Commentary
1990年代日本の香港ポップス・ブーム
「継承されない越境の記憶」を掘り起こす

継承されない一次資料
このように「香港ポップス」(ないしそれを含む「アジアン・ポップス」)の歴史に関する資料を整理する中で、気づいたことがある。それは、当時の様子を伝える貴重な資料の多くが、すでに散逸しかけていることだ。
日本国内の商業出版物であれば、ある程度はアーカイヴ化されている。私自身、資料の大部分は、国会図書館と大宅壮一文庫を利用して閲覧した[12]。ただし、完全ではない。『POP ASIA』『Asian Pops Magazine』のような専門誌は大宅壮一文庫には所蔵されていないし、国会図書館でも、両誌ともに刊行初期のものは欠号が多く、全号を閲覧することはできなかった。
さらに問題なのは、そもそもアーカイヴ化されないような類の資料である。当時は『香港通信』のような香港刊行の日本語誌もあったが、これは海外刊行のため国会図書館には納本されていない。またファンによって制作され、頒布(はんぷ)されていた同人誌も、ほとんど図書館には入っていないだろう。出版物以外で言えば、日本盤CDに封入されていた「ライナーノーツ」も貴重な資料になり得るが、これも公共機関での閲覧は難しい。
また、このブームの一部は、日本におけるインターネットの普及開始期とも重なる。「BBS」(電子掲示板)やメールマガジンなどを通じても盛んな議論や情報発信が行われたと思われるが、それらのデジタル・データも、誰かがローカル上に保存したデータが偶然残っていない限り、すでに失われてしまっているだろう。
つまり、私のような後追い世代が歴史を探ろうと思っても、すでにアクセスするのが難しくなってしまっている一次資料がとても多いのである。このままでは、将来、当時を知る人々がいなくなる時が来れば、このブームはまさに「継承されない越境の記憶」となってしまう。
そんな危機感もあり、私はこれらのアーカイヴ化されていない一次資料の発掘に取り組むとともに、当時を知る方々からの聞き取りに少しずつ着手している。もし、この記事をご覧の方の中にも、ご協力いただける方がいたら、ぜひ連絡願いたい。
連絡先:sasha.asianpops [アットマーク] gmail.com
小栗宏太
謝辞:本論考の元となる資料の収集に当たり、サントリー文化財団の2022 年度及び2023年度「若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)」を活用しました。ここに記して感謝申し上げます。
[1] 松岡環「映画が国境を越えるとき:アジアの”ハリウッド”が築いたムービーロード」土佐昌樹、青柳寬編『越境するポピュラー文化と〈想像のアジア〉』めこん、2005年、132頁
[2] ほぼリアルタイムの論集として毛利嘉孝編『日式韓流:「冬のソナタ」と日韓大衆文化の現在』せりか書房、2004年;石田佐恵子、木村幹、山中千恵編『ポスト韓流のメディア社会学』ミネルヴァ書房、2007年;当事者による回顧として桑畑優香、八田靖史、まつもとたくお、吉野太一郎『韓流ブーム』ハヤカワ新書、2024年;音楽にフォーカスした歴史の整理として山本浄邦『K-POP現代史:韓国大衆音楽の誕生からBTSまで』ちくま新書、2023年;金成玟『日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで』慶應義塾大学出版会、2024年などがある。
[3] 『POP ASIA』は創刊当初はこの雑誌の増刊号扱いだった。
[4] 大須賀猛「Asian Music Review 49(最終回)ハマったら脱出不可能!?アジア歌謡の二重らせん」『Black Music Review』1995年8月号。
[5] 板垣優佳「東「洋楽」の時代 半歩先行くアジアポップスはいかが 新しい響きと素朴なパワーが洋楽市場の沈滞を破るか」『AERA』1994年7月11日。
[6] 石谷崇史「台湾語ポップスのニュー・ウェイヴ,林強(リン・チャン)」(『Black Music Review』1993年4月号);関谷元子「熱烈台湾音楽事情」(同1993年6月号、7月号連載);新堀恵「香港——台北コンサート見聞録」(同1993年10月号);壬生昌子「香港における怨曲(ブルース)シーン考察」(同1993年11月号)など。
[7] 白石顕二「東アジアの音楽を知るためのブックガイド」『Latina』1996年6月号、26頁。
[8] Asian Crossing「Asicro People file no.1 関谷元子さん(ポップアジア編集長)」『Asian Crossing』2004年11月9日。http://www.asiancrossing.jp/intv/people/0104/index.html
[9] 原智子『香港中毒:無敵の電影・明星迷たち』The Japan Times、1996年、26頁。
[10] 『POP ASIA』は2007年2月号を最後に休刊した。
[11] なお2010年代以降は音楽の扱いはほぼなく、事実上はドラマ・映画の専門誌になっている。創刊以来、同誌には香港などアジア諸地域の音楽のヒット・チャートを掲載するコーナーがあったが、2011年9月号以降縮小され、2015年10月号以降は完全に廃止されている。
[12] ただし本稿に掲載している写真は、いずれも筆者個人蔵の資料を撮影したものである。