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Commentary

現場なき中国研究への回帰か?
米国で見た高度なデータ解析の潮流と遠ざかる現地調査

伊藤亜聖
東京大学社会科学研究所准教授
経済
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現地での調査が困難となる中、米国の中国研究は最先端の手法が活用される一方で、それを冷戦期に似た研究への回帰とみなす指摘もある。写真はハーバード大学経済学部が入るLittauer Center。2024年2月21日撮影。
現地での調査が困難となる中、米国の中国研究は最先端の手法が活用される一方で、それを冷戦期に似た研究への回帰とみなす指摘もある。写真はハーバード大学経済学部が入るLittauer Center。2024年2月21日撮影。

必ずしもこの趨勢(すうせい)のみで説明できるわけではないが、何人かの著名な中国研究者は、より中長期的(あるいは歴史的)な分析に向かっているようにも思われる。スタンフォード大学の許成鋼(Chenggang Xu)上級研究員、MITの黄亜生(Yasheng Huang)教授、ハーバード大学の王裕華(Yuhua Wang)教授らの近著がそれにあたる。彼らはいずれも同時代の政治経済学的な分析で成果を上げてきた研究者である。これら著作の傾向が一致するのは、一つには現状の権威主義的体制の起源を探る研究が求められているからだろう。加えて、中国大陸の現状分析を続けることが過去10年以上の間に徐々に難しくなってきていることも一因にありそうだ。滞在中、香港のある有力大学から著名な中国政治研究者がボストンに移ってきた。香港を拠点とする代表的な中国研究者の一人だったため、これも情勢の変化を感じさせる出来事だった。

ある時、ワシントンの戦略国際問題研究所から著名なチャイナウォッチャーの一人であるスコット・ケネディ上級顧問がケネディ・スクールに来た。長年の研究蓄積の上に立つ彼の分析と観察は際立ったものだったが、多くの聴衆が関心を持っていたのは、要するにコロナ後に中国を現地訪問した際の感想であった。冷戦期にあったと聞く、見聞録的講演会の趣(おもむ)きがあった。逆に北京の大学から講演に来る研究者も少数ながらいたものの、その内容は北京におけるポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)に基づいて発言内容が厳しく制限されていたように感じた。当該研究者が中国国内で話している内容と、ハーバード大学での講演内容は大きく違った。

ハーバード燕京図書館(2022年8月15日撮影)
ハーバード燕京図書館(2022年8月15日撮影)

地域研究者の減少、そしてこれは日本でも進んでいる

危惧されるのは米国での中国を含めた特定地域の研究を志す若手地域研究者の減少である。これは日本でも同様である。米国には改革開放初期からアジアの現場を踏み、長年の観察を続けてきた研究者がいる。しかし中長期的には先細りが懸念されていた。報道によれば中国へ留学に行くアメリカ人学生がとりわけコロナ後に激減し、2023年時点でわずか700人となっており、ある学者は1980年代の熱気との落差を嘆いていた。確かに中国の経済成長率は鈍化しており、国連人口推計によれば人口は今後30年で2億人減少する。若者は中国問題へのニーズの低下を機敏に感じ取っているのかもしれない。現地に行かずにビッグデータ分析をすることも可能だろう。しかし、中国を理解しようとする人の母数が減ると、中長期的には広い意味での中国理解と中国研究に根深い影響を与えるだろう。これもまた他人ごとではない。

中国研究を巡る情勢変化の中で、シャンボー教授が言う冷戦期に似た研究への回帰、すなわち「原点回帰」はあまり心躍(おど)る話ではない。日本を拠点として何ができるだろうか。全く同じ位置に戻るだけの円周上の原点回帰ではなく、せめて螺旋(らせん)状の前進を目指したい。冷戦期に比べれば圧倒的情報量が利用可能ないま、それは十分可能だろう。そのためには質的調査・情報を引き続き活用しなければならない。その上で、大規模なデータセットの構築をはじめとする研究インフラの基盤強化が求められる。当然ながら数理モデルや深層学習を含む先端的手法の導入も進める必要がある。その先に、今の時代に即した問題意識と分析技術に根差した、立体的かつ緻密な中国理解があり得るのではないだろうか。

注:本稿は「「現場」なき中国研究への回帰か?」『外交』Vol.87(2024年9/10月号), 104-107頁に掲載されたものを加筆修正したものです。

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