Commentary
中国でなぜモバイル決済が拡がったのか
とにかく不便な現金決済が原動力に
(1)額面に関する問題
中国の法定通貨である人民元は、8種類の紙幣(1角、5角、1元、5元、10元、20元、50元、100元)と6種類の硬貨(1分、2分、5分、1角、5角、1元)が発行されている(2024年10月現在、1元は約20円。1角は10分の1元、1分は100分の1元)。これからもわかる通り、現在流通している最高額紙幣は100元、最高額硬貨は1元と額面金額が小さく、持ち運びやお釣りの面で不便が生じている。高額消費のためには札束1万元(100枚)を大量に持ち運ぶ必要が出てくる。当然ながら、大量の現金を持ち運ぶと、盗難などの被害にあった際の損失が大きくなる。また、ほとんどの店舗で「分」単位の少額のお釣りを用意しておらず、日常生活で少額硬貨のやり取りすることは皆無に等しい。
このような問題が生じる要因として経済規模と現金額面の不均衡が挙げられる。初めて100元紙幣が発行されたのは1987年で、最大100元紙幣、最小1分硬貨という価格構成は35年以上変わっていない。しかしこの間に、中国経済は著しく成長し経済環境は大きく変化した。国家統計局によると、1987年の国民総所得(GNI)は1.22兆元で、2023年(125.0兆元)の1%程度に過ぎなかった。つまり、この間に物価も大きく上昇し、名目所得が100倍近くになっているにもかかわらず、依然として100元札が最高額紙幣として使われているのである。
(2)偽造通貨問題
中国では偽造通貨(偽札)も社会問題となっている。実際に街中では、現金を大量に扱う銀行のみならず、スーパーやコンビニなどの商店でもレジ横には偽札を識別する装置が置いてあり、100元札や50元札といった高額紙幣を受け取ると、今でも必ずチェックしている。
偽札の流通枚数に関する公式な統計データは存在しないが、人民元の偽札問題は先進諸国の通貨よりも深刻であることが中国人民銀行(中央銀行)の調査で明らかとなっている。例えば、馬特倫・中国人民銀行副行長(当時)は金融機関が回収した偽札が紙幣の流通枚数100万枚当たりに占める枚数を表す「偽札濃度」を使って国際比較を行っている。この分析では、中国の「偽札濃度」は2008年が160枚、2009年が136枚、2010年が57枚で、米ドルやユーロ、円などの主要通貨よりも濃度が高くなっていると指摘している。具体的には、2010年に金融機関が回収した偽札のうち71.5%が100元札で、総額約3億元に達している(図表3)。
(図表3)金融機関が回収した人民元の偽札枚数(2010年)
ただし、これらは金融機関が回収した偽札の枚数であり、実際に流通していた偽札はこれを上回る。偽造通貨は中国人民銀行支店もしくは金融機関で没収することが規定で定められており、偽札を万が一つかまされた場合、その損失は自らが直接被(かぶ)ることとなるため、正直に銀行に届け出る被害者は多くない。
(3)損傷現金問題
また中国では、汚染や損傷などの理由によって流通に適さない損傷現金も多くみられる。例えば、中国人民銀行が2009年に湖北省荊州市で行った調査によると、調査対象となった36,943枚の紙幣のうち、10,257枚(27.8%)が損傷現金で、特に農村部の問題がより深刻であった。損傷現金が発生する原因の一つに、一部の利用者による現金の取り扱いに対する意識の低さがある。同調査によると、農村住民の86%が財布を利用しておらず、偽札を判別するために故意に紙幣を傷つける行為が行われている。また、保管状態が劣悪で、カビや虫食いなどによって破損した現金も多く確認されている。
これは地方の農村部でのケースであるが、北京や上海などの都市部で流通していた現金に関しても、自動販売機の紙幣投入口にお札を入れても識別されず戻ってきてしまうほど劣化が激しいものが多かった。紙幣の劣化状態に加え、硬貨があまり流通していないことが、これまで中国で自動販売機が普及しなかった大きな要因となっていた。