して「覇権争い」と呼ぶのはミスリーディングである。写真はタブレット端末などに表示されたDeepSeekのスタート画面。2025年1月27日(共同通信社)

一方、生成AIには排他性がない。ある人がDeepSeekをスマホにインストールして使い始めたとしても、その人はChatGPTやClaudeも使い続ける可能性がある。英語文の文法チェックをするときは英語が得意なClaudeを使い、中国語で文章を書いたときや数学の問題を解きたいときはDeepSeekに任せるといった使い分けもできる。DeepSeekが登場するや、日本の新聞・テレビはこぞってDeepSeekに「天安門事件の真相を語れ」とか「なぜ習近平はクマのプーさんと呼ばれるのか」とか入力して、あいまいな解答ではぐらかしたといって騒いでいるが、なんだかイスラム教徒に「豚足料理を作りなさい」といってイジメている観がある。もし中国共産党が嫌がる話題を生成AIと語り合いたいのであれば、ChatGPTやClaudeなどを使えばいいのではないか。利用者は複数の生成AIを並行して使うことが可能である以上、パソコンのOSのようにどれかが覇権を握るということにはならないだろう。

生成AIへの需要は大きく広がる

第二の疑問、つまりなぜエヌビディアの株価が暴落したかに関するメディアの説明は次の通りである(Morrow, 2025)。OpenAIはGPT-4oを開発するのに1億ドルの資金を投入し、エヌビディアの最新のICを25000個使ったのに対して、DeepSeek-V3 はそれよりも性能の劣るICを2000個ほど使い、投資額は600万ドル足らずであった。これまでアメリカの経済界では、生成AIの開発には大量のICと資金と電気が必要だといわれてきたが、DeepSeekの登場はこうしたシナリオを根底から覆した。もはやエヌビディアの高価なICが大量に消費されることはないと予測され、その株価が暴落したというのである。

だが、DeepSeekの無料生成AIの登場は生成AIの利用に対するハードルをグッと引き下げるであろう。これまで生成AIを使わないでいた私もDeepSeek-V3をスマホにダウンロードして使い始めたぐらいだ。これからは生成AIがインターネット上だけでなく、さまざまな機器に組み込まれていく。2月10日にはEVメーカーのBYDが全車種に高度運転支援システム(ADAS)を搭載することを発表し、車載システムにDeepSeekの生成AIを導入すると発表した(『網易新聞』2025年2月11日)。こうして生成AIの市場が大きく広がることは、AI用ICの最大のメーカーであるエヌビディアにとってむしろ追い風となるはずである。実際、1月27日に118ドル台に落ち込んだエヌビディアの株価は、2月12日には131ドルまで戻した。

アメリカの鼻を明かしたDeepSeek

DeepSeekの登場が与えたもう一つの衝撃は、アメリカ政府がこれまで中国に対して行ってきたさまざまな輸出規制が効果を上げていないことを示したことである。

アメリカ政府は2022年10月に、スーパーコンピュータの製造やAIの訓練に使う先端的ICの輸出を規制する政策を打ち出した。ICそのものの輸出を止めるだけでなく、中国企業が先端的なICを設計して台湾などに生産委託したり、あるいは国内でICを製造するために最先端の製造装置を輸入したりすることまで制限した。中国がスパコンやAIでアメリカにキャッチアップするのを徹頭徹尾封じ込めようとしたのである。

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