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Commentary

萎縮する言論空間にどう抗うか
台湾の「亜亜事件」と龍応台の論考をめぐる論争から考える

阿古智子
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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国民党軍と共産党軍による激しい戦闘の舞台となった金門島。敵の上陸を防ぐ為に海岸沿いに立てられた杭が今も残されており、異様な光景が広がっている。約2km向こうの対岸に見えるのは中国の廈門(アモイ)。2025年2月撮影(著者提供)
国民党軍と共産党軍による激しい戦闘の舞台となった金門島。敵の上陸を防ぐ為に海岸沿いに立てられた杭が今も残されており、異様な光景が広がっている。約2km向こうの対岸に見えるのは中国の廈門(アモイ)。2025年2月撮影(著者提供)

移民の国外追放や政府職員の解雇、自由貿易を否定する関税措置など、第二次トランプ政権が次々に実施する政策に世界が大きく翻弄(ほんろう)されている。なかでも、台湾社会の動揺は大きく、これまで以上に将来に不安を抱く人が増えている。アフガニスタンからの米軍撤退以降、台湾はいずれ見放されるという「疑米論」が広がっていたが、ウクライナのゼレンスキー大統領に戦争の責任を激しく追及するトランプ氏の姿は、民主主義をリードしてきたアメリカの変質を強く印象付けた。

そうした中、中国人インフルエンサー亜亜(劉振亜)の強制退去と作家の龍応台が『ニューヨーク・タイムズ』に発表した論考「台湾に残された時間は少ない」に対して、台湾で大きな論争が巻き起こっている。

私はこの論争がこれほどもつれる背景には、言論空間の萎縮があり、それに抗(あらが)う方法をあらゆる方面から見出さなければ、理性ある議論が難しくなり、立ち位置の異なる国や地域、人々の間で対立がより激化し、台湾も国際社会も深刻な緊張状態に陥ってしまうと考える。この文章では、そうした私の考えをまとめてみたい。

「亜亜事件」があぶり出す民主主義における言論の自由の限界

まず、「亜亜事件」と龍応台の論考をご存じない人のために、平井新「「武力統一」を発信した中国人インフルエンサーが台湾から退去させられた背景、台湾を単純な構図で語ることのお粗末さ」『東洋経済オンライン』(2025年4月18日)と野嶋剛「台湾揺さぶる人気作家の投稿、「台湾に残された時間」は本当に少ないのか」『実業之日本フォーラム』(2025年4月15日)を参考に、ことの経緯を整理し、さらに、この二人の筆者の同事件・論考に対する見方を記しておく。

「亜亜事件」について

中国大陸出身の亜亜(劉振亜)は台湾籍男性との結婚で得た居留資格で台湾に滞在していたが、「抖音」(中国国内版TikTok)上で「武力統一は必然」などと主張したため、台湾移民署から「国家安全に危害を及ぼす」として居留許可を取り消された。劉は執行停止を申し立てたが、台北高等行政裁判所が却下したため3月25日までに出国を強いられた。台湾を離れた後の控訴も最高行政裁判所により、「重大かつ回復困難な損害なし」として却下された。処分の合法性に明白な疑いがなく、他の方法での来台や夫の訪中も可能というのが理由であったという。劉はSNSで自身と子どもの顔を出し、過激な政治的主張を展開していたが、処分後には急に態度を変え、「武力統一は主張していない」と弁明した。さらに、中国への帰国を「取り返しのつかない絶望の淵」と表現し、台湾滞在を望んだため、台湾だけでなく中国のネット空間からも批判と冷笑を浴びた。

一方で、個人の言論を理由に公権力が劉に国外退去を命じたため、「言論弾圧」とみなされる側面もある。民進党政権の対中強硬姿勢が中国(大陸)出身者差別を助長しているとして、中央研究院の学者など75名の研究者や識者が移民署の対応と言論空間縮小を批判した。

なお、劉への処分は中国人の台湾居留についての規定がある「両岸人民関係条例第17条」などを法的根拠に行われたが、台北高等行政法院は「市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)第20条」の戦争宣伝禁止規定を引用し、社会の安定という公益を「中華民国」籍を有さない個人の居留権より優先させた。「統一支持」といった政治的意見表明は言論の自由の範囲内だが、「武力統一」扇動は境界線を越えると判断したと考えられる。裁判所の判決は執行停止の必要性についてのみであり、移民署の措置自体の適法性は判断されていないという。

平井は以上のような状況を説明した上で、「民主主義における言論の自由の限界」という普遍的課題を、中台関係という特殊状況においてどう考えるか、民主主義体制において、少数意見や社会的マイノリティの権利をどのように守るのかという問題意識を示した。

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