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Commentary

1990年代日本の香港ポップス・ブーム
「継承されない越境の記憶」を掘り起こす

小栗宏太
文化人類学者
政治
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「香港ポップス」(ないしそれを含む「アジアン・ポップス」)の歴史を伝える貴重な資料の多くは、すでに散逸しかけている。写真は著者が集めている香港カルチャー関連の日本語雑誌・書籍の一部。(著者撮影・提供)
「香港ポップス」(ないしそれを含む「アジアン・ポップス」)の歴史を伝える貴重な資料の多くは、すでに散逸しかけている。写真は著者が集めている香港カルチャー関連の日本語雑誌・書籍の一部。(著者撮影・提供)

「女性目線化」するアジアン・ポップス?

こうした「アジアン・ポップス」の香港化/中華化の動きと関連して興味深いのは、女性目線でアジアの音楽を取り上げる刊行物の増加である。『Asian Pops Magazine』、『POP ASIA』の2誌も、女性が編集長を務める雑誌だった。『Asian Pops Magazine』は、創刊から現在に至るまで橋本光恵が編集長を務めている。『POP ASIA』は、創刊号から第4号までは大須賀猛が編集長だったが、5号以降は関谷元子が引き継いだ。

関谷は、編集長就任に当たり、前任者時代の男性目線からの脱却を目指したと語っている。

「大須賀さんは男だからやっぱり、1号から4号まで全部女の人が表紙だったんです。これだけ変えていい?て言って。香港は当時とても力があったので、香港の男性スターを表紙にしていくことにしました。それで、ジャッキー(張學友)は中華圏では一番リスペクトされているし、なにはともあれ、最初の号の表紙はジャッキーにしようと思った訳です(笑)。日本ではまだ、ちょっと知名度がなかったけどね。その次はアンディ(劉徳華)にして、四大天王にいって…。(略)女の人は絶対裏切らないからと思って(笑)」[8]

2004年発行の通算50号によると、歴代掲載回数ランキングは以下の通りである。香港の男性アーティストがとりわけ多く掲載されていたことがわかる(女性のランクインは5位のフェイ・ウォンのみ)。

  1. 張國榮 レスリー・チャン(23回)[香港]
  2. 劉德華 アンディ・ラウ(17回)[香港]
  3. 張學友 ジャッキー・チュン(16回)[香港]
  4. 黎明 レオン・ライ(14回)[香港]
  5. 王菲 フェイ・ウォン(11回)[香港]
  6. 謝霆鋒 ニコラス・ツェー(11回)[香港]
  7. 鄭伊健 イーキン・チェン(10回)[香港]
  8. 郭富城 アーロン・クォック(8回)[香港]
  9. SHINHWA 神話(7回)[韓国]
  10. 王力宏 ワン・リーホン(6回)[台湾]
    金城武(6回)[台湾]
    ディック・リー(6回)[シンガポール]

投書欄を見ると、「このページを読めば、この雑誌の読者の大多数が女性である事は一目瞭然ですが、男である僕としては、もっと男性のLETTERSものせてほしいという事です。どのように選んでのせているのかは分かりませんが、男性の読者もいるということを忘れないで下さい」(12号、1997年6月)、「いつも楽しく拝読しております。が、ほとんど香港芸能が中心で「どこが”POP ASIA”なんだ?」と思ってしまいます」(12号、1997年8月)など、女性読者重視/香港重視路線に不満を抱く読者もいたことがわかる。

「韓流」の先駆けとして?

それまでの日本におけるアジア、とりわけ芸能人の取り上げられ方が暗黙のうちに極めて男性目線だったことを思えば、この時代にあえて女性目線を打ち出した人々の心情も理解できるように思う。

ポリドールの「Asian Waves」シリーズを見ても、当初リリースされたのは王菲(フェイ・ウォン)、周慧敏(ヴィヴィアン・チョウ)、陳慧嫻(プリシラ・チャン)、關淑怡(シャーリー・クァン)など女性歌手ばかりだった。これらの女性歌手を集めた『美少女宣言』というコンピレーションも発売されている(1994年4月;Vol.2は同12月)。

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