Commentary
中国でなぜモバイル決済が拡がったのか
とにかく不便な現金決済が原動力に
筆者は、2002年から中国の首都・北京で暮らしている。20年を超える中国生活で体験したのは、モバイル・インターネットによる社会の大変革であった。デジタル技術の社会実装が急速に進み、スマートフォン(スマホ)によって不便だった市民生活が塗り替えられていく姿を目の当たりにした。
生活の隅々にまで浸透したモバイル決済
様々な業界の中で最も革新的な変化が起こったのが金融セクターである。経済活動において最も信用が必要とされる「決済」をベースに、過去になかった新しいタイプのビジネスが次々に生まれ、巨大なビジネス・エコシステム(生態系)が形成された。
自動販売機など「買う」場面、フードデリバリーなど「食べる」場面、シェア自転車など「移動する」場面、無人カラオケなど「遊ぶ」場面など、生活の様々な消費シーンにおいてモバイル決済が使われている(図表1)。
(図表1)中国新経済のエコシステム
これらの消費シーンだけではなく、公共料金の支払い、レストランでの割り勘などユーザー同士の送金、祝儀やお年玉、宗教施設でのお布施や大道芸人への「おひねり」の支払いにいたるまで、ありとあらゆる場所でモバイル決済が利用されており、財布を持たずにスマホ1台で生活できる社会が実現している。その結果、モバイル決済の取引量は急速に拡大していった(図表2)。
(図表2)中国におけるモバイル決済状況
金融業界のデジタル・イノベーションは、どうやって起こったのか。何が突き動かしたのか。なぜ他国ではなく中国だったのか。そして今後どうなっていくのか。
拙著『中国デジタル金融イノベーション』では、これらの問いに対し、①中国国内に山積する「社会問題」がイノベーションを生み出すという需要側の視点、②プラットフォーム・ビジネスという供給側の視点、③政府の方針や政策、関連規制といったプラットフォーマーを取り巻く外部環境の視点から、そのメカニズムの解明を試みている。
本稿では、デジタル・イノベーションの起点となったモバイル決済が急速かつ広範囲に普及した主要因について、①「社会問題」という需要側の視点から考察する。
とにかく不便な現金決済
中国における現金決済のデメリットとして、携帯、釣り銭、保管の不便さ、受け渡し時における偽札や破損・汚損紙幣などの問題がある。ここでは、中国でモバイル決済が本格的に普及する前の2010年前後に存在していた、携帯や保管を不便にしている額面に関する問題、偽造通貨問題、損傷現金問題について具体的な状況をみていく。