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Commentary

桂林農村部で垣間見た「身の丈」イノベーション
中国農村部における社会発展に向けた取り組み②

川嶋一郎
清華大学-野村総研中国研究センター 理事・副センター長
経済
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都市部の大企業だけでなく、農村部の農家でも、「自分たちの暮らしや身のまわりを少しでも良くしたい、少しでも便利にしたい」という気構えと実践が見られ、それが中国全体のイノベーションを生み出している。写真は桂林郊外に位置する陽朔県のキンカン産業示範区。このビニールハウスも「身の丈」イノベーションの産物である。陽朔県金橘核心示範区提供
都市部の大企業だけでなく、農村部の農家でも、「自分たちの暮らしや身のまわりを少しでも良くしたい、少しでも便利にしたい」という気構えと実践が見られ、それが中国全体のイノベーションを生み出している。写真は桂林郊外に位置する陽朔県のキンカン産業示範区。このビニールハウスも「身の丈」イノベーションの産物である。陽朔県金橘核心示範区提供

前回は、桂林銀行が2019年から「農村振興」に舵(かじ)を切り、「全方位の生活支援」によって広西チワン族自治区の農村部に一気に浸透していった状況を概観した。今回は桂林銀行による産業振興支援の活動を紹介したうえで、現地で活躍する起業家や農村部ならではの「身の丈」イノベーションの動きについて紹介したい。

桂林銀行による産業振興支援

桂林銀行による産業振興活動の中核は、企業向けや合作社(農民による共同組合組織)向けの融資である。桂林銀行では、農村企業や産業向け融資に関連して、「示範区」と「信用村(鎮)」という二つの取り組みを行っている。「示範区」(注1)は、桂林銀行が有望企業や合作社と戦略提携を結び、「農村振興」のモデルケースとしているもので、融資をはじめとする各種支援が提供されている(図1)。「信用村(鎮)」は明確な特産品を有する鎮や村に対して一定の与信枠(よしんわく、融資などの限度額)を設け、スムーズな融資の提供や産業振興支援を行う仕組みである。いわば、「一村一品」に対する支援活動といえる。

桂林銀行は550ヵ所の示範区、143ヵ所の信用村(鎮)と提携し、累計で約400億元(約8800億円)の融資を行っている(注2)。農村産業振興策は、この融資業務のほか、就業・創業支援、特産品の販売促進支援など広範にわたる。就業・創業支援では、農村に「実習基地」を設置し、企業や専門家と協力して、近隣農家に対して農作物の植え付けや栽培方法の指導が行われている。コロナ禍では、広東省などに出稼ぎに出ていた者が故郷に戻ってくることも多かったが、そうした人々に対する農業指導も実施された。特産品の販売促進支援の一環として、桂林銀行はEC(電子商取引)サイト「天天開心団」を立ち上げ、広西チワン族自治区の各種農産品のオンライン販売を支援している。

近年、中国では動画の生配信で商品をPRしながら販売する「ライブコマース」が人気だが、桂林銀行では農村現地から特産品をライブコマースで売り込むためのスタジオの設置も支援している(図2)。

図1 農村振興サービス示範区(資源鎮大庄田村)

出所)2024年5月筆者撮影

図2 共同購入サイト「天天開心団」とライブコマース用スタジオ

出所)WeChat「天天開心団」ミニプログラム、スタジオ写真は2024年4月筆者撮影

農村起業家の躍進

続いて、産業の第一線で実際に活躍する二人の農村起業家を紹介しよう。

棚田を一大観光地に仕立て上げたリーダー

龍勝各族自治県にある龍脊鎮大寨村で民宿を経営する潘保玉氏は、先祖代々600年にわたって開墾されてきた棚田の風景を活かし、地域を一大観光地に仕立て上げたリーダーである。

1971年生まれの潘氏は貧しい時代を生きてきた世代だ。若い頃、棚田で収穫した米を背負って一日がかりで山を下りても、稼ぎは数分(1分は0.01元)にしかならなかったという。その後、北京に出稼ぎに行った経験も持つが、都会に着ていく服がなかったため、村長から古着を譲り受けて北京に向かった。

1999年、地元政府が棚田の観光開発を本格化するという話を聞き、北京から帰郷した。民宿開業の準備をしながら、まず手掛けたのは3万本の植林だった。潘氏は棚田が広がる山を指さしながら、「山の稜線(りょうせん)から棚田にかけて木が生えているでしょ。あれを1本1本植えたんです」と説明してくれた。周辺の山々は、住民が薪にするため長年にわたって樹木を伐採してきたので、はげ山になっていた。周りの村民たちに声をかけ、保水と景観回復のための植林を進めた。

道路や下水処理施設など、政府によるインフラ整備も進むなかで、潘氏は2003年に民宿を開業。棚田景観区のなかで最早期に建てられた宿泊施設だった。潘氏は大寨村の共産党支部の書記を16年務めたが、自身も少数民族の瑶(ヤオ)族であり、瑶族の伝統文化の継承にも尽力している。

現在、「龍脊の棚田」は、「漓江の川下り」と並ぶ桂林の代表的な観光スポットとなっている。景観区の観光開発は、龍勝各族自治県人民政府の管轄下の国有観光開発会社と旅行社2社の合弁事業として進められている。景観区の入場料収入の10%が棚田のある村々に還元される仕組みで、2019年には大寨村(63世帯、住民255人)に720万元(約1.6億円)の「分紅」(利益分配)があった。

周辺の村々を合わせると、棚田の景観区には240世帯、1,200人が暮らしているが、域外からの投資もあり、今では民宿が200軒以上建っている(図3)。「民宿」といっても、客室が15~20室ほどあり、1棟の建築費に400~500万元(1億円前後)かかるという。こうした観光開発や観光客が落としていく観光収入によって、「極貧」だった村に大きなお金の流れが生まれている。

図3 潘保玉氏と棚田景観区に立つ民宿

出所)2024年4月筆者撮影 

ゼロエミッションを実現した若手養牛家

雁山区雁山鎮の村にある「広西嶸盛生態養殖有限公司」(以下、広西嶸盛)の廖栄強総経理(社長)は1994年生まれの若者だ。廖氏は中国東北部の大学で経営管理を勉強した後、故郷に戻った。実家の一族が養牛事業などを手掛けていたこともあり、2020年に広西嶸盛を起業し、自らも養牛事業に乗り出した。

現在、広さ約19ヘクタールの農場では、常時4,000頭、通年で1万頭の肉牛が飼育され、5,000頭が出荷されている。「今後3年で、常時1万頭を飼育する規模に拡大したい」という。

広西嶸盛を訪問して驚いたのは、牛の飼育場に入っても全く臭いがしないことだ。飼料の原料には、羅漢果(らかんか、次節参照)やトウモロコシのカス、稲わらなどが使われている。それらをいったん発酵させて飼料にするのだが、発酵促進剤を大学と共同で開発した。発酵促進剤にはアンモニアを分解する成分が含まれており、それを飼料原料の発酵に使うほか、飼育場や牛糞を利用した有機肥料の製造工程でも噴霧している。そのため農場全体で異臭が発生しない。近くには住宅や大学も隣接しているが、「これまで一度も苦情は来ていない」という。

飼料の原料として使われているのは、地元農家や食品加工工場から出る「ゴミ」(残渣)だ。それを牛が食べ、排出される牛糞は有機肥料に加工される。有機肥料は年間1万トン生産されており、飼料原料を提供している農家に還元される。一般向けの販売も行っており、街路樹や家庭の植木などに使われている。残渣や牛糞を有効活用することにより、ゼロエミッションの事業モデルを確立・実践しているわけである。

広西嶸盛の従業員は19名。「最大の経営リスクは感染症」ということで、従業員のうち10名は獣医と検査担当員である。飼料づくりからエサやり、有機肥料づくりの担当はそれぞれ2名しかいない。飼料は小型の電動車両に積まれ、飼育場の通路の両側に自動で撒かれるため、多くの人手を必要としない(図4)。

図4 廖栄強氏と飼育場の様子

出所)廖氏の写真は2024年4月筆者撮影。飼育場の写真は廖氏提供。

飼料の発酵促進剤にしても、小型電動車両を使ったエサやりにしても、自動化や省力化に向けて随所に工夫していることが垣間見られる。

こうした工夫は広西嶸盛以外の訪問先でも見受けられた。次節では、農村部における身近な技術を使ったイノベーションについて紹介したい。

「身の丈」技術によるイノベーション

農村部の訪問先で見かけるイノベーションは決して最先端技術による大掛かりなものではない。「身の丈に合った身近な技術を使って、より良いもの、より便利なものを作ってみて、実際に使ってみて、その都度工夫を加えたもの」である。

霊川県の村にあるキノコ栽培工場では、経営者が自作した栽培ルームのコントロールシステムが使われていた。経営者はドイツに留学して機械工学を勉強した後、中国に戻って機械メーカーで働いていたが、2019年に霊川県でキノコ栽培会社を起業した。その後、「自分で電子部品を買ってきてコントロールシステムを作り上げた」という。栽培ルームの入り口には、社名が印刷されたコントロールボックスが設置されていた。2,700平方メートルのキノコ菌の培養ルームと2,560平方メートルの栽培ルームには、あわせて44基のコントロール設備が設置されており、24時間365日、室温や湿度が制御されている。

桂林の特産品の一つに羅漢果(らかんか)というウリ科の植物がある。羅漢果はテニスボールを一回り小さくした実をつける。実には咳を鎮(しず)める効能があり、中国では乾燥させた実を羅漢果茶にして飲む。最近では、砂糖に代わる天然甘味料として注目され、日本でも流通している。

棚田のある龍脊県で羅漢果の苗を育てている農場を訪れた時、監視カメラが目についた。尋ねてみると、監視カメラにAI(人工知能)を搭載した顔認証システムになっており、普段農場に出入りしていない不審者を感知すると警報を送信する仕組みだという。

羅漢果と共に、桂林を代表する農産品に柑橘(かんきつ)類がある。なかでも陽朔県はキンカンの一大産地だ。地元農家が協力して合作社を立ち上げ、地元政府の下で一帯の幾つかの合作社が協働して「キンカン産業示範区」を形成している。桂林の山々を背景にキンカン栽培のビニールハウスが見渡す限り広がっている光景は圧巻だ(図5)。

図5 陽朔県のキンカン産業示範区

出所)陽朔県金橘核心示範区 提供

実はこのビニールハウスは、通常より簡易に作られている。簡単な骨組みにビニールシートをかぶせた低コストのもので、「2~3年ごとに新しいものに交換する」という。簡易ハウスを導入したことで、キンカンの品質が大幅に向上するとともに、生産量が70%増え、販売期間が100日延びた。

農作物の品種改良や栽培方法の改善で収穫量が伸びたのは、先に紹介した羅漢果も同様だ。羅漢果は以前、苗を植えてから実が収穫できるまで4~5年かかっていたが、今では1年で収穫できるようになり、糖度と収穫量もアップした。

こうした改良や改善も「身の丈に合ったイノベーション」といえるだろう。農村部におけるイノベーションは、大企業による最先端技術の応用とは全く異なるものだ。しかし、中国全体のイノベーションに取り組む姿勢には共通点がある。それは、農村部の農家だろうと、都市部の巨大企業だろうと、そこでイノベーションに従事している人たちの「自分たちの暮らしや身のまわりを少しでも良くしたい、少しでも便利にしたい」という気構えと実践である(注3)。こうした意識の社会全体の総和が中国のイノベーションの底力であり、産業発展の原動力である。

暗中模索で進めてきた桂林銀行による「農村振興」は苦労の末に動き出したが、まだ緒(しょ)に就いたばかりである。先に、棚田景観区において民宿建設や観光収入によって一定規模のお金が動き始めていることを紹介したが、同じような状況はキンカンの産業示範区でも起きている。示範区内に位置する白沙鎮だけでも、キンカンの年間売上高は10億元(220億円)を超えており、簡易ビニールハウスをはじめ、付随する投資も大きな規模になっている。そこにはお金の流れと新たな需要が確実に生まれている。かつて貧困だった村々に産業が興(おこ)り始めているわけだが、桂林銀行と地場産業の間に真の好循環サイクルが確立されるまでには、まだまだ時間が必要だ。

現地の産業従事者たちにとっても、勝負はこれからだ。桂林産や広西産の農産品が広東省や福建省に出荷され、そこで加工された後、「広東産」「福建産」の商品として市場に出回ることも多い。地元の産業をさらに成長発展させるには、「農産品の加工や流通に至る産業体系をしっかりと構築する必要がある」(桂林銀行幹部)。

桂林銀行の従業員の平均年齢は29.8歳で、顔を合わせる行員たちは皆若い。董事長(銀行のトップ)以下、経営陣26名の構成をみても、1970年代生まれの「70後」が18名、「80後」も5名おり(注4)、銀行全体に若い力がみなぎっている。桂林銀行や農村地域の次なる発展ステージが楽しみだ。筆者の桂林訪問もまだまだ続く。

(注[1]) 「示範区」の正式名称は「服務郷村振興示範区」(農村振興サービス示範区)。

(注[2]) 桂林銀行「2023年度 年度報告」を参照。

(注[3]) 筆者は野村総合研究所『知的資産創造』2021年7月号掲載の「中国のデジタル化と若者」のなかで、中国のスマホアプリを通じた各種サービスの出現と社会への急速な浸透の背景に「身のまわりの不便、不満、不安を改善・解消したい」という動機が働いていたことを紹介している。

(注[4]) 桂林銀行「2023年度 年度報告」を参照。

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